「それでは、今日の講義はこれまで」

 にっこり笑ったトラジェリア人の台詞を受けて、がたがたがたっと室内の大半は席を立った。

 年齢も服装もバラバラ、それにも拘らず一律的な動きを彼らが見せるのは、目指すところが似通っているためでもあるのだろう。

 ”トラベラー”の資格を得る為に沖野が履修しているこの講義に、これだけの受講生がいる事に、当初彼女は驚かされたのだが、よくよく話を聞けばすぐに思い違いに気づいた。

 机を並べる者の殆どは、自らの能力に見切りをつけるなどし、後方担当──人事や管理職への転身を志している者達だった。

 類似組織や関連組織、上層部と交渉を進めていく上で、トラジェリアという異次元、次元移動能力についてを把握することは必要不可欠──首都に近いこの都市にトラベラーを養成するための一連の講座が開かれているのにはそうした事情があったのだ。

 上級職を目指すのには必須であるこの講義も、しかし多くの受講者にしてみれば単なる形式上の科目。増して弁舌をふるうのが薄気味の悪い容貌の異世界人ともなれば、一刻も早いこの時間の終焉をこぞって待ち望みたくなるのも無理は無い。

 沖野はのんびりと机の上のものを片付けつつ、忙しない背中を幾つも見送る。

 始めに驚かされたといえばトラジェリア人がこの地に存在したこともなのだが、以前別のトラジェリア人と既に対面を果たしている彼女の中では忌避感など微かなもの、一般的な教師に対する好悪の波とさして違いの無いほどのものだった。

 

 

「えーと、何か、質問かな?」

 片づけを終えてもなお留まっている沖野に、リーハは首を傾げて訊ねる。

 沖野の目線は、彼の周辺を彷徨っていた。

 

「あ、実は気になっていたことが」

 促された沖野は、ゆるく笑って小さく手を上げた。

「下級妖霊っぽいのを使役してる人を見たことがあるんですけど、あれって……」

 どうなってるんですか? と言い切る前に、リーハはおやと片眉を上げる。

 彼女たちが言う”妖霊”と、彼らが敵とする”トラディネラス”がほぼ同義である事は、この支部に出入りする大半のハンターが知っているはずだ。にも拘らず、”妖霊”を使役する”人”などという言い方をしたのが奇妙に感じられたのだろうか?

 

【……ああ、そうか。次元の狭間に吸われた友人を追ってトラジェリアに入り込んだ子っていうのは、君の事だったんだね】

 少し思案するような間をおいた後、リーハは彼の世界の言葉で呟いた。

 沖野が越境受講を申請するに至った経緯は、この支部の関係者にも伝わっているようだ。

 

「不定形生命体そのものには判断力も何もないよ」

「不定形生命体?」

「自らの力だけでは確固たる形を作り得ない、脆弱な魂。だから歪みの影響を受けやすくて、君達には一緒くたにされてしまうのだけれど」

「そこいらからポコポコ湧いて来たり、襲い掛かってくるのも歪みの影響なんですか?」

 重ねられた問いかけに、リーハは苦笑した。

「近くの生命体に寄っていくのは、彼らの本能なんだ。トラジェリアにおいても、取り込んだ生命体の力を得て、初めて彼らは安定した存在になれる。増して、異世界においては、ね」

「なるほど……ん? て、いうか、それじゃあどうやって」

 判断力も何も無いモノが次から次へと襲い掛かってくる理由を改めて納得した沖野だったが、頷く途中でそもそもの問いに対する答えにはなっていないことに思い至る。

 リーハが最初から話を逸らすつもりだったからなのか、説明の途中で沖野が口を挟んだ所為なのかは、また微妙なところだろうか。

 

「えーと、何の話だったかな?」

「下級妖霊っぽいのを、どうやって使役しているのかと気になって……」

「ああ、簡単なことだよ。不安定な彼らは常に安定を欲している──一族ごとにその手段は違うけれど、僕たちは彼らを安定させてあげることで彼らを使役しているんだ」

「じゃあリーハも?」

 沖野はきょろきょろと辺りを見回した。

 そもそもの問答の始め、彼女がリーハの周囲に視線を彷徨わせていたのも、何かが見えないかと思ったためだったので。

「まさか連れて来ないよ」

 リーハは肩をすくめて見せる。

「トラジェリアに留まって安定してるのを、わざわざ不安定になる場所につれてきたら、制御が効かなくなるかもしれないじゃないか」

「はは」

 堂々と言いのける彼の言葉に、今度は沖野が苦笑する番。すまし顔で彼は続けた。

「それにここに連れて来ても、怖がられるか袋叩きにされるか、どっちにしてもろくなことにはならないでショ?」

 

「それは確かに」

 言われてみれば、頷くしかない。

 

 


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5月18日から9月29日までの間のWeb拍手でした。
同時期の拍手の付け足し部分がなかなかまとまらず、結果的に随分出遅れてしまった格好です。

(071118)

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