「あ、君!」

 横合いからかかった声に李維が振り返ったのは、ちょっとした条件反射だった。

 歓楽街を離れ、宙港のゲートまで後少し。当然、こんな夜更けに作業の車も少なく、殆ど素面でまっすぐ歩いている人間は、李維ぐらいなものだ。

「君は、この先に泊まっている連邦軍の……?」

「―――それが、何か?」

 李維の服装(とりわけ、襟元に光るパイロット章)に目を留めて問いかけてくる男に、彼は不審げな眼差しを返した。

 見れば一目でわかる格好をしているのに、わざわざ確認してくるのが胡散臭い。軍の技術開発に関わっていた某大学教授の「事故死」がニュースのトップを飾ったのは、まだ軍関係者の記憶に大きな蔭を残している。

「あ、ああ。軍がどうの、とかいうのではないんだ! 先程歓楽街で見かけたときから気になっていたんだが……」

「は?」

 けれど男は、慌てふためいて首と両手を横に振った。

 そして、李維が思いもかけなかったことを問いかけてくる。

「もしかして、君は楊李花さんの……」

「母を知ってるんですか?」

「ああ、やっぱり!」

 男は、李維が訊ね返すと、心底嬉しそうに破顔した。

 

 

「息子さんが一人軍に入隊したと聞いていたし、そうじゃないかと……! あ、ああ。多分李花さんの方では覚えていないと思うけどね……古い、知り合いだよ」

 一人で喜んで、李維が眉を顰めているのに気が付くと、思い出したように彼の母親との関係を説明する。その言葉は、李維に次の戸惑いをもたらした。

 

「でも、火星の方じゃありませんよね?」

 その男は、李維の恋人よりほんの少し黄味の強い、標準的な金髪の持ち主だった。しかしながら、彼の生まれ故郷―――則ち、火星のブロンドは、風土の影響か、必ず独特の赤みがかった色になるのだ。

 男は狼狽えず、ほんの僅かに苦笑した。

「あぁ……仕事で、一時期だけ火星にいてね。その時に知り合ったんだけれど、李花さんはいわゆる高嶺の花って奴さ。みんなの憧れだけど、誰の手にも触れさせない。結婚を知って落胆したのは、二三人じゃ収まらなかったろうね…………その徽章は、パイロット章かい?」

「ええ、まぁ」

 強引な話題転換に李維は顔を蹙めたが、恐らく「落胆した」一人であろうこの男に、そのあたりの話を続けさせるのも居心地が悪く思え、頷きを返した。

 

 男は遠い目をして言った。

 

「地球方面隊のBCSパイロットか……李花さんもさぞかし鼻が高いだろうね」

「いえ、別に」

 李維が返せる言葉は少なかった。

 確かに、連邦軍におけるBCSパイロットは誰もが一度は憧れると言われるほどの花形だったし、その上、連邦本部を守る地球方面隊となれば、なりたいといって簡単に配属させて貰えるようなところでもない(と、世間一般には思われていた)。

 けれどそもそも、彼が士官学校への進学を希望したとき、両親は揃って息子に考え直すように説得してきたのだ。

 それが、鼻が高いなどということのあるはずもない。

 

 

 そんな李維の態度に、男はまた、ほんの少しの笑みを浮かべた。

「君は本当に、李花さんによく似ている―――引き留めて悪かったね。そろそろ、私も戻るとするよ」

 何処からか、誰かの足音が近付いてくる。

 それを頃合いとしたのか、男はそう言って李維に片手をあげた。

「いえ、それじゃあ、お気をつけて……」

 李維はぼそっと返礼した。

 

 黒髪黒目は確かに母親の遺伝だった。だからといって、周囲の人間から母に似ているなどと言われた記憶など、彼にはない。軍に入ることに強く反対したのも、父親以上に母親の方だった。

 それなのに、今の男は、何故そんな感想を抱いたのだろうか……

 

 

 訝しげに眉を寄せた李維は、それから暫く気付かないままだった。

 その男が、(いくら李花が覚えていないだろうと思っていたにしても)李維に名乗ろうともしなかったことを。

 

 


home
 いつか企画か何かの時にアップしたものですが、MAX封印後WEB拍手のお礼に流用され、4月16日まで、お礼4SSの一つとして出張っていました。
 この際だからそのうちキャラリストもアップしましょうか。

(030212)

使用素材配布元:Cha Tee Tea