それから、更に十分後。
ようやく下に降りてきて、私は病室のドアをノックした。
こんこん……
「…………」
無言が返ってくる。
こっこの対応はっ……そりゃ、あのファンクラブな女の子達に見つかったら大変だ、とかあるのかもしんないけど。
でも、入れて下さいよね、私なんですから―――
その時、
「ねぇ、こないだ、沙霧さんにどっかの女から電話来たんだって、知ってる?」
「何それ。ヌケガケじゃん、それって。ったく誰だよ!」
「んなの、他校生に決まってんじゃん? んなせこいことすんの」
「あ……まさか、その女に呼び出された、とか……?」
「やめてよ! 沙霧くんがそんな誘い、のるわけないじゃん!」
等々、例の方々の声が近付いてきた。
う゛ぅっこれってば、めちゃやばいんじゃない? さっき一応顔合わせてるんだし、間違いなくこっちに来るよ!?
「入れっ」
ドアの奥から小さな声。
うう、何とかわかってもらえたんだ。
私はギリギリの幅にドアを開けて、病室の中に滑り込んだ。
えっ……ちょっと……何で!?
すぐ目の前に、全くいつも通りの格好をした沙霧さんが立っていた。
愛用の赤いウィンドブレーカーも着て、もう完璧ってところね。
「―――えっ?」
驚きのあまり、声を上げるのまで遅れてる。
だぁかぁらぁ、やばいんだってば、今は。
同じことを思ってか、素早く沙霧さんが口を塞ぐ。
「静かに……どう、なった?」
そして、殆ど音になっていない声で訊ねてくる。
いわゆる、唇の動きを読むというヤツで、何言われてるのかわかった。
私は口を塞がれたまま、こくこく首を縦に振る。
「あ、悪い」
それで手を離してもらえたので、同じくらいの小声で改めて質問に答える。
「応急で“封殺”処理してきました。本部の指示通り」
私が言うと、沙霧さんの目元がふっと柔らかくなった。
わ、笑ってる……沙霧さんが……
思ったことを、礼儀知らずな奴と思って欲しくない。そのくらい、彼が笑顔になるのは珍しいことなのだ。
「一人でよく頑張ったな」
加えて、頭を、撫でるみたいにぽんぽん軽く叩かれる。前代未聞の出来事だよ、もう、これはっ……
そんなことを思いながらも、やっぱり嬉しかった。
その後、私達はあたりが落ち着くまで(ファンクラブな皆さんが、他の階に人捜しに出払ってしまうまで、だとか、異変に気が付いた人なんかがざわめいてたの が、夢を見たことにされて笑い飛ばされ出した頃、だとかともいう)、組織のこととかお仕事の、専門的なことを話していた。
沙霧さんは流石先輩だということもあって、私のよくわからなかったこともいろいろしってたりして、また、こうやっていつもより長く話してみると、私の考えていたよりずっと気さくな人なんだってわかって、ますます偉大な人のように思えてきた。
それこそ、「大」を幾つ重ねても足りないほどに。
だから私は、思い切って多田のことも話してみた。
「……こういうわけで、支部の方にも伝えてるはずなんですけど、何の音沙汰もないみたいで、ちょっと困ってるんです……私も多分、いつまでもサポートやってばっかじゃいられないんだろうし……」
それを聞いて、沙霧さんは何故か複雑そうな顔をした。
(後で知ったことなんだけど、実はその少し前、私とコンビを組むパートナーってのがほぼ確定していたのだった)
「うぅ……ん、まぁ……俺も人事にいるわけではないけど……とりあえず、その人のこと、問い合わせておくから……」
そんな感じで、そこだけちょっと歯切れの悪い口調で言って、ひとまず話は終わりになった。
周りのこともあるから、とりあえず部屋を出ることにしたのだ。
本来、私は別な人のお見舞いに来てたわけだし……
もともと行くはずだった病室の方は、全く何事もなく、無事な状態だった。
私は「こんな長い間、どこ行ってたんだよ」と、よってたかって文句を言われてしまう。
多田の話では、やっぱり別れた後にも、細かいのはちらほら出てきたようで、「大丈夫って言ったのは誰だっ」と小突かれてしまった。
「でも、たいしたのじゃなかったんでしょう?」
開き直るしかないから、そう言ってやる。
おっきいのは大方、沙霧さんが片付けて下さっていたみたいだから。
おまけに私、まだかなり疲れていたから。
「そこで開き直る沖野ってば、極悪人」
瑞緒がぼそっと呟く。
「もとからだって」
「あのねぇ……」
桂子ちゃんの言葉に、思いっきり溜息……でも、ま、無事でよかったと、今は思っておいてあげよう。
みんな、完全にいつも通りだったんだから。
話がそれで終わればわりと美談だ。
だけど、世の中ってのはそんな風には動いてくれない。
なんやかんやしてるうちに、私が家についた頃には、もう六時を回ってしまっていた。
「ただいまぁ」とだらけた声で言って居間に入ると、ピアノの上に、無造作にのっけられた郵便物に目が止まる。
……私、あて?
「!」
ホームからの通信!
見た瞬間にわかって(とは言っても、表向き、普通の人にはわからないようになっている)、緊張する。
だだだっと部屋に駆け込み、急いで封を切る。
「―――!?」
それは、正式の、パートナー確定通知書だった。
当然、私の。
けど……
私が絶句してしまったのは、そんな理由からじゃ、なかった。
だって、だって……そこに書かれていたのは……書かれていたパートナーはっ……
私はその紙を握りしめ、再び家を飛び出した。
こんなのって、ひどすぎる。
こんな、完璧な、詐欺!!
私の脳裏に、昼間のFC連の言葉が甦った。
「どっかの女から電話が……」って、それじゃあ!
「どこへ行くんだ?」
地下鉄の駅に駆け込もうとしたとき、後ろから、声がした。
「どこって、決まってるでしょっ!」
反射的にそう答えてから、え? と立ち止まる。
今の、声?
振り返ると、そこには、バッグを足下に置いて壁によりかかっている、沙霧さんの姿があった。
「そろそろ、来る頃だと思っていた」
ぬけぬけとそんなことを仰る。
「ひ、ひどいじゃありませんかっ。知ってたんなら始めっから……!」
「どうせ、すぐにわかることだろう。それに、俺は人事じゃない」
更に淡々と言われた日には、沙霧さんの見方、変えてしまいたくなる。
一体何なんだっ? この人のノリは……
「イジワル……」
恨みがましい目で、じとっと見上げる。
人の心臓のこと、考えてくれたっていいじゃないですか。
ただのサポーターから、一気にランクの高い人のパートナーにされてしまった、こっちの身にもなって欲しい……
でも、沙霧さんは涼しい顔で見返すだけだった。
「じゃ、行くぞ」
そして、当然のように言って、沙霧さんは壁から身を起こす。
―――え? い、行くって、ど、どこにっ?
「家、帰るんじゃないのか? 途中まで送ってってやる。術の使い通しで、疲れてるだろう?」
……なら、始めから、もう一回来させるような真似はしないで欲しかった。
何だかなぁ……
「あ、りがとう、ござい、ます……」
辛うじて答えて、初めて、沙霧さんのすぐ横にHONDAのCB400が停まっていたことに気付く。
で、何で退院早々の人が、バイクで帰ったりするんだろ……
そんな疑問が頭をかすめる。
その時、フルフェイスのメットを手にした沙霧さんが、ふとこっちを向いた。
「言うの、忘れてたな。ハンターズホーム、NO.18764T25《狙撃手》こと沙霧要だ。宜しく頼む」
そして、私の新しい(というか初めての)パートナー殿は、メットを一つ放ってよこしたのだった。
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