「ねえ、トシ、覚えてる?」

 待ち合わせまでの時間潰しに入ったコンビニの一角。新商品の札付きで並べられたパッケージを見つけて、尊はふと口を開いた。

 それまで見ていたドリンクの棚から振り返った佐貫は、友人のあまりにも唐突な問いかけに反射的に首を傾げるが、転じた視線にどこか困ったような苦笑を浮かべる尊を捉え、次いで、彼の眼差しが見つめるものに気がついて、「あぁ」と相槌を打った。

 

「覚えてる。いや、ずっと忘れてたけど、思い出した」

 

「どうしてるんだろうな、今頃……」

 痛みを伴った眼差しをそれに向けて、尊が呟いたのは、恐らくは、独り言だった。

 泣きそうで泣けない、その表情を、見過ごすべきか否か、暫時迷ってから佐貫は溜息を吐く。

 「ずっと忘れてた」その言葉どおりに、佐貫が今の今まで封印してきた記憶を、彼はずっと、抱えたままで生きてきたのだろう。

 それは、あの時一緒だった仲間たちの、共通の罪の記憶。

 何かと理由をつけて自らの行動を正当化し、少しでも重荷を軽くしようと、例えそれがどんなに卑怯なことであったとしても、自分を許すことができていればそんな顔はせずに済んだ。

 しかし、まさに「その時」に風邪をひいて寝込んでいた佐貫は兎も角として、紛うことなく「当事者」の一人としてその場に在った尊にしてみれば、咎 める者がいないだけに自分の非ばかりが重ね重ね思い起こされて、自らを許すことも、その記憶を封じることもできずにいたに違いない。

 日暮園花という、かつては共に在った仲間を中傷し、彼らの友人や兄弟が負傷した原因を彼女一人に擦り付け、排斥してしまったという苦い記憶を。

「正直に、淳に話してみろよ。話して、謝りたいんだって、言えばいいだろ?」

「そんなことっ「園花が」」

 表情を硬くした尊の言葉を遮って、佐貫は続ける。

「どうにかなってしまってるなら、淳はきっととっくに、俺達と顔をあわせることなんてしなくなってる。だったら、どんなに謗られようと罵られようと 今更だろうと、謝ったほうがずっとマシになるだろ? 『本当は敵になんかなりたくなかった。ほんの少し、素直じゃなかっただけだった』って、伝えればい い。伝えようとしなくちゃ、いつまでたっても園花の知ってる味方は淳だけになる。俺達が負わせた傷を抱えたまんまで、たった一人の味方の淳だっていつも側 にいられるわけじゃないのに」

 ぎゅっと拳を握る尊の迷いを断ち切るように、佐貫は彼の視線の先にある菓子の箱をすっと取り上げた。

 

 尊の目線は動かない。

 

 二人の状態とはかけ離れた明るいコンビニの放送が、よりにもよって件の新作商品紹介を喚きたてる。

 気まずい沈黙に割って入ったものは、しかし、そればかりではなかった。

 

「どうかしたのかな?」

 佐貫が取りあげた箱の、丁度その辺りにひょっこり影が落とされる。

 揃って首を巡らせれば、待ち合わせの相手が、彼等をすぐ近くから伺い見ていた。

 穏やかに笑う彼が、何を思って集合をかけたのかは知れない。

 けれど、コンビニでする話題でもない尊とのやりとりを、丁度良いところで遮ってくれたことに、ほんの少しの感謝を覚えないでもない。

 いつかは決着をつけなければならない。しかしそれをこの公衆の面前で語ろうというのは───

 

「たいしたことじゃないさ」

 だから苦笑して、佐貫は首を横に振った。

 さらりと、彼が返すことによって、尊の表情もまた硬直を解く。

 間をつなぐ言葉さえ、煩うこともなくすんなりと口に出された。

「悪い、ちょっとぼんやりしてた」

「そう? あぁ、これ、また新作が出たんだ」

 相槌を打った章介は、彼らの態度を深く追求することもなく、佐貫の手中に興味を移す。

「つい買っちゃうんだよね」

 そして、同意を求めるというよりか何となく独りごちる口調に呟いて、彼もその棚へと手を伸ばす。

 たったそれだけの、何気無い仕草なのに、何故か違和感を覚えた。

 佐貫がそれに思い至るには、数秒で十分だった。

 一足先にレジへと向かう章介の背中を見送りながら、佐貫は訝しげに呟いた。

「あいつって、辛党、だよな?」

 問いかけに応じられる者は、此処には、ない。

 

 

 

 

「おっそいなーあいつら」

 眉をハの字に下げて頬杖をつく友人に、様子を見てくると告げたのは、待ち合わせの相手が最近贔屓にしているコンビニが近くにあることを、ふと思い出したからだった。

 顔を合わせるのは随分久しぶり。

 けれど、近況を伝えあっているだけ、章介の方が相手を見付けやすいというのも、彼が名乗りを上げた表向きの理由。

 案の定コンビニで目指す相手を見付けた章介だったが、二人の深刻な表情に気付き「まいったな」とばかりに眉を顰める。

 勿論、ふとした懐かしさに曳かれて彼等を呼び出した、のではなかった。

 それは決して楽しい理由などではなかったから、それに気付かれたなら、彼等は章介達の前に現れることに躊躇するかもしれない。

 その上に、彼等の態度如何によっては、一緒に来た友人が暴走するのをどうにか押し止めなければいけない。

 だから「まいった」のだ。

 苦い何かを含んだ笑みで一点を凝視する二人に、常とは異なる空気を感じて。

 章介はすぐには声をかけず、二人の会話を見守ることにする。

 

「正直に話せばいい」

 佐貫は諭すように言った。後悔を伴った痛々しい、傷痕の有り様さえが兄弟にそっくりな瞳で、表情には不釣り合いな品物を見つめる、その青年に。

「どんなに謗られようと罵られようと今更だろうと、謝ったほうがずっとマシになるだろ?」

 佐貫が語る言葉は、ただ坦々と紡がれる。

 哀れみを含んだ眼差しを伏せて、佐貫の手が亮の視線の先、茶色のパッケージへと伸びた。

 それに釣られて見て、章介は初めて、彼らの前に並ぶのが見慣れた商品であることを知る。

 

 そういえば、それは彼女が『いなくなる』前に、最後に出演していたCMの商品だった。

 だからなのか、それを差し入れると、いつも彼女は嬉しそうに懐かしそうに目を細めて、それが見たいばかりに新作が出る度友人と二人、暇を見付けては彼女のもとを訪れていたのだった。

 

 彼女の現在を案じていたなら、彼等に連想が働くのも無理はないこと。

 

 章介はこっそりと溜め息を吐いた。

 知らず、口許に浮かぶのは、自分に呆れたような苦笑。

 章介が巡らせていた危惧は、彼等が園花の事を覚えているわけないと、初めから決め付けていたも同然。

 彼等の問題に対しては、それに気付いてからはずっと中立なつもりでいたのに、いつの間にやら随分と園花に肩入れするようになっていたものだ。

 ならば、園花に肩入れしている自分が、現時点でこれ以上を盗み聞くのはフェアではない。

「どうかしたのかな?」

 章介は何食わぬ顔で二人の前に姿を現した。

 幸い佐貫は彼の余りにもタイミングの良い登場に疑問を挟むこともなく、

 即座に表情を切り替えて

「たいしたことじゃないさ」

 肩を竦めて見せた。

 続けて、尊もまた普段通りの笑顔を見せる。

「悪い、ちょっとぼんやりしてた」

 寸前までの眼の色を知っているだけに、章介にはそれが痛々しかった。

 けれどそれを露にする訳にもいかずに、章介はたった今それに気付いたかのように、佐貫の手中にあるお菓子の箱に目を移す。

「つい買っちゃうんだよね」

 彼の嗜好を知る者であれば、違和感を覚えるだろうセリフを、その違和感を、今日呼び出した用件についての予告代わりに彼等に残して、章介はそれを片手にレジへ向かった。

 

 ムースポッキー

 

 それを見て彼女を偲ぶ彼等と彼女達との蟠りが、今度こそ解けるようにと。

 先ほどまでとはうって変わった願いを胸に秘めながら。

 

 


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