コンコン、と半開きのドアを叩く音がして、瑞緒は鞄に手をかけたままで振り返った。

「よお、片付け、進んでるか?」

 恐らくはそれが完全に閉じられていなかったためだろうが、応えを待たずにドアを押し開けて顔を覗かせたのは、確か配属されたチームのリーダとか言う一つ年上の相手。

「はい、えと、青木さん」

 新米の自分に何の用だろうかと訝りながら、瑞緒はどうにか相手の名前を搾り出す。対面したのはまだ数えるほどでしかないから、名を忘れなかっただけでも奇跡的なことだ。

「っか。何か手伝うこと、あるか?」

 ちょっとしたお店屋さん状態の、彼女の身の回り。青木はそれに気を取られた様子で訊ねてくる。

 瑞緒は苦笑して首を振った。

 積み重ねられた本、本、本。実家に置いて来ればよい物を、手放しがたく担いできてしまった100% 趣味のシリーズ本を、上司に当たる相手に片付けさせるのは気が引ける。まだ、彼が自分の上司だという実感はわいてはいないのだが。

「大丈夫ですよー、これの他は大したもの無いですし。青木さんはもう終わったんですかー?」

「ああ、俺には必要ないから」

「そうなんですか? あ、じゃあ沖野とか片付け苦手そうだし行ってみると──」

「……いや」

 先の問いかけに対する反応から、まずいことを聞いたかな、と急いで次のネタを振ったところで、それが余計にドツボに嵌らせる発言だったのだと知る。

 青木はズズーンという擬音を背に負って両肩を落とした。

「俺の出る幕じゃない……」

「あ、あのー?」

「邪魔したな」

「へ? あ、え?」

 呟かれた意味がわからずに首を傾げれば、黒雲を背負ったままの青木は片手をひらひらと振って、とっととこの場から退散してしまった。

 まったく、ワケがわからないことこの上ない。

 疑問符を頭に幾つも浮かべ、瑞緒は開け放されたドアを見つめる。

「えーと、何が禁句、だったんだろう?」

 やってきたばかりの彼女には、誰に聞けば良いのかもわからない。

 

 

「あれ? どーしたの? 姉ちゃん」

 瑞緒がついぼんやりしていると、また新たに声を掛けられた。

 次に姿を現したのは、生意気そうな顔をした小柄な少年。確か名前は浅沼次弘。見た目通りの小学生だが、スカウトを受けたとき梁前に伴われていたので、この組織の中では先輩に当たる事を瑞緒も知っている。

「あ、えーと浅沼君。何でもないっていえば何でもないんだけど」

「なにそれ?」

 もごもごと答える瑞緒に、浅沼は変な顔を返す。

 瑞緒はかくかくしかじかと今さっきの会話について話してみることにした。

 

「……なるほどねぇ」

 話を聞き終えた浅沼少年は、年寄りじみた相槌を打った。

「なんてーの? 気付いてんだろーけどさ、姉ちゃん地雷踏みまくり」

 面倒そうに頭をガシガシ掻いて、それでも少年は瑞緒の話に付き合ってくれる。

 くつろげかけた荷物の間、二人揃ってしゃがんだのは、話し込む体勢。

「どーせそのうちわかっちゃうんだろうし、本人も隠してるわけじゃないから今の内に言っちゃうけどさ、青木さんとこって、次元の境界が曖昧になっちゃったせいでカテイホーカイしちゃってるんだよね」

「え……?」

 告げられた言葉の意味を思えば、少年の口調はひどく軽い。まるでそれがありふれた出来事であるかのように、浅沼は淡々と話を進める。

「次元の歪みに巻き込まれて母親は失踪、親父さんは荒れてアル中……どっかの病院で治療中って話だけど、本人に直す気がないんじゃあね。そんで、キョーダイ揃って施設の世話になるところ、二人とも潜在能力が凄かったから、スカウトされたんだって。

 だからさ、あの人はわざわざ片付けなんてする必要ないんだよ。だってもともとここに住んでるんだから」

「そんな……」

 瑞緒は言葉をなくした。

 彼の言っていることが本当なら、瑞緒はほぼ初対面ののっけから青木の地雷を踏みしめた事になる。

 青木は表立って不快の意を表すことはしなかったが、その胸中はどうだったのか。出会って早々に相手を傷付けたかもしれない後悔に、瑞緒は唇を戦慄かせる。

 そんな彼女を横目に、浅沼少年は目の前に積みあがった本を無造作に取り上げる。

「まあ、そんぐらい、組織の中にいたら良く聞く話なんだけどさ、沙霧さんだって似たようなもんだし」

 ぱらぱらと頁を捲りながら、少年はこともなげに言い切る。そんなことなど、まだ大した地雷ではないのだと。

「青木さんの妹ってさ、何年か前に殉職したんだけど、沖野の姉ちゃんと結構似てるらしいんだよね」

「え?」

 何か、普通ではない単語をさらりと出された気がして、瑞緒は聞き返した。

 少年は閉じた本を床に戻し、肩をすくめて見せた。

「け ど沖野の姉ちゃんって沙霧さんが拾ってきただろ? 青木さん的には目一杯構いたいのに、沙霧さんって言ったら梁前さんのシンパだし、梁前さんと青木さんっ てちょっと前まで支部の二大勢力っつって対立してたクチだし、沖野の姉ちゃんがサポートに付いてた時ならまだしも今姉ちゃんはしかも沙霧さんのパートナー じゃん。そうあれこれ世話焼くのも拙いんじゃない?

 沖野の姉ちゃんもさー、そこんトコ理解してるかビミョーだし青木さん一人でジセイしてうだうだしてるってのに、気にしてるとこピンポイントで突いたらそりゃ凹むよ」

「……」

 次々と飛び出す言葉を飲み込むのがやっとで、瑞緒はなかなか声を出す事ができなかった。

 浅沼少年は口を尖らせて軽い愚痴のように言う。

 瑞緒は気を落ち着けるように片手を胸に当てた。

 すー、はー、と深呼吸を繰り返し、そして。 

 

「……話はわかった。とりあえずまずグーで殴らせて」

「はあ?」

 怪訝な顔の少年の返答を待たず、

「てか殴る」

と、宣告と同時に、瑞緒はごちんと浅沼少年の脳天に一発、力の篭った拳を落とした。

「ってー! 何すんだよ、いきなり!」

「うるさい」

 頭を押さえて抗議する少年を、瑞緒はたった一言で斬り捨てた。

 動揺の色の残る潤んだ目で少年をキッと睨み据え、なおかつ彼女は自分の頭にも思い切りよく拳をぶつける。

 これには浅沼少年も度肝を抜かれた。

「い くら本人に隠す気がないんだとしても、周りの人間が勝手に言いふらして良い事じゃないでしょ?! よくわかってなくってうっかり聞いちゃったのはこっちだ し、私の失言なければ浅沼君が言い出すこともなかったかもしれないけど! もっとちゃんと人のこと、言っていい事と悪い事と考えてから喋らないとダメだ よ!」

 目を瞬かせる少年を、瑞緒は顔を真っ赤にして叱り付けた。

  仮令どんなに”良くある事”とみなされる事であっても、本人にすれば一大事である事は多い。それを外からの判断で軽々しく口に出してしまう事が、どれだけ 人を傷付ける物なのか──未だ小学生の彼にその分別を求めるのは酷なのかもしれない。けれどこの境遇にあるからこそ、できるだけ早い段階でわきまえるべき 事柄である筈だ。

 浅沼少年は不貞腐れた顔をしたが、文句は言わずに彼女の説教を聞いた。

 懇々と少年に諭しながら、瑞緒はこれからの前途多難な生活について、立ち向かっていく決意を新たにしたのだった。

 

 


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前半部分は5月18日から9月29日までの間のWeb拍手でした。
女性陣の中で、まっとうな説教スキルがあるのは実は瑞緒さんだけです。
沖野は叱るより怒る、多田は冷たくあしらう、笹本はウンザリするかあえて脱線させるって感じでしょうか。

(071114)
使用素材配布元:LittleEden