久しぶりに対面した三田礼紀は、随分と男らしく大人びていた。沖野や浅沼、玖賀夫妻など特殊外交課の主要人物が乗るこの船に、まさか彼が同乗していたとは予想外で、話がある、と真面目な顔をした三田の言葉に頷いた沖野は、廊下の隅についていった。

 頻発する他勢力との争いから、このところ何処に出かけるにも同行していた沙霧は、今は側にいない。かつての仲間であり、道が分かれた今もなお浅沼から味方としての信頼を預けられている三田だ。警戒する必要はない筈だった。

「この世界から、消えてくれませんか」

 開口一番淡々と、三田は沖野にそう告げた。

「え?」

 何を言われたか、瞬間理解できず、沖野は首を傾げる。けれど三田は表情を崩さずに繰り返す。

「この世界から、消えてください」

「え、三田君?」

 沖野は頬をひきつらせる。彼は決してそんな冗談を言うような質ではない。思い詰めた瞳。それが彼の本気を悟らせる。

 沖野は拳を握りしめて亜麻色の髪の青年を見上げる。

「っどういう、こと?」

「今この世界は岐路に立たされています……他世界への侵略者となるか、平和的な発展を遂げるか」

「うん、そうだね。だからこそ浅沼次長や私達が走り回って事態の調停を進めてるんだ」

 沖野は頷いた。指摘されるまでもなく、彼女はその当事者。改めて言い含められる意味が分からない。

「その、調停を進めるにはあなたは邪魔な存在なんです。次元移動能力という研究材料がある限り、侵略思考の連中はあなたを取り込もうと、捕らえようとする。或いは、共存思考の名の下に、あなたの力を研究して自分達だけが利権を得るつもりだと、邪推する者も次々出てくる。

 あなたをこの世界で生かしていては、この世界の混乱はいつまでたっても終わらないし、やがて流れは侵略思考に押し切られてしまう。梁前さんや浅沼、草壁さん達がいくら抑止力として働いても、あなたの存在は悪い方向にしか作用しないところまで来ている。

 次元管理局の一員として、俺はそんなことを見過ごすわけには行かないんです」

「だからそいつに消えろと言うのか?」

 冷えきった声が、二人の会話に割って入った。

「要ちゃん」

 少しだけ沖野の肩から力が抜ける。

 三田は唇の端を歪め、笑った。

「あなたはいつもそうやって俺の邪魔をしようとする」

「関係ないな。お前の思惑に乗る必要もない。沖野、戻るぞ」

 無表情の中で瞳だけに怒気を含ませた沙霧が、言い捨てて沖野へと手を伸ばす。沖野は戸惑いながら、彼に一歩近付いた。

──ビシュッ

「っ!」

 次の瞬間、彼女の行く手を阻んだのは水の壁だった。

 驚愕して三田を振り返ったのは、沖野も沙霧も一緒。三田は歪んだ笑みのまま、

「あなた一人で沖野さんを守れるつもりですか? 俺一人からも、守りきれないあんたが!」

「愚問だな」

 挑発に乗った沙霧が力を込めた武器を構える。

 三田は水の壁越しにそんな彼をあざ笑った。

「無駄ですよ。あんたに沖野さんは守りきれない。だってそうだろう? 沖野さんが消えなきゃ行けない運命を──連中が征服欲を覚える世界へ沖野さんを導いたのはあんたなんだ」

「!」

「要ちゃんっ!」

 透明な壁の向こう、唐突に沙霧の身体が吹き飛んだ。

 沖野は身を乗り出すが、薄いようで強固な水壁と、彼女の腕を掴んだ三田が沖野の行動を妨げる。

「あなたが行ってどうします? 守られているなら、おとなしく引き下がっているべきだ。

 簡単に背後を取られるような護衛と、護衛の危機に駆けつける標的なんて、狙い放題じゃないですか」

「三田、くんっ!」

「だから、消えてもらうしかないと言うんです。悪く思ってくれても構わない。それでも、俺達には失いたくないものがあるんです!」

 沖野の攻撃手段を熟知している三田だ。

 彼女が武器に手を伸ばせないようにうまく身柄を拘束し、壁の向こうの沙霧には興味をなくした様子で沖野を見下ろす。

 いつの間にかついた体格差、腕力差が、容易に逆らうことを許さない。そして苦しげでありながら決然とした眼差しに見据えられると、沖野はどうしても本気で抗う気持ちが沸いてこなかった。

 振り返れば、水壁の向こうでほぼ一方的な攻撃を受けている、沙霧。せめて彼だけでも逃そうと、沖野は片手で不完全な印を結ぶ。

「……御っ!」

 手応えは確かにあった。

 水の壁が一瞬崩れ、けれど直後、厚みを増して復活する。

「そんな……!」

 沖野は愕然として三田を振り返った。

 彼女が使ったのは、対象の力を一時的に封じる術。それは確かに、彼に対して発動している。

 顧みずとも気配だけでそれは分かった。

 ならば今なお、彼我を隔て沙霧を攻撃し続けるその力は──

 水壁が崩れた瞬間に、彼女が感じ取ったのは、三田のものではない気配。勿論、攻撃を受ける沙霧ともまた違うその気配を、沖野は知っている。

「何で、双藍さんが……」

「利害の一致、かな。久しぶりでなんだけど、そんなわけで消えてもらえる?」

 呼ばれて姿を現した双藍波花は、言いながら片手間に沙霧への攻撃を続ける。

 そんないい加減な対応でも、彼女はたやすく沙霧を圧倒する。

 歴然とした実力の差。よくある少年マンガの(しかも悪役の)台詞ではないが、沙霧が弱いのではない。波花が強すぎるのだ。数々の死闘を潜り抜けてきた彼女の経験は、時に沖野のそれをも凌駕する。

「そう、簡単には!」

 沙霧は苦痛に歪む顔で必死に反撃の機会を伺う。けれど。

「海の上で、水使い二人と張り合おうって言うのが、無謀なんだよ」

「グアッ」

 激しい水流に直撃された沙霧は、天井に、壁にぶつかって力なく倒れ伏す。握りしめた拳に込めた力が、辛うじて彼の意識が残っていることを証明している。

「要ちゃん!」

「沖野さん」

 三田は強く沖野の腕を引いた。

 水壁から、沙霧からの距離が広がる。波花もまた沙霧に背を向けて、沖野を廊下の隅、最初三田と話をしていた位置から、更に壁際の、観葉植物の陰まで押し込んだ。

 三田にさえ力負けした沖野が、波花にかなうはずもない。

 二人の水使いに見下ろされ、沖野は惑う目で彼らを見上げる。

 全体、何が原因でこんなことになってしまったというのだろうか。

 沖野にとっては三田も波花も、共に苦難を乗り越えてきた仲間だった。それが今は、口を揃えて消えろと言い、沙霧を手ひどく打ちのめす。

「どうして? 何で三田君や双藍さんが要ちゃんを攻撃するわけ? 消えろって、どういうこと?」

 沖野は混乱する頭で必死に言葉を紡ぐ。

 苦渋に満ちた三田の瞳、諦観したような波花の表情。さらに何か感情を加えた青年の視線が、沖野を捉える。

「邪魔を、するからです。次元移動能力者である、貴方をこの世から消すのに、沙霧さんは邪魔だった……俺一人ではあなた方二人を相手にするのは分が悪かった、だから俺が、双藍さんへ協力を頼んだんですよ」

「協力って言うか、半分脅しっぽかったけどね」

 ぼやく波花。しかし隙なく沖野の退路を断つ。背中を向けているが、彼女ならば背後の沙霧の動向にも気を配っていることだろう。

 波花は片手に弾ませていた何かを、掴み上げた沖野の手首に押し当て──

 ガチャン

「うあっ!!」

 はめ込まれるのと同時に、沖野の全身から力が抜けた。

 身体全体を支えるのが精一杯、周りへ張りつめていた気力までが削ぎ落とされ、無性にだるい。

「いつかの大佐や智以名の気持ち、今ならわかるよ。次元移動能力者が消えなければこの世界が狂うなら、私は君に消えて欲しいと願う」

「飛……沫」

 沖野は自分の腕と、それから波花へと目線を動かした。

 たったそれだけの行動に、随分体力を消耗する。

 波花が沖野の腕に填めたのは、彼女が飛沫と名乗っていた場所の一つで、上がりすぎていた能力を抑制するために身につけていたアイテム。戒めという意味の言葉が彫り込まれたそれは、波花自身の改造で、今ではより効力を増している。

 連鎖的にその時のことを思い出した沖野は、彼女に対して返す言葉を失ってしまった。

 その国の皇帝から、もし飛沫が留まることを希望したら? と訊ねられた沖野は、はっきりと答えたのだ。

 例え命を奪ってでも、元の世界へ連れ帰るのが自分の義務なのだと。

「こんな結果になってしまって、とても残念です。けれど梁前や草壁、璃光寺の人間が、巻き込まれて失われてからでは遅いんです。すみません」

「三田君……」

 一度目を閉じて息を吸い、再び目を開けたときには、何故か心は落ち着いていた。

 長く生きたとはとても言えない、けれど波瀾万丈だった生活。世界の命運というとてつもなく大きなものと引き替えに消えてなくなるとは、また随分と壮大な話だ。

 沖野の脳裏に浮かんだのは、かつて同じ選択を突きつけられた赤毛の青年。

 散々扱き下ろした彼と同じ選択をする事に苦笑が浮かばないでもないが、他の道筋があるというのならば目の前の二人がそれを見逃すはずもない。

 彼らが苦渋の選択を迫るのは、それが唯一で最善の道だからだ。

 そう受け入れることができるほどに、沖野は彼らを信用している。命の危機に曝された、この場にあってさえも。

 そして沖野には、彼らの語る言葉が切実に理解できてもいた。

「どうやって、消すつもり?」

 だから彼らに逆らう代わり、静かに訊ねた。

 息を飲む三田。瞳を揺らす、波花。

 沙霧は呻いているが、当分起きあがれそうにない。

「この船ごと、爆破します。

 貴方の細胞の一欠片でも、残っていれば連中はそこから研究の材料を作り出すでしょう。

 それだけは、避けなくちゃいけない」

「そして他の人達は三田君と双藍さんの力で脱出させる?」

「ちょっと違うかな」

 否定を返したのは波花だった。

 沖野の推測通りであれば、二人が襲撃の任に就いたのは合理的。

 水使いたる彼らであれば、海中へ脱出する乗客や乗組員を安全に移動させられるはずなのだが。

「次元移動能力者は、君だけじゃないでしょう」

 睫を伏せて、波花は指摘する。

 沖野が故意に目を背けていた事実。

 念を押せば、逆に危険に曝すかもしれないと、敢えて名を挙げることを避けていたのは無駄だったようだ。

「玖賀夫妻……いえ、玖賀美姫。

 あの人の所には、俺の仲間が行っています。

 俺より優秀な人達ですから、もうとっくに片づいている頃でしょう」

「っ! 玖賀さんは……? ずっと美姫さんを守ってきた玖賀さんが、そんなこと許すはずないのに」

「さあ、どうでしょう。邪魔をしたなら、無事では済みませんよ。俺達の職務は完全遂行が原則ですから」

「玖賀英治の性格なら調べたけれど、美姫を守りきれず負傷して、自分だけが救出を待つなんて事はないでしょうね」

 感情を殺し、淡々とした口調で二人は告げる。

一度は静まった沖野の心を激しく揺さぶる、容赦のない回答。

 心臓が破裂する勢いで脈動する。手をきつく握りしめようにも、今の沖野には力が入らない。

 今告げられたのは、そのままが沙霧の命運であってもおかしくはない。

 それなのに沖野には傍観することしかできないのだ。

自分を見捨てろと言って聞くような相手であれば、とっくにそれぞれが新しいパートナーで任務に就いていた。

 第一、完璧な任務遂行を目指す彼らが、目撃者である沙霧を生かすだろうか?

 長く共に戦ってきた三田がどうなのか、沖野にはわからないが、少なくとも本物の人間相手の戦闘を何度も繰り返してきた波花には、躊躇がないだろう。

 それが必要なことと確信した波花は、感情を振り捨てて相手の命を奪うことができる。

 その後で、どれほど苦しんだとしても。

 動揺でまっすぐに立っていられない沖野を、三田が支える。

 その腕が震えていたとしても、語り終えた彼が唇を噛んでいたとしても、成されてしまった事実に変わりはない。

 そして、これから彼らが成そうとしていることにも。

「っ!」

 不意に鋭い殺気が彼らの後方から突き刺さった。

 半身をずらした三田が、手のひらで一撃を受け止め、

「ぐああっ!」

 波花の攻撃が、沙霧を壁へと叩きつける。

 彼女の生み出した水塊は、バウンドした彼の体をその内に取り込んだ。

「かっ!」

 身を乗り出す沖野を、三田は押しとどめる。

 三田の手を貫通した沙霧の一撃は、壁に深い穴を穿っていた。

 避けなければそれは、三田の頭骸を砕いただろう。

 それなのにこの青年は、負傷したその手を無造作に払った。

「だから無駄だと言ったんです。

 俺を殺しても、今更何も止められない。海の藻屑に消える人間が、いたずらに増えるだけ。

 爆破の準備は、別動隊が進めてるんですよ?」

 歪んだ表情は、痛みによるものなのかそれ以外のせいなのか沖野にはわからない。

 言い聞かせた三田は沖野に向き直り、その手で彼女の目を塞いだ。

 まるで涙のように沖野の頬を濡らす三田の血液。沖野は泣けなかった。

 動揺はしたけれど、紛れもない現実だとわかっていたけれど、非現実的な光景を眺めているようで、他人事のように彼の言葉を聞いた。

「もうすぐ爆発が始まります。力を抑えられた貴方に、次元の狭間へ逃れる術はない」

 ぽたり、頬から床へと滴る血。鼻につく鉄の臭いが、沖野の思考を麻痺させる。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、傷つき倒れるパートナー。

 今よりも十歳近く若い姿は、かつて別の世界へ転落した時のもの。

 力が欲しいと、あの時沖野は初めて切実に願った。

「爆発に巻き込まれて悶えずにすむよう、俺が一瞬で終わらせます。

 寂しがらないでください……悔しいけれど、すぐに沙霧さんも同じ所へ送ります。

 貴方を一人には、させませんから」

 優しく囁きかける、三田の声。

 沖野の頬を、衣服を染め抜く赤い液体。

 そんな場合ではないのに、沖野は彼が貧血を起こすのではと心配になった。

 彼女の思考は脈絡なく、過去の出来事へ飛ぶ。

 異世界からの帰路、左手につけた結晶が弾けとんで、別の世界へ転げ落ちたのは、波花だ。

 悶え苦しむ彼女と、体中が崩壊を始めた悲しい不死人。

 世界が混乱に包まれる中、彼の命が終わるのを二人で静かに看取った。

 さびた鉄の臭いと、腐り落ちていくタンパク質、コールタールのような、構成物質。

 或いは──黄金率を体現した肢体の主。執拗に彼を狙う異形──命を狙われた皇子。人の命の重さを量れない、歪んだ天才。

これまで彼女が関わってきた多くの世界、多くの人々。

 ああ、これが走馬燈かと沖野はぼんやり思った。

「これが、本当に最後」

──どくんっ

 心臓が勢い良く跳ね上がって、彼女の視界が一瞬で白く染まった。

体中の水分が、水使いの指令に従ったのだ。宣言通り、それは一瞬のできごと。

 次の瞬間、その場にいるすべての人間を揺るがして船底から爆発が始まる。

 力も意識も失った沖野の身体を一度だけ抱きしめて、三田は彼女を安定しない床へ横たえる。

 波花はその脇に、気を失った沙霧の長身を並べた。

「悪く思っても構わない」

 三田はもう一度呟いて、二人をその場から抹消した。

 

「潮時だよ」

 波花は佇む三田に声をかけた。

 スプリンクラーが狂ったように水を吐き出し、傾いた床、廊下の先の方からは海水が進入し始めている。

仕掛けられた爆薬は連鎖的にあちらこちらで爆発を繰り返し、船内に留まる者達の退路を限定する。

 彼らの居る場所は、完全に孤立していた。

 三田は傷ついた手を握りしめて頷く。

 片手を振り上げた波花が、逆に辺りの水を利用して、近くの壁を突き破る。

 怒濤の海水も、彼らには何ら妨げにはならなかった。

水流を隠れ蓑にして、二人は沈み行く船から身を眩ました。

 外交省籍の船を襲ったテロリストとして二人の名が世間に公開されたのはその数時間後。

 行方不明または死亡者として、浅沼次弘特殊外交課次長や玖賀英治特別地区駐在大使など重要ポストの人物の名がいくつも挙げられたが、いくら関係筋が血眼になって探しても、どの遺体も回収することはできないまま、一月あまりで捜索は打ち切られた。

 そして三田礼紀と双藍波花、二人のテロリストの姿も、ついに発見することはできなかった。

 

「ったた!」

 消毒薬を容赦なく吹き付けられた三田は、椅子の上で跳ね上がって痛みを訴えた。

「自業自得」

 冷たい目でねめつけるのは高内瑞穂。消毒スプレーを片手に、三田の左手を片手にそれぞれ掴んだ彼女が、彼を涙目にさせた張本人だ。

「全く、航海士が手を負傷するなんてバカじゃないの?」

「あはは、ごめん。うん、自分でもバカだと思うよ」

 ぷりぷりと怒る彼女に、三田は苦笑い。

 瑞穂は薬を塗布した湿布を患部に押しつけ、手荒く包帯を巻き付けていく。

 腕に布を巻いているので大分ましになったが、戻ってきたばかりの彼は血塗れで、ドクドクと流れ続ける血が三田の足下に血溜まりを作らんばかりだった。

 当然未だ彼は青白い顔。

 それなのにヘラヘラ笑う三田に、瑞穂の同情が呼び出される余地はない。

「全くカッコツケにもほどがあるな」

 隣室から戻ってきた波花が瑞穂に同意すると、

「なーんか三田さん、今回は随分ノリノリだったよなー。すっげ、イメージ変わりそう」

深く頷く上島。

 三田の負傷に一番衝撃を受けたのは、恐らくこの少年だろう。

 三田は早速手当された手を動かして、絶妙なタイミングで目の前に出されたマグカップを取り上げる。

「……ロム?」

「けが人に刺激物を与えるわけにゃいかないだろーが」

 いつものコーヒー、と思いきや、湯気を立てるホットミルク。

 三田が半眼で見上げると、ロム・ウェードは肩を竦めて返した。

 からかうような表情をしているが、目は真面目だ。

 口には出さないが、彼も三田の負傷を快く思っていないのだろう。

 三田は両手を挙げて降参の意を表した。

「心配かけたことは謝るよ。けど、俺なりにけじめを付けたかったんだ」

「やっぱり、わざとだったんだ」

 ぼそりと呟く上島。

「それがカッコツケだって言ってんのよ。さしずめ、あの人を抹消する代償とか、くだらないこと考えてたんでしょう」

「くだらないかな?」

「まあ、感傷ってやつだな」

 三田が首を傾げると、ロムは端的に返した。

 わずかに眉を寄せて、いつもならば上島少年にそうするように、三田の頭に手を乗せる。

「気持ちは分からないでもないが、やりすぎだぞ?」

「ろくな反撃もされないんじゃ、できすぎだっていうのもわかるけどね。

 まさかあの沙霧要があそこまで弱いとは思わなかった」

「あんたが強すぎなんですよ」

 手の上で腕輪を弾ませながら波花が言えば、小声で突っ込むのは上島。

 すかさずニッコリ笑顔の波花は上島の背後から少年の両肩を押さえつける。

「私が強いんじゃなくて、あっちが弱いのだよ? 少年」

「あたたたたっ! 何するんですか双藍さん!」

 呆れた目線で二人を見遣って、瑞穂は自分のカップを取り上げる。

 ずっと音を立てて一口。それから男二人を睨みつけ、

「変な同情やめてよね。礼紀の怪我なんて全くの無駄じゃない。

 ヘラヘラ笑ってる暇があったら早いとこその顔どうにかして、せいぜい言い訳でも考えてたら?」

「心配してるなら素直にそう言った方が良いぞ?」

「ロームゥ?」

 茶化すロムに、地の底から這い上がったような低い声。

 三田はミルクを飲み干した。

 上島で遊んでいた波花も、遊ばれていた少年自身も彼を振り返る。

 三田は先程以上にいろいろな感情を詰め込んで、それでもやっぱり笑っている。

「はは……心配されるのは嬉しいけど、それこそ本当に自業自得だからね」

「ま、私も他人のことは言えない、か」

 同じ罪を負った波花にも、その表情は伝染する。

「ばっかじゃない」 

 空になったカップをデスクに叩きつけ、瑞穂はぷいとそっぽを向いた。

 

 

 

 

 


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未来が明るいなんてのは幻想で、けれど息もつけない真っ暗闇というわけでもない話。
多分本編から十年後くらいの話です。こんな内容ですがWeb拍手のお礼でした。

(080401)

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