「俺は反対だ!」
だんっと勢い良く拳を叩き付けると、その弾みで重ねられた書類がスチール机の上に散らばった。
彼の剣幕に気圧されたか、部屋中の人間が呼吸すら止めてしまったかのような静寂に、空調設備とコンピュータの稼動音だけが淡々と鼓膜を刺激し続ける。
その室内には結構な人数が席を構えていたが、ただ一人、彼自身を除く全ての在席者の視線は突如声を荒げたハワード少尉に集中していた。
唯一の例外たるハワードが睨みつけるのは、極秘の判が捺された書類の一枚。それは紛れもなく、先程開かれた企画会議の席で配布された、新型機開発に関わる重要書類だった。
「……まぁまぁ、物に当たらんでくださいよ、ハワード少尉殿」
同じ書類に目を通しただろうに、落ち着き払っているどころか、苦笑すら浮かべて彼を宥めに掛かるのは、同じ開発部に所属する二つ年下のナウィン軍曹。年も 階級もハワードの方が上のはずなのに、その存在感やら威圧感やらは彼の方がはるかに高く、いってしまえば爺むさい印象のある男だ。
「君はなんとも思わないのか?! うちの……研究職の人間を、テストパイロットとはいえいきなり実働部隊に放り込めだなんて上層部の人間は何を考えているんだ!」
勿論身長含め体格も数段上のナウィンに掴みかかる勢いで、ハワードは声を荒げる。
怒りのために頬は高潮し、爛々とした眼差しは標的を軍曹の双眸に替えてより鋭さを増している。
それでも、ナウィンの苦笑に変化はない。
「落ち着いてくださいよ、少尉殿。別に敵さんと実践でドンパチやって来いって放り出されるわけじゃないでしょう? 新型機に精通した人間にデータ収集をさせろってのは強ち的外れな要求じゃないと思いますがね」
「だけど……」
少し不安げな声を上げたのは、未だ怒りに震えているハワードでも、彼を宥めようとしている軍曹でもない、細い声。
二人が視線を向けると、白衣の下にクリーム色のブラウスを着た小柄な女性が、寒さに身を寄せるような仕草をしながら件の書類を見遣っていた。
それは、共同開発を行うATE社のエンジニアの一人、ジュリア・ヴュラード。
彼女の様子に触発されて周囲を見渡せば、開発部員・ATE職員双方に彼女同様、釈然としない表情をした者達がいることに気付かされる。
「どうしてあの子なんでしょう……? 同じ開発部所属だって他に幾らでもっ」
「あなたもそう思うでしょう?! Msジュリア。なぜ、よりにもよって彼女が!」
ジュリアの両肩にがっしと手をかけて、ハワードは彼女の言葉すら遮りながら同意を求める。ジュリアは突然の出来事に暫し目を瞬かせたが、憂いの篭った表情で小さく頷き返した。
納得できない、その理由は彼女の戸惑いと同様。
そこここから、遠慮がちな同意の呟きが挙がる。
けれどそれは、彼のように怒りを爆発させるまでには至らない、ほんの微かなもの。既に決定された物事に反意を見せることは、軍隊のような強固な縦社会ではあまり歓迎されたものではない。
やれやれといわんばかりの溜息が、ハワードの背後で上がった。
「それは勿論、あなたたちを牽制する為、でしょう?」
だがしかし、実際に二人の疑問に答えを寄越したのは、平然と作業を再開していた別のATE社員の方だった。
「ディーシャ先輩……」
ジュリアが肩をつかまれたまま、困惑の眼差しを発言者へと向ける。
ディーシャ・チェスコワは整えられた爪先で眼鏡のフレームを軽く叩きながら、ルージュを引いた唇の端を上げ、意味ありげにジュリアとナウィン、それから数人の若者たちを眺めやった。
「メイフィールド教授は最後までシンクフェリンの軍事利用に反対していたらしいけど、流石のあなた達も、自分達のお仲間が搭乗するスーツに妙な仕掛けなんてできないものね?」
「そんなことっ!」
今度はジュリアが怒りに頬を染めるのを、ディーシャはごく冷静な瞳で見つめ返す。
サミュエル・メイフィールド教授───それは、宇宙鉱石から『サイフェル』と呼ばれる合金を生成し、更にそれを用いて新しいサイバースーツの中枢システム 『シンクフェリン』の基本を開発した、某大学の研究チームの中心人物だった。そして、たった今ディーシャから含みのある視線を向けられた、ジュリアとナ ウィンを始めとする数名は、ほんの数ヶ月まで、メイフィールド教授の下、件の研究チームに席を置いていた者達。即ち、最後まで自らの開発したシステムの軍 事利用を拒んでいた教授が「不慮の事故」により亡くなったがために、ほぼ力ずくで転籍を余儀なくされた者達なのだ。
結局彼らは、引き続き今までの研究内容を発展させるべく、一つ所に集められて地道な作業を続けてきたわけだが、上層部は当然、各開発チームのメンバーには彼らを監視する者を加えている。
何を隠そう、そのうちの一人が、ハワード少尉自身だった。
「俺達がそうしたいかどうかって問題じゃない。疑いがある以上予防線を張るのは当たり前のことだろう? ダチを苦しめたくなけりゃとっとと安定高性能のスーツを開発しろってこった」
ナウィン軍曹は些かの気負いもない口調で、周囲の人間を諭すように言う。
つり上がったジュリアの眉が、次第にハの字に変わっていく。
ディーシャは興味深げに彼らのやり取りを見守っていた。
「それに、あいつはメイ研時代も被験体の一人だったんだ。戦闘仕様になるからって今更別の被験体を見繕うよりは効率もいいだろうさ」
「だけどブライ!」
「しかし軍曹!」
未だ納得しない二人の声が重なった。
監視を任されているハワードにしてみれば、更に人質を出させるなど自分が役立たずとみなされたように感じるからなのか───? 確かに、それもないとは言い切れない。
ただ、それを上回る別の感情が、今回の決定を受容れ難くしているのも、また事実。
「彼女の身体能力はパイロットの適性と大きくかけ離れているんだぞ?!」
「だからこそ、新型の売りにもなるんじゃないですか。ただの素人が、短期間で即戦力に変えられるなら、戦局は断然連邦が有利になるでしょうね」
ディーシャの含み笑いが癇に障る。
「ディーシャ先輩! そんな?!」
「だからといって彼女が欠けたら研究そのものが遅滞するじゃないか!」
またもや、二人の声が重なった。
ディーシャはその事実をも、面白がっているようだった。
「じゃあ、パイロットとしての訓練と、こちらでの作業、両方ともを強要するおつもり?」
「っそれは!」
痛い指摘に、ハワードは言葉を詰まらせる。
感情論でいえば、白羽の矢を立てられた彼女への負担(身の安全)を案じる気持ちが大きくて、けれど立場上それをそのまま表すことができないから、研究者らしい言葉に包んで主張したことだったのに、これではむしろより大きな負担と犠牲を彼女に強いることとなってしまう。
そしてまた、大きな負担を強いればその分ミスが増えるという、しごく当たり前の現実問題も、そこには出現するのだ。
「あいつはそのつもりですよ。犠牲云々いうことまで考えてるとは思えないですけどね」
「ブライ?!」
静まり返った一同の中、またもや淡々と返された言葉に、ジュリアの声は最早悲鳴の域に達していた。
ハワードもまた、ナウィンの言葉に目を瞠り、先刻までとは逆の血の気の引いた顔を年下の軍曹へと向けた。
「……軍曹?」
そこにあったのは、ごく自然な口調の割りに、なんとも微妙に歪んだナウィンの顔。
「だってほら、あいつってば研究者ッつうかCSマニア……ていうよりむしろCSオタクだから、絶対こっちのチームから外されるのは納得しなさそうだし……自分作ったCSの最初の搭乗権を寄越されたって、きっと今頃小躍りしてるんじゃないですか?」
「「「う……」」」
彼らの葛藤とは別次元でさえあるナウィンの想像は、恐ろしいことに、彼女を知る全ての研究員(つまりは今この部屋にいる全員)に対して相当な説得力を持つものだった。
「なんにしても、今更言ったってしょうがないって事じゃないですかね」
「ヴィア……」
したり顔のナウィンが締め括る傍で、彼女を良く知るが故に今の言葉に大打撃を受けたジュリアが、しおしおと崩れ落ちながら件の友人の名を呟いた。
その日の夜、某所。
「まあ、タルフェ・ハワードにはこんな感じでいいんじゃないかしら?」
「ったく噴出しそうになるの堪えるのも結構辛いもんだよな」
「なによっ人の迫真の演技にケチつける気?!」
「や、お前とディーシャ先輩のやり取りは真に迫ってたぞ」
「ってかブーラーイィ? 人をますますメカフェチみたいに仕上げるなんてどういうことよっ!」
「っそーそー! あの落ちがもう可笑しくて堪らなかったんだって! レヴィア、ブライ、お前ら最高!!」
「あんたたち、声が大きいわよ。でもヴィア、本当に、平気?」
「どうにか、します。予定通りに」
「ブライ……頼むよ?」
「了解っす」
夜陰に紛れるように集まった彼らは、ブライ・ナウィンの言葉を後に、それぞれの戻る場所へと散開した。
これはまんま、砂上の「100のお題」に同じものがあります。というかお題がなかったらこのエピソードは生まれなかったかなと。
何が裏の裏なのかといえばまあそれは、上の落ちでわかりますよね?
(05-07-07)
使用素材配布元:Cha Tee Tea