その邸宅は、ある街の郊外にあった。周辺の宅地に並ぶ住居と比べると、敷地も広く、レトロな建築様式は、豪邸と言う名を冠するに恥じない。
だがしかし、この邸宅を「豪邸」と呼ぶ者は、誰一人として存在しなかった。
それというのも……
鞠花は顔を引き攣らせて、足早に生垣の前を進んでいた。
生垣、とはいうものの、人の手を放れて久しいそれは、鬱蒼と茂り、陰鬱な雰囲気に一役をかっている。
彼女自身が聞いたわけではないのだが、嘗てこの屋敷に人がいた頃、とんでもない時間に爆音や奇声が響いたり、気味の悪い異音がしたばかりに、飛ぶ鳥が墜落 する有様だったと言う。また同じ噂では、怪しげな光やおどろおどろしい不快な臭いが充満したとか、煙も出ていないのに焦げ臭かったり化学薬品の臭気に、近 くを散歩中の犬やその飼い主が病院へ運ばれたなどともまことしやかに語られている。
そんな具合なので、人々は徐々にこの屋敷から距離を置くようになって、住む者が居なくなった現在は、次の買い手もつかずに見事な廃屋。ついた呼び名は当然「幽霊屋敷」となった。
そうして、この屋敷から人が居なくなったことについても、奇妙な噂が幾つもあった。
もとより怪しげで評判も良くなかったこの屋敷だが、その背景には、家の主が山師詐欺師ペテン師とどれだけ違うのか計りかねるような夢想を口にする発明家だったということがある。
けれどそこには一人の実娘と、二人の姪が同居をしており、彼女達が健在の間には、それなりに周辺住民との交流も図られていたらしい。
三人の娘は、一人は家事に長け、一人は近隣の道場に通い体術に長け、残る一人は夢見勝ちで、保護者の影響からいずれも理数系に強い頭脳の持ち主だったといわれる。
マッドサイエンティストの家に暮らす彼女らのことを、クラスメイトの中には揶揄する者もあり、そういった時に槍玉に挙げられるのは、一番年下の夢見がちな 少女。それでも彼女はやられっぱなしにはせずに、やられた分は後できっちりやり返していたというのだからなかなかにたくましかったようだ。
彼女達は実の姉妹のように(或いは、実の姉妹以上に)仲が良く、気立ても良かったので、件の怪音・怪臭・怪光に悩む近隣住民が彼女らの誰かに相談すれば、三人でうまく分担して発明家の暴走を抑えてくれていた。
だがしかし、その一風変わった均衡は、一番年下の少女が失踪したことによって崩れ去った。
一番年上であり、保護者の実子でもある娘は、半狂乱になって少女の行方を捜し求めた。その一方で、保護者たる発明家ともう一人の彼の姪は、ますます怪しげ な実験を繰り返すようになった。そうするうちに少女を捜していた娘もどこかへ消え、残された娘の通っていた、隣の道場の跡取り息子が行方知れずとなり、彼 を捜して内弟子の青年が旅に出るがこれも帰らず──身の回りで起きる失踪の多さに、残された娘はノイローゼに、道場主も心労がたたり、病に冒されて程なく 他界してしまった。道場には他に娘が一人在ったというが、彼女も相前後して何処かへ消え去ってしまった。屋敷が幽霊屋敷と化するより先に、こうしてまず道 場が廃墟となった。
屋敷には発明家とノイローゼの姪が残された。
ある日屋敷を一人の女性が訪れた。発明家の実の娘と同じ年のその女性は、 娘の親しい友人だったとある女性が姿を消したこと、これから自分もそこへと向かうのだと応対した発明家の姪へ告げた。女性が立ち去った後、入れ違いで探偵 が現れた。屋敷の一番年上の娘が依頼していた探偵事務所の調査員で、彼は依頼人の親友の従姉妹にも、同じ様子で失踪した者がある事を二番目の娘に伝えた。 彼は知らせなかったが、偶々近くを通りかかっただけの新聞配達員や、宅配ピザの広告配りのアルバイトなどの中にも、以後姿を見かけなくなった者は何人かい た。そうして調査員の話を聞き終えた最後の娘は、彼の目の前で幻のように掻き消えてしまい、二度と見つからなかった。
人々はいつしか彼女も亡霊となってこの地に留まっていたのだろうと噂しあった。
発明家がその後どうなったのかを伝える話は無い。
これだけの大量失踪事件が発生すれば、家宅捜索の一つも行われそうなものだが(実際行われたという噂もあるが)、屋敷には何の痕跡も見つけられずに、居なくなった人々の手掛かりも全て宙に消え──そして誰もいなくなった。
隣の廃墟──道場跡と合わせると、相当な面積が「幽霊屋敷」として荒廃した禍々しさを表しているが、今に至るまで何故か取り壊すこともできないまま(お祓いを何度も試したというが、効果があったようには思えない)、ここは町内の誇りたくも無い心霊スポット。
鞠花だって、こんな場所はできる限り通りたくは無い。
けれど、どうしても約束の時間に間に合いそうもなくて、近道を走ってみたらこんな所に出てしまった(無駄に面積がありすぎるのだからぶち当たってしまうの も仕方が無い)ので、ほぼ全力疾走にて通り抜けようと頑張った。だがしかし、この面積は半端ではなく、鞠花は途中で力尽きて足を止めてしまった。この分で は、どの道遅刻は免れ得ない。
しげしげと、木々の合間から見える屋敷の断片を眺める。
昼間だから未だ良かった。
夜にここを通りかかることなど! ──鞠花は身震いをして両肩を抱きかかえた。
ビュオウと強い風が吹き付けてくる。雷雨が、近付いているのかもしれない。
飛んできた木の葉を避けて顔を背けると、くらり、眩暈が彼女を襲い、そして──
それ以降の彼女を知るものは、この世界には存在しない。
そして彼女も、知りようがなかった。
この世界からは、やがて9割以上の人々が姿を消して行くことを。
それらの多くは、病気や事故で命を落としたのでも、誰かの殺意で命を奪われたのでもなく、ほぼ誰も彼もが、噂にあるあの最後の娘のように、忽然と、誰かの見ている目の前で姿をなくした。
消えたのは、人ばかりではなかった。
多くの動植物も次々と失われ、生態系は崩れ、気候は変動し、文明も文化も過去の遺物と成り果てる。
僅かに生き延びた一握りの人々が、互いの存在を感知し、人類の再興へと歩み始めるのには、彼女が居なくなってから十数年の歳月が必要だった。
まるっきり「永遠の風景IF」って感じですね。
ふと思いついたので書いてみたのですが、代名詞ばっかりって表現しづらいですよねー
まあ、もともとの「永遠の風景」では主人公すら名無しだったので、らしいといえばらしい話なのですが。