「忍〜明後日の学祭のことなんだけど」

 勢いよくドアを開けて飛び込んできた女に冷たい一瞥をくれて、梁前忍はディスプレイに向き直った。

「忙しいんです、後にしていただけませんか?」

 大人をもひるませる冷気を孕んだ声に動じることもなく、女―――一ノ瀬双葉は梁前の隣へしゃがみ込む。

 

「まーた、あの中学生のこと? ホント、ずいぶんかってるよねェ。あんたにカノジョ居たら、 もっすごくシットされそなくらい」

「カノジョなんて面倒なもの、作る気などありませんよ」

 キーボードに凄まじい速さで打ち込みながらの、即答。双葉は少し疲れたような笑みを口元に張り付けて「そりゃねぇ」と呟く。

  二重生活を送る身には、普通の恋愛をするべくもなく、かといって、体面として適当なつきあいをするにも鬱陶しいことがありすぎるのが、彼の容姿。ならば、 彼の表裏の顔を知っている相手と付き合えばよいのかというと、真剣な交際になればなるだけ、互いの「仕事」に支障を来しかねなくなる。あまりにも、リスク が大きすぎる。

 仕事でのミス―――それはとりもなおさず、死の危険性を示唆するものなのに。

 

 

「彼には立ち止まっている時間などないのです。今のままの彼では―――換えの効く単なる部品として、組織の中に埋没してしまう。大がかりな組織で立ち回るには、要くんは血気に逸りすぎています」

 淡々と、けれど眉を寄せながら語る梁前の言葉に、双葉はクスリと笑みをこぼした。

 

 

「あの子が血気に逸ってるだなんて、そんなことが言えるのは忍くらいね。さすが、支部の『元祖クールビューティー』」

「皆何故外見に惑わされるんですか。大人びて見えても、あれは義務教育も終えていない未発達な子供です。その素質を持っていたとしても、未だ、組織を変える原動力には遠く及ばない。このままでは、旧態依然とした石頭達には好都合の、組織の顔にしかなれないでしょう。

 けれどそれでは―――彼女が命を懸けた意味などなくなってしまう。だから、彼をここで立ち止まらせるわけには行かないんです」

「……そう、だよね」

 いつしかPCを操る手を止めて、それでも彼女を振り返ることはせず、真剣に語る梁前に対し、双葉も真面目な顔つきになって頷いた。

 

 

 本来塔恭に居るべき二人がわざわざ仙蓼に移ったのは、それだけの価値を、ここにいる人材に認めたからなのだ。一時の感傷のせいで、人の命まで費やされた願いを、無為になどできない。

 

「私……やっぱり大学は塔恭戻るよ」

「……わかりました」

 ややあってぽつりと呟かれた言葉に、梁前は何の感慨もこもらない、短い相槌を打った。

 希少な次元移動能力者を失ったときから、再三、帰還の催促が送られてきている。それに従うか否かは、数える気も起きないほど、何度も繰り返し話し合われた問題だった。

 

 

「今二人でここに残っていても、大した役に立つとも思えない。それよりも、私は塔恭に戻って、悟兄さんの繋ぎ役になるわ」

「目的を明確にするのはよいことです。そう簡単に事が運ぶとも思えませんけれどね」

「運んでみせるわよ。私、総務に回してくれるなら戻っていいって返答したの」

「……随分な暴挙に出ましたね」

 彼らを呼び戻そうとする動きがあるのは、それだけ、ハンターとしての能力を買われているから。二人まとめて呼び戻し、こき使おうと考えているだろう塔恭の上層部は、一体どんな顔をして双葉の返答を受け取ったのだろうか。

 流石に眉を顰める梁前に、双葉は満足げな笑みを浮かべた。

「私が総務になれば、パートナーである忍もきっと、裏方に回される。それも、いざとなったらすぐ助っ人に駆り出されるような―――」

「人事……ですか」

 双葉に解説され、梁前は納得の表情になった。

 彼女の狙い―――それは、本部と支部、その両方の人事の動きを掌握すること。そこを押さえておけば、今後の彼らの行動はずいぶん融通の利くものになるだろう。

 どちらにしても、彼らがコンビを解消せずに別の任地に留まるのなら、待機員として扱わなければならないことに代わりはない。

 表の顔(高校生徒会役員)でも優秀ぶりを発揮している彼女が、自ら待機中にも仕事をしたいと申し出ているのを、上層部がただ遊ばせておくようなことはしないだろう。

 それは、最年少理事を兄に持つ、梁前についても言えること。

 

「要くんのことだけど―――最近スカウトされた、D級能力者に会った?」

 それでその件には一段落着いたと思ったからだろうか。

 双葉は軽く肩を竦めて見せた後で、前の話題に戻って話を始める。

「いえ……D級なんて珍しくもないでしょう。一々覚えてはいませんよ」

 梁前が首を振ると、

「この子は知っといた方がいい。

 沖野深雪―――中2、剣道部所属。感知能力ランクE、身体能力総合ランクE、能力系統分別不能、ただし、呪具使用時には安定―――総合判定ランクD。備考、C++能力者《狙撃手》こと沙霧要により報告」

「分別不能で、ランクD、ですか」

 双葉が開いた個人情報に目を通し、梁前はまた眉を顰めた。

 

 普通、分別ができないというのは、あまりにも力が低くて測定不能であるか、逆に、あまりにも高すぎる潜在能力故に計測器の針が振り切れてしまうかのどちらかである。

 ありきたりのDランクで、かつ分別不能など、常識的には考えられない状態である。

 

「私の勘が当たってたら……この子はいわゆる、「器」っていうヤツよ。呪具で方向性を定めれば能力が発現するってあたりが、怪しいところね」

「……感応系能力者。もしそれが当たっているのなら、双葉さんがここに残る口実にはなるでしょうね」

「まさか! 馬鹿正直にそんな報告を出すなんて、忍が考えることじゃないみたいよ」

「そうですか……では、言い直しましょう。双葉さんが塔恭に戻ることを決めたのは、この能力者の存在を隠し通すため、なんですね」

 梁前が断定的に言って息を吐くと、双葉は沖野のデータの上に、別な人物の情報を重ね合わせた。

 

 

「言霊系能力はわりと応用が利くものが多い。確かに、彼の下につければ、そのものの能力者として育つでしょう」

 梁前にも見慣れた相手のデータは、ざっと流し見してすぐ閉じて、彼は初めて双葉へと向き直った。

 

―――けれど、それを行おうとする彼女の目的は?

 

 双葉は閉じられたデータを開きなおし、更に、別の人物のデータ、埋もれてしまった沙霧と沖野のデータを、四つ並べて画面に表示させる。

「要くんに拾われたこの子は既に、高くんとも接触してる。高くんはどうやら、この子の中に美弥ちゃんの面影を見出したらしいわ」

「それは―――」

「本当に感応系能力者なら、ね……」

―――彼女を第二の青木美弥に仕立て上げる気なのか、その問いを飲み込んだ梁前は、そんな単純なところでは終わらないはずのパートナーの真意を測ろうと、四人のデータを食い入るように見つめた。

 

 

 本当に感応系能力者ならば、青木高の思い入れに触発されて、次元移動能力をも手に入れることができるだろう。新しい「妹」をあてがわれた高は、今度こそ彼女を守ろうと、めざましい働きを見せるに違いない。

 けれど、それでは石頭達が考えられるレベルの策謀に終わってしまうだけだ。わざわざ彼女の能力を隠すまでもない。

 

 

「……そうして育て上げた彼女を、要くんに引きあわせるつもりですか」

 青木美弥の喪失こそが、沙霧要を停滞させている要因。失われた美弥を思わせる能力者に育った彼女は、沙霧に対しても大きな影響となるだろう。

 

 

「うーん……少し、違うかな。言霊系能力者としての外郭ができあがったら、この子には要くんのパートナーとして頑張ってもらうつもり。その頃には、私も忍も人事の主要な役職に入り込んでいるだろうから、難しいことではないはずよね」

「そうですね。パートナー決めくらいなら、多少工作できる身分にはなっているでしょう」

 双葉の決めつけに、梁前はこともなげに頷きを返す。

「パートナーになるときに、要くんにはこの子の本当の能力のことを話す。青木美弥の身代わりとしてじゃなく、この子自身に関心を向けた以上、要くんはどうにかしてこの子の変質を止めようとするでしょうね」

「……そういうことですか」

 

 

 今度こそ梁前は、得心がいった顔になって溜息を吐き出した。

 双葉にとって、この部屋に飛び込んできた瞬間からの、全ての言葉が繋がりのあるものだった。

 沙霧要の「今」をどうにかするのが梁前の役目ならば、双葉はその「近い将来」を視野に入れて動くことを決めたのだ。

 青木美弥を失って以来、周囲に対する関心を極端になくしてしまった沙霧が、このD級能力者のことを報告してきたということが既に、この少女自身に対する関心の高さを物語っている。

 青木美弥に対する思い入れの分だけ、沙霧は模造品の存在を認められないだろう。

 増して、その元となるのが、自分が関わりを持った別の少女となれば。

 

 

「結局、少女を失って崩れてしまったバランスを取り戻すには、重みも何もかもが違う、別の少女を、というわけですね」

「この子の能力を食いつぶさせないためにも、必要な措置になると思う」

「わかりました、こちらでも善処しましょう」

 

 

 梁前が頷いた瞬間、双葉は入室早々の明るい笑顔に戻って彼の肩に手を掛けた。

「それで、明後日の学園祭のことなんだけど!」

 

 

 部屋の壁に巧妙に配置された監視カメラが、再び「今」の映像を記録し始める。

 

 

 《電脳師》一ノ瀬双葉。

 彼女が梁前悟の片腕として名を轟かせるまで、後数年。

 そしてそれは……沙霧要が、H2総本山からの誘いを蹴ったのと、同じ年の出来事になる。

 

 

 


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双葉ってばコードネームが誰かと同じかも……

(20021211)

20071222改定

使用素材配布元:LittleEden