ヴ〜ッヴ〜ッヴ〜ッヴ〜ッ
広い草原。足元にモンスターの残骸が転がるこの場所には不釣合いな低い音に、皆の視線が私に集中する。
音を立てるのは鞄に放り込まれた携帯。
それはわかるんだけど、この世界で携帯が鳴るなんてありえなくないか?
戸惑いながら、私は二つ折りのシルバーの物体を引っ張り出す───
「っって!」
「マドカ?」
近くに居たイアラちゃんが不思議そうに覗き込むのをそのままにして、私は液晶画面に釘付けになった。
「やばっ」
携帯が告げたのは着信ではなく「予定時刻」の通知。
液晶には、「13:00 高科道場」の文字。
異常事態が続くのですっかり失念してた。
連休で予定もないからって、浪の家に泊まりがてら、大会で披露する演舞の練習をするって約束したんだった。何の連絡もなく顔を出さなかったら、あの親友は顔色を変えて心配するのに……!
「どうしたの? マドカさん」
「どうかしたのか、マドカ」
硬直する私に、異口同音にかけられる声。
一縷の望みを持って液晶の一角を見つめるけど、当然のように「圏外」の二文字。
「晦冥剣様」
残された手段、藁に縋る思いで深更の理の化身を呼ぶ。
「どうした、マドカ」
「水晶の力で、言葉だけでも私の世界───異世界に飛ばすことは……」
「少なくともわしや変革の力ではない。知っているとしたら導の理の使い手だろう」
「レスナーダか……」
嫌そうに呟くランスの声を聞いて、私はがっくり肩を落とした。
その名前は知ってる。勿論、雪花が教えてくれたんだ。
洞窟で晦冥剣の言っていた「心当たり」で、「近くの国」の辺境の島に住んでいる理術師。とてもすぐにお願いに行ける距離じゃない。
「ごめん……浪。私は生きてるよ」
怪訝な顔をする皆には構わず、ここにはいない親友へ謝る。
だって浪は絶対取り乱す。
彼女の従妹はもう何年も前から行方不明なんだ。そんなときに私まで消えたら……!
「……なんて思っても手の打ち様がないんだよね」
「理解が早くて何よりだ」
「とりあえずさくっとドーブルの奴をとっちめて、さくっとシノミヤに使いを出そうぜ」
「ランスさんたちの生存報告を含めてね」
「うっ」
晦冥剣とその使い手の連携に、ヤツデ君がツッコミを入れる。
超局地的に雰囲気を暗くしてしまった私に対する気遣いだとわかったから、私は苦笑して携帯の電源を切った。
浪を心配するなら、一刻も早くドーブルとやらの一件を片付けて、レスナーダに会いに行ける様にするしかない。
そのためには、気になってしょうがない気持ちごと、使えない携帯電話は封印するべきだと思った。
「なんていうか……」
「ん?」
ずっと成り行きを見守っていた、控えめなキールが声を漏らした。
「あ、いえ、なんていうか、その。マドカさんって本当に異世界の人なんだなと……」
「あたしもそれは思ったね。マドカって凄く堂々としてるから言われなきゃ異世界人とは思えないよ」
「あはは」
年少組には単に「異世界から来た」としか言っていないから、そう言われるのも無理もなかった。
ハッタリでも何でもないように振舞えるのは、ゲームの場面で見知ってるのと、私自身の思い入れが特にあるわけでもない作品世界だからだ。(いくら見知っていても、此処がラクーンシティとかバロウズの時計屋敷とかだったら、知ってるだけにますますパニクること請け合いだ)
「これでも、帰り道を探して右往左往してる哀れな異世界人よ。というわけで先、急ぎましょう?」
私は苦笑いして皆を促した。
会話に加わらなかった何人かを中心に、戦闘の後処理は済んでいる。順当に行って二日はかかるというから、いつまでも此処に留まってるわけにも行かない。
「シノミヤ」って言葉に何か拒否反応めいたものを見せていたアットも、こればかりには同意見で、
「はいっ一刻も早く吸血鬼を退治してグラント様に報告申し上げましょう!」
非常にわかりやすく優等生な声を上げた。
その日の夜───
「本当にいいのか?」
ブーツの上からふくらはぎの筋肉をほぐしていると、ランスが話しかけてきた。
思うところがあるのか、晦冥剣はカディオさんに預けてきたようだ。
「いいって、何が?」
ランスの言わんとしている所は予想がついたけど、私はそらとぼけて尋ね返す。
「俺達に付き合ってドーブル退治するより、まっすぐサウザンフォート行って、デルタ経由でシノミヤ行くほうが早いんじゃねえか?」
熊は見た目よりは細やかな気配りのできる人間のようだ。もう少しで果たせる敵討ちのことで頭がいっぱいだろうに、予定外の拾い物の私のこともちゃんと気にかけてる。
正直、雪花があんまり使ってなかったキャラなのでランスのことはよく知らなかったんだけど、「隊長」の肩書きは伊達じゃないらしい。
「根本的なことを忘れてるわよ」
私は彼の気遣いをくすぐったく思いながら、
「私はこの世界初めてなの。道に迷ってうろうろするよりは、回り道に思えてもちゃんと道案内してくれる人に付き合ったほうが早いと思うけど?」
事実を一つ、指摘してやった。
「それならいいんだけどよ……」
「だいたい、戦うたびに気を失っちゃうか弱い女性を一人で歩かせるなんてあんまりじゃない?」
まだ渋い顔をしているランスに、敢えてそんな言い方をすると、失礼なことにクマは吹き出して私の肩を叩いた。
「そりゃあそうだ!」
「その笑いぶりが納得いかないんだけど?」
「悪い悪い」
クマは笑いを収めようともしないままに再度肩をすくめる。
それで随分空気が軽くなった。
私としては早く帰りたいのは山々だけど、こちらを気にする余りシナリオに狂いを見せられても却って先行きが不安で、帰り道を捜すためにも予定通りの行動を主人公―――ヤツデ達に取ってもらいたかった。
勿論それとは別に、あれだけ真剣なカディオさんやランス、アットの願いを邪魔したりしたくないという気持ちもあった。
あんなふうに自分の全てをかけて叶えようとする強い意思を、私の回りのどれだけの人が宿してるだろう?
自問して、ふとこの世界を愛してやまない親友を思い出す。
その意味では、確かに雪花はこの世界にふさわしい覚悟の持ち主だった。何故、私じゃなく彼女がここに迷い込まなかったのかと不思議に思うくらいには。
「回り道させるからにはちゃんと勝ってよね」
「……おう」
私は元の世界を飛び回っている親友を思いながら、会話を括るように言った。
ランスは、真面目な顔をして、飾りのないうなづきを返した。
本当はここで思い出すべきだったのかもしれない。
けれど結局思い出したからって私のこの選択を肯定するだけなんだから、思い出す必要もなかったのかもしれない。
だけどとにかく何か引っ掛かりながら思い出せないこの時の私は、帰れたら雪花にどう自慢してやろうと、頭の隅で呑気に思い巡らせたりもしていた。
これは別に本編に混ぜてもよさそうな無いようなのですが。