「多田、晶子さん?」耳覚えのあるようなないような、少なくとも馴染みのあるほどでもない若い男の声で名を呼ばれて、多田晶子は思い切り、歓迎していないと分かる無表情にて首を巡らせた。
肯定の意を示す動作ではあるが、はっきりと声に出して応じるような愚は犯さない。それは、自らの持つ《力》に気付いてからの、破ることのできない習性の様な物で。
振り返った先の相手の顔に、晶子はあれ、と首をかしげる。
声同様に、馴染むほどではないが覚えのある、その容姿。
闇のような髪に、対照的なまでに白い肌。髪と同じだけの密度を感じさせる漆黒の目は切れ長で、涼やか。恐らくは、彼を目撃した人間の十人に八人は美形と称するだろう容貌の主は、彼女の記憶違いでさえなければ、つい最近、知り合った存在と同一のはずだった。
「《H2》の……」
「沙霧、要だ。一応、「初めまして」だろうな」
「あぁ、どうも」
いくらか表情は和らげて、けれども未だ十分に無愛想に会釈を返す。
晶子にとって美形というのは二通りの解釈のできる相手で、目の前にいるこの相手がそのどちらに分類されるべきなのかは判断がつきかねているのだった。
その基準というのは、美形を見飽きていて相手の容姿に頓着せず接するか、それとも、美形であることを鼻にかけ、おかしな仲間意識で以って周囲の人間を選別 したがるか。前者であれば好意的に対応する気にもなるが、後者のタイプは極力お近付きになりたくない、そう思ってしまうのは、まあ人情として間違ったもの でもないだろう。
特に晶子の場合は、普段の生活に実害が生じるケースが多々あるだけに、その判定はシビアなのだが。
「今日は一人なのか?」
沙霧の目線は、世間一般で美女と呼ばれる晶子の上には長く留まらず、少しだけ惑ったようにその背後のあたりを彷徨った。
「幾ら女子校だからって、四六時中くっついてはないですよ?」
一つだけ思い当たったその言葉と仕草の理由に苦笑を覚えて、そう返す。すると沙霧はますますうろたえた様に、視線を泳がせた後、
「そう、含みを持たせたつもりもないんだけどな」 微かな溜息。
ともすれば冷たい作り物めいた彼の姿が、それによって俄に人間味を帯びてくる。慌てふためいた沖野の動きがネジ巻き人形のように見えるのとは、丁度正反 対。連想して共通の知人(というよりむしろ彼との接点そのものにあたる友人)を思い描いた晶子は、そこで漸く腑に落ちるものを感じた。
「あぁ、沖野に、何か用事ですか」
ならば偶々見かけた自分に声をかけるのも道理と内心で頷き、
「今日は取ってる講義が違うんで、顔もあわせてないですよ。多分、あいつの方一コマ早く終わる日のはず」
相槌も待たずに、そう言葉を続けた。
それを聞いた沙霧は、そうかと頷いて後、別にたいした用事でもないと首を振った。そして、その動作の続きであるかのように、胸ポケットから名刺大のカードケースを取り出す。
「ついで、になって悪いが、預かってきた」
晶子の前に差し出されたのは、テレフォンカードに良く似た、銀色のIDカード。表面にホログラフのような加工でIDナンバーやコードネームが表示されている。
《湖泊》
それが、彼女に与えられたハンターとしての名前だった。
「あいつも、慣れるまでは大変だったみたいだが、どうにか頑張っているようだし、これからよろしく頼む」
カードを受け取ると、晶子は初めてそうと分かる笑顔を彼に返した。
「こっちこそ、あいつのこと宜しくお願いします」
「っ! じゃあまたそのうち」
笑顔の効果か台詞の効果か、それとも単に次の予定が詰まっていただけなのか、沙霧はその言葉を聞き届けると慌てた様子で踵を返した。
面白い先輩だな。
それが晶子の中での第二印象。
同時に、見かけや普段の振る舞いに寄らず結構過保護なのだなとそれが可笑しくて、晶子は受け取ったカードを口元に当てくくくっと喉の奥で笑ったのだった。
時間軸は同時アップのhis girl friendと一緒、夢幻戦域1の第7話と第8話の中間に位置するお話。
これはWEB拍手導入開始から4月16日位までの間のお礼SSとしてアップしていたものです。
(051106)
使用素材配布元:LittleEden