これは私がまだ一年だった頃、つまり、うちの学校が無残な運命を迎える前の話だ。

 

 その日は先輩方の都合で、部活が早く終わった。

 加えて、特に組織に行く用事もなくて、いつもの仲間達とふらふら本屋めぐりをしていた。いつもの、って言っても、この頃はまだ多田達とはそれほど親しいわけじゃなくて、一緒だったのは笹本と鷹尾女史、それに神奈川さんっていう同じクラスの面子。

 

 学校帰りに本屋めぐりなんて、すごく真面目そうに聞こえる?

 

 確かに、揃いも揃って「中身がしっかり入ってます」って言わんばかりに膨らんだ、通称「ブタカバン」提げていて、うちの半分がめがね着用ときたら、学習参考書か辞典コーナーにでも立っているのがお似合いなのかもしれない。

 けど私達が居るところといえば、漫画雑誌の並ぶとこかスポーツ誌のコーナー。ああ、あとはモータースポーツ?(F1が流行ってたんだよな、仲間内で)ファッション誌に群がることはなくても、勉強よりは趣味優先っていう、ある意味ごくありきたりの女子高生集団だった。

「沖野さん……」

 私がお小遣いの残額と買いたいものの優先順位について悩んでると、なぜか人目を憚る様な小声で呼ばれた。

「はえ?」(「はい?」と「え?」が混じった)

 顔を上げて振り返ると、それは、目当ての本を見つけて一足先にレジに行っていた神奈川さんだった。

 神奈川さんは眉を顰めて、店の中のある一点を示す。

「先程から、あちらの人が沖野さんのことじっと見ているようなんですけれど……お知り合いですか?」

え?

 促されて振り返った時には、私を見てる人なんて居なかった。

 別に慎重に盗み見ようとしたわけじゃないんだから、それも当然なんだけれども。

 

 私を……見てたような人?

 

 いや、別に知ってる人じゃないんなら、私が見たってわからないんだろうけど、こっちが振り返ると目を逸らすってあたりが気になる。

 まさか、「バイト」関係?

 神奈川さんも多分そのことを気にして、小声で教えてくれたんだろう。

 この学校に入学してからの付き合いだけど、一緒に居る時間が長い分、神奈川さんは私が持っている「人には言えない力」のことを知っている。そういうのに惹きつけられる、異形の存在が居ることにも。

 

 「それ」だっていうなら、じっと見てればなんとなくわかるぐらいの訓練は受けてる。

 けど、いくら探っても、「それ」らしい気配は見つからない。

 なんだろう?

 ただの人間だっていうなら、何で私のことなんて……?

 

「あ」

 

 考え込んでる私の横(というか、身長差からいって頭上)で、神奈川さんが声を上げる。

 

「ん?」

 彼女を振り返ると───

沖野、深雪さん?」

「え?」

「俺、覚えてないかなぁ。中学のとき委員会で……」

ええええええっ?! 本条先輩?!

私は後ろが本棚じゃなかったら五、六歩は後ずさっただろう。

 覚えているも何も。

 髪形が違ってたから一瞬わからなかっただけで。

 それよりも何よりも、向こうから今更声をかけられる可能性なんて皆無に等しいと思ってたから、だから、すごく驚いた。

 

 本条先輩は、私が一年のときに同じ委員会で委員長を務めていた、いかにも頭よさげな先輩だった。うちの不肖の兄のクラスメートでもあったから、何かと理由をつけていなくなる私の面倒もしっかり見てくれた、大層世話好きの、いい人である。

 

 まあ、それだけじゃないんだけどさ。

 

「そんなに驚かれるとは思わなかった。そのオーバーリアクションは相変わらずなんだな」

 苦笑した本条先輩は、ぽんぽん、私の頭に手を弾ませる。

「それやられると背が縮む気がするからやめてくださいって言いました」

「クセなんだよ。沖野さんの身長、丁度いい高さだから」

クセでもやめてください

 じと目で睨みつけると、本条先輩はやっと頭から手をどけてくれた。

 

 こうして見てみると、やっぱり本条先輩は本条先輩だな。ちっとも変わってない。

 

 私はむくれながら、その一方で安堵もしていた。

 先輩が卒業してからは、勿論会える機会なんてなくて、たまに、ものすごく遠い伝で噂話を耳にするぐらい。それ聞くたびに、成長しない自分との差がどんどん広がってく気がして、少し寂しさを感じてたから。

 

「最初見かけたときは「すっかり女子高生だなぁ」って思ったけど、やっぱり中身は変わってないのな」

「それはお互い様ですぅ!」

「沖野元気?」

 直前の話題はそれで終わりにしたみたいに、本条先輩は違う話を振ってくる。

 「沖野」ただそう呼び捨てるのは、兄のこと。始めは私を呼ぶときも「沖野の妹」って言い方ばっかりで、何度も抗議してやっと「沖野さん」って呼び名を獲得したんだ。

 私は関心薄そうに「生きてますよ」とだけ答えた。

 先輩はまた苦笑した。

 

「誠司!」

 暫らくそうやって話してると、そんな呼び声が耳に飛び込んできた。

 先輩は顔を上げて

「おお。こっちこっち」

声の主に合図を送る。

 さっきまでの表情とは違って、「相好を崩す」見本みたいに、心底嬉しそうな笑顔。

 呼び方と先輩の顔だけで、それが先輩の彼女さんなんだなとわかった。

「いつものとこに居ないと思ったら、なあに? こんなところでナンパ?」

「ちげーよ。中学の後輩で、同じクラスだった奴の妹

「あらそうホント? このお兄さんに変なことされなかった?」

 お兄さんぶった言い方も消えて、ぶっきらぼうに説明する本条先輩を脇にのけて、その人は私の顔を覗き込んできた。

 ほんのりと薄化粧。

 制服を着ててもみっともなくならない、ぎりぎりのラインを心得てる人みたいで、制服と化粧っていう組み合わせが嫌いな私でも素直に好感が持てた。

「おいこら! 変なことってこんなとこで何するっていうんだ! というより、湊! 俺をどんな奴だと思ってるんだ?!

誠司うるさい

「えーと……」

「正直に言っていいのよ?」

 文句をいう先輩をよそに、もったいぶって見せる、私の態度で、その人はもう、本当になんでもなかったのだと確証が持てたんだろう。

 茶目っ気たっぷりの瞳で私に促してくる。

 可愛い人だなぁ。

 年齢も身長も顔の作りも自分より幼い相手に言われるのは複雑なんだろうけど、私はこの、先輩の彼女さんがとても可愛い人だと思った。

 

子ども扱いはされましたね」

「そういう時は相手をおじさん扱いしてやりなさい。言い返せやしないんだから」

「ナルホド」

「こらこら! 俺の後輩にそこで変な知恵を仕込むんじゃない! 行くぞ、湊!

 このまま居ても形勢が不利になるだけだって悟ったんだろう。先輩は湊さんの腕を引いて促した。

「もう、誠司! それじゃあね」

「友達と一緒のところ、悪かったな」

 片手を上げる湊さんと、先輩とに

「いえ、それじゃあ」

手を振り返すと、二人は連れ立って本屋を出て行った。

 

「沖野さん」

 話をする私たちに遠慮してか、近くの料理本コーナーに移動してぱらぱら本を捲っていた神奈川さんが、声をかけてくる。

「あ、ごめん。お待たせしました」

「いえいえ。今の方は、中学のお知り合いですか?」

 頭を下げると神奈川さんは首を横に振って、尋ねてきたので頷いた。

 

「うん。中学の先輩で……」

 そこで言葉を切ってから、どうしようか迷った後で、少し小さな声で白状してみた。

 

「当時、好きだった人、かな」

「ナルホド」

 色々と納得したような表情で、神奈川さんは先輩達の消えた出入り口に目をやった。

 私は神奈川さんと同じ方向を見ながら、湊さんみたいな女子高生になれたらいいな、と、まだ少し手になじんでいないカバンを、しっかりと持ち上げなおした。

 

 


 

 

 バタン。

 駐車場にあった、赤いマーチのドアが閉まる。

 運転席と助手席でシートベルトに手を伸ばすのは、まだかなり若い男女。

 赤いボンネットにはワカバマークもよく映える。

 

どうだった?」

 訊ねたのは、助手席に座る、ブレザーの青年。このあたりの者なら、どこの制服か知らない者はないだろう、有名私立の、高校生

 カチリとベルトを締めて、肩にかかった髪を一払い。そうしてから、運転席の女性は彼に頷きを返す。

 

「確かに。青木高と接触のある子だったわね」

やっぱりなどうする?」

懐柔、できそう?」

「あの子は、剣道部だったんだ」

「それがどう───あぁ。流石のあんたでも、沙霧要相手じゃ分が悪いって?」

「そんなことは言ってない!」

 青年は少しむきになって言った。

 ふふ、と笑って、女はキーを回す。

「頼りにしてるわよ、"センパイ"。向こうの目を盗んで青木君を捕まえるには、あんたの働きが不可欠なんだから」

「お前に言われなくとも、わかってるさ。あの能力者は是非とも押さえておきたいからな」

「それで、あの子はどんな能力者なの?」

調査中、だってさ。青木が絡んでるんなら、同系統なんじゃないのか?」

 青年はそれにはあまり興味がないようだ。

「ふぅん? じゃ、一緒にいただいちゃう?

「もともとそのつもりじゃなかったのか?」

そればかりを言ったんじゃないんだけど

 滑り出した車の周囲に気を配りながら、彼女は可笑しそうに笑った。

湊?

「まぁいいわ。取り敢えず、これで面識はできたから。頑張りなさいよ? 誠司君

「だから何なんだよ?」

 憮然として問い返す青年───本条誠司に、含みのある横顔を見せて、は愛車をラッシュの波に割り込ませた。

 

 


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 何だか女性陣強いなぁ。
 この話は、砂上で手をつけた「100のお題」(その1「女子高生」)ということで考え出した話です。
 本棟側だけの特典(?)として、本条先輩と湊さんのその後のやり取りが追加されてます。
 これがあるかないかで、二人に対する印象はがらりと変わるのでは、と思います。
 そう。彼らは、1でその存在が示唆されていながら、本編ではまったく出てこなかった「とある側」についている人達。
 この付け足しで、高さんと沙霧が特別な目で見られてるんだよっていうことをアピールしてみました。
 因みに、沖野は、本条先輩(二つ上)が卒業した後に、H2に正式加入しています。
(「剣道部→沙霧と関連」というのは、「あの沙霧が女の子を連れてきた」が割と噂になっていたのと、彼が弓道、つまり、武道をやっていたという設定によります)
 ああ、設定が設定を呼ぶ〜(そして湊フルネーム考えてない〜・笑)
 ※2006年1月追記:湊さんのフルネーム決定しました。そのうちどこかにひょっこり出てくるかも知れません〜

(030606)
使用素材配布元:LittleEden