その日の任務は、始めから嫌な予感がしていた。
大降りの雨の中、出掛けるのが億劫なのは別にしても、だ。
「そこの人! そこから先は通行止めよ。”どこにも行けない、今すぐ引き返して”」立ち入り禁止の立札を無視して入り込もうとする一般人に、マイク越しに呼び掛けるのもこれで何度目になるのか。
ヒュプノボイスは苛々しながら目の前にずらり並ぶ監視モニタを睨みつけた。
「C地区殲滅完了! うー、早くしないと風邪ひくぞ」「りょうかい!」
ザっというノイズの後で入った通信に応じると、ライトセイバーは怪訝な声を上げた。
「なんか機嫌悪くないか?」
「べつに。残りは……A地区?」
誤魔化す様に言葉をつなぎ、目についた画像にヒュプノボイスは眉を寄せる。異常反応の測定マップ。安全性を示すグリーンの並ぶ中でそこだけが注意のイエローで塗りつぶされている。
「A? 珍しく苦戦してるな」
「波花……」
「じゃ、ちょっと行ってくるさ」
ライトセイバーはあっさりと決断した。
C地区からD地区に移動し始めていた位置情報が、言葉通りに反転移動を開始する。先にノルマを終えた方が梃子摺る方を支援するのはよくあることだ。指令車に陣取るヒュプノボイスはそれをただ承認すればよい。けれど。
「……」
「大丈夫だって。あいつはアクアコンプレッサだぞ? 雨はあいつの味方じゃないか」
答えない彼女を宥める様にライトセイバーは言う。
それはそうだ。水使いであるアクアコンプレッサが、豊富な水に囲まれたこの状況で苦戦する理由はない、本来ならば。
けれど、胸騒ぎがした。
位置情報を確認して愕然とした。
アクアコンプレッサは一時間以上前から同じ場所に留まっている。ヒュプノボイスの能力故に、必要最小限の時にしか通信をつなげない習慣が仇になった。
「──!」
慌ててコールしてみても、応答はない。
「とにかく行ってみるからな」
「っお願い、急いで!」
「はいよ」
ライトセイバーは応じると、移動速度を上げた。言葉は軽いが、強化能力を使用してまでの行動は彼なりに危機感を覚えてのものだろう。
そして二人は知るのだ。
「……冷静に、聞いてくれ」「──⁈」
「どこにも、いない」
「どういう、こと……⁈」
「エリアを三周した。奴らの陰も空間の歪みも今はどこにもない──よな?」
「……えぇ。オール、グリーン。でも波花は」
ヒュプノボイスのモニタには、ライトセイバーとアクアコンプレッサの位置情報が重なって見える。
「インカムだけ落ちてた。戦闘の痕跡は、ある」
「つまり……」
「あぁ。どこかに飲み込まれた、そうとしか考えられない」
「そんな!」
ガチャン! とヒュプノボイスは両手をコンソールに叩きつけた。はずみでライトセイバーとの通信が切れてしまったが、そんなことはどうでもよかった。
ヒュプノボイスは震える手でA地区の監視ログを確認した。
人ひとり、それも能力者を飲み込むほどの歪みならば何かは残っている筈──そんなものが存在しないなら、単純にライトセイバーが見落としているだけだ。
「そん、な……」淡い期待はすぐに絶望にとってかわった。
異常は確かに検出されていた。
ちょうど彼女が、一般人相手に交通整理紛いの対応をしていた頃。
歪みの発生は短時間で、だから彼女は見落としてしまった。
アクアコンプレッサが歪みに飲み込まれたのは、彼女がA地区に移って間もなく。今から一時間以上前のことだった。
勿論ヒュプノボイスやらライトセイバー、アクアコンプレッサはH2で言うところのコードネームです。
つまり、H2とは別組織の人達。
(160828)
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