傍観する風景

　

「ちょーっとそこのぼ・お・やっ」

　背後から呼び止められて、弘之はびくっと身を竦ませた。

　火星・フォタオ市の国立大学院。

　シィスジェリアに着いた早々、ロム達に、知人に用があるからとこんな所で放り出されてしまった弘之は、する事もなくて、ほけっと初めて見る薄ピンクの空を眺めているところだった。

　

　文明の進んだ都市の施設が、多くそうであるように、ここ、フォタオでもＩＤの所持が義務づけられている。弘之も、船を出るときに外部学生用のそれを渡されていたのだが、ニセモノとばれるのが怖くて、一人ではどの種のゲートも、設備も利用していない。

　そんな具合だったから、中庭の隅をのたのたと歩いていたわけで、知らない相手からいきなり声をかけられた瞬間の驚きも一塩だった。

　

「やぁねぇもう。取って食べたりはしないわよ？」

　声の主はけたけた笑うと、彼の近くに駆け寄ってくる。

　これでは、無視するわけにも行くまい。弘之は内心のびくつきを隠しながら、彼女の方を振り返った。

「＠％＆”＃＊！？」

「なによぉ。私がビジンで見惚れるってのもわかるけど。ぼぉや、ここの学生さん？　地球考古学のアルバート・フォチュナー教授の研究室、教えて貰えない？」

　声を失っている弘之の様子にも構わず、矢継ぎ早に喋りかけてくる女。そういう女を、彼は一人……いや、二人、知っている気がした。

「い、いやっお、俺も外部生だから……」

　気安く腕まで取られてから、弘之は慌てて首を横に振る。同時に、この相手も部外者なのだということに、ほんの少し安堵している。

「そっか。ぼぉや今サードスクール？」

「えっ？」

「あ、ごめんごめん。今、ハイスクール？　ここの学校受ける予定なの？」

　耳慣れない言葉に首を傾げると、彼女は苦笑して、また質問を重ねてくる。それを鬱陶しく感じながら、弘之ははっと思いだしたように取られた腕を振りほどいた。

　

「オレはぼーやじゃねぇっ！」

　

　自分と大して目線の変わらない相手。

　外国人の年齢の区別などはっきりはつけられないが、幼く見られがちな東洋人の目から見ても、二十歳を過ぎているとは思えない少女が、彼の目の前にいる。

　少女は一瞬呆気にとられた目で弘之を見ると、またけたけたと笑いだした。

「ごめんごめんっいつももっと上の格好してるもんだからついクセが出ちゃって。悪気じゃないのよ」

「うえ？」

「ああ、気にしない気にしないっで、君こんなトコで何してるの？　図書館なら隣のブロックだし、講堂は反対側よー？」

　弘之が聞き返すと、彼女はまた誤魔化すように話を変える。弘之は不審げな眼差しを少女に向けた。

　周囲には何人かちゃんとした学生の姿がある。それなのに、敢えて自分を構おうとする意図が、弘之には見えてこない。もし、何かあるとすればそれは―――

　

「あーっまたそんな顔する！　こらっ目つきが悪いままになっちゃうぞっ？」

「わっな、何すんだよッ!?」

　いきなり頬を引っ張られ、弘之は慌てて逃れようとする。こんなやりとりも、昔、何処かでやった記憶がある。

　仏頂面しか見せなかった彼に、しつこく絡んできたのは瑞穂だった。

　ぎこちなくも笑みを作るようになってから、しょっちゅうからかいに来たのは、神出鬼没の飛翼族―――シリアン・エア・ヘレーズ。

　

「何してるの？　アイリーン。知らない人をからかっちゃ駄目よ？」

　横合いからかかった女性の声が、この攻防に終止符を打った。

　落ち着いた、初老の女性……こういう相手に「ぼーや」といわれるのなら、面白くなくても納得は行くのだが。

「ああ、リー・ファ。バートの所で待ち合わせてたんだけど、久しぶりで場所、忘れちゃって」

　くるっと素早い変わり身で彼女の方に近付いていった少女は、照れたような笑みで告げている。髪に白いものの混じった東洋系の女性は、「しょうがないわねぇ」と苦笑してから、ぼんやりと彼女達を見ていた弘之に目線を移す。

「ごめんなさいね。びっくりしたでしょう？」

「あ、いや、べつに……」

　微笑みかけられて、弘之はむにゃむにゃと言葉を濁す。

　初対面の人間にやられたことには驚いたが、行動パターンが一々知人達そっくりで、耐性はついていた。

　

「あらん、リー・ファが謝ることじゃないわよ？　だってこの子すっごい退屈そうにしてたんだもん。む・し・ろこっちが御礼言われるべきよ」

「アイリーン」

　勝手な理論を展開して、短い言葉でたしなめられる。弘之にとって、いつもの見慣れたやりとりだ。

　

「くくっ」

「それ！　その顔！」

　思わず笑ってしまった弘之を、アイリーンがびしっと指さした。

「笑ってたほうがずっといい男よ、あんた。色々あるのもわかるけど、どーせすることないんなら、そゆ顔してたほう、絶対にいいってば。ね？」

「―――ッ!?」

　彼女が初めて見せた、真面目な表情。包み込むような暖かさを感じさせる、優しい微笑。それはまるで、彼女が弘之を何者であるか知っているような―――そして、彼女が本当はずっと年上であるような、謎めいた印象を彼に与えた。

　

「ほらほら、そうやってからかってる間にも皆さんお待ちかねよ、アイリーン」

「わかってるってば。ああ、もう……口うるさくなったわね、リー・ファ」

「二人目の息子ももう成人してるのよ？　当たり前じゃないの」

「それもそうよねェ……やっぱり、学者さん？」

「それがねぇ……」

　親しげなやりとりをしながら歩き出す女性達。その口調は、親と子以上に歳の離れた人間の交わすものではない。弘之は食い入るように、二人の女性を見つめた。

　

「あ、そうそう。ここの学食はキツネうどんがお勧めよ？　どーせ暇でしょ？　行ってきなさいよ」

　

　アイリーンはぱちんと何かを弾いて寄越しながら、弘之に言った。

　金属製の、３�兒擁�のチップ。言葉から察するに、食券のようなものらしい。

「不審人物。二時間もそうしてるつもり？」

「なっ……」

　指を刺されて、弘之は言葉を詰まらせる。二時間という根拠はわからないが、不慣れな場所に恐れている彼にとって「不審人物」の四文字はかなり堪えるものだ。

　

「おやめなさいな。迷惑料と思って受け取っておきなさい。使い方は、普通のマネーカードと同じよ」

　リー・ファはアイリーンを軽くたしなめた後、フォローする微笑みを彼に向けた。弘之の戸惑いを、食券の使い方に対するものだと思ったのかもしれない。

「あ、あぁ……」

　弘之は曖昧に頷いて、食券をポケットにしまった。

　

「それでは……」

　軽く会釈して、今度こそ歩き出すリー・ファ。その立ち居振る舞いにも気品が感じられる。弘之はその後ろ姿に、在りし日の祖母を思った。

「ぼうや……」

　アイリーンは何故か、痛ましそうな表情を彼に向ける。また嫌な呼び方をされたことよりも、その沈んだ眼差しが気に懸かって弘之は彼女を見返す。

　アイリーンは首を振って苦笑すると、

「バートはいい先生よ。学ぶ気があるなら、ここの地球考古学科にいらっしゃい。あなたにとって、損にはならないはずよ」

恐らく、直前まで思っていたのとは全く異なることを、彼に伝えた。

「じゃっ学食、すぐそこの建物だからッ」

「えっ？　あっ」

　アイリーンは真面目なことを言った自分に照れた様子で、すぐにまたおどけた態度で手を振った。

　弘之の返事など待とうともしない。

　彼女は既に、リー・ファの後を追って駆け出していた。

「って、どーすんだよ、これっ」

　残された弘之は、ポケットに手を突っ込んで小さく呟く。

　ロム達は、用事が済んだらここに戻ると言っていた。勝手を知らない自分がいなくなっていたら、さぞ慌てることだろう。

「ま、いーか」

　けれど、弘之は歩き出した。

　船長達は決して「すぐに戻る」とは言わなかった。「ここを動くな」とも。

「きつねうどんかぁ」

　そういえば、もう何年も食べていない。同系の文化を持つ船員は多くても、食事は洋食になりがちだった。こんな時ぐらい、懐かしい味を求めるのもいいかもしれない。

　弘之はもう一度、目に慣れない桃色の空を見上げる。

　

　異なる世界、異なる惑星……異なる文化レベルのこの場所で、遠い日の思い出に巡り会う。そんなことも、悪くはない。

　弘之は学食と教えられた建物に向けて走り出した。

　食べ物を思った途端、空腹な自分に気付いてしまったからだ。

　その顔には、年相応の笑顔が浮かんでいた。

　離れ小島で拾われてから、一番の、無邪気で幸せそうな笑顔だった。

　

　

　

　

――――アイリーンと別れてからきっかり二時間後、ロム達四人は中庭に戻ってきた。

彼女が予告したとおりの時間。

上島弘之が「アイリーン・シルヴィア・エヴァーズ」という
飛翼族の存在を知らされたのは、それから数分後のことであった。

　

目次

使用素材配布元：Cha Tee Tea