途中、別なポイントに寄って予備の服に着替えた。
戦闘中に服が破れたときなどのために、各サイズが取り揃えられているのだ。
そうして三十分後、私たちは問題の施設番号283の扉の前にいる。
中がやけに騒がしい。
本当に、ここでいいのだろうか?
私と多田は当惑してドアを見つめる。
「どうかしましたか?」
その時、背後から声がした。
振り返ると、以前二、三度見かけた事のあるフリーのスナイパーがいた。確か、コードネームは《皓樹》とか言う。
「入らないと話ができませんよ」
その一言で、さっき電話の向こう側にいたのが、この人だった事を知る。
《皓樹》は、扉の奥の騒ぎに美しい眉を潜めた。
前に私は沙霧のお姉さんを美人だと言ったけれど、この人は、それに更に輪を掛けたような大変な美しい顔立ちをしている。薄茶色の髪は、おそらく、染めたの でも手を加えたわけでもなく、カバーしきれない紫外線の賜なのだろうが、それにしてはつややかで荒れているようにも思えない。
「何をしているんでしょう、次弘君達は……」
呟いて、彼はばっと扉を大きく開いた。すると──
「わっ!?」
「あ……」
「!!」
三つの反応が同時に返ってくる。
それと平行するように、私の目は正面のモニターに映し出されたものをとらえていた。
「た、多田……?」
思わず私は振り返る。
そう、そこに映し出されていたのは多田晶子にほかならなかった。
「………」
多田は無表情。無言で室内の三人を眺めている。
「おや、要君もいたんですか」
冷ややかな声で言ったのは《皓樹》で、それだけで室内の気温が突然に下がった気になる。
「り、梁前さん……」
モニターのすぐそばに座って、中学生くらいの子を押さえつけていた、やたら小柄な男の子が呟く。
その声は。
「あ─────────っあんた達っ!」
私は大声をあげていた。
その男の子は、げっと言う表情でこちらを見る。
「お、おねえちゃん……達……?」
やっぱり、それは公園のところで出会った小学生、浅沼少年だった。
そのうえ、その隣にはなぜか沙霧までがいる。
「これがどういう事なのか、きちんと説明してもらわなければなりませんね、要君、次弘君────礼紀君を放してあげなさい」
身を乗り出しかけた私たちを制して(おっと、多田は動いてないか)、《皓樹》は冷気をはらんだ声で言った。
よっぽどしっかり押さえられていたためだろう。三田君は軽く咳き込みながら、よろよろと身を起こす。
「あ、俺は…やめさせ……」
しどろもどろ沙霧は言う。
えーい、見苦しい。
「…ようとしたら、多田だったから思わず見入ってしまった?」
私が言葉尻を捕らえて言うと、沙霧は顔をこわばらせてこっちを睨んできた。
「どうです? 礼紀君」
《皓樹》は今度は、三田君に話を振る。口調が少しやわらいでいる。
「え、えっと……沙霧さんは本当、今、止めようとしていたんですけど」
「その前は?」
「た、ただ見てました。それで、そこのお姉さんが映った途端……」
「……分かりました。次弘君には酌量の余地はないようですね」
──直後。
びった──────ん!
盛大な音が室内に響きわたり、反動で浅沼君は吹っ飛んだ。
非常に素早く、華麗な手付きで《皓樹》が平手打ちを食らわせたのだった。
浅沼君は頬を押さえて、うめくように何か呟く。しかしそれも、《皓樹》に見られると覿面に収まった。
「さて」
瑞緒さん好みの《皓樹》の美しい顔が、私と多田とを振り返った。
「要君は、一応は止めようとしたらしいですから。お二人にお任せしますよ」
意地悪い笑みがなぜかハマっている。
言われて多田は、すっと前に進み出る。
「嫌な人ですね、沙霧さんって」
彼女は無表情に言うと、投げ出されたリモコンを取って画面を消去した。
沙霧の顔は凍り付いている。無理もないだろう。
多田はいかにも沙霧好みの、きりっとした美少女だ。そんな彼女に冷たく言い放たれてしまった日には、殴り倒される以上のショックかも知れない。
「沖野さんはいかがですか?」
《皓樹》は恐い微笑で促してくる。
よし。許可がおりているんだ。言いたい事を言ってやろうじゃないの。(さすがに殴るのは後が恐すぎるので)
私はずいっと近付いて行って、沙霧を見上げながらぼそっと呟いた。
「ばっっっっっかじゃない?」
普段言われ慣れていそうにない単語は、こちらもしっかりと効いてくれたようだった。
本当、いい気味だ。
「それでは、本題に入りましょうか」
まるで、何事もなかったかのような態度で《皓樹》が言う。それを合図に、誰もが居住まいを正してソファに腰掛けた。
「まず始めに……《電脳師》こと、浅沼次弘君──数少ない電子使いの中でも、極めて稀な力を持っているんです。と、パートナーの《水霊》こと水使いの三田礼紀君。それから、要君のパートナー《智依名》こと沖野深雪さんと、こちらは、《湖泊》こと多田晶子さんです」
《皓樹》はそれぞれに紹介して、自身を熱量使いの《皓樹》こと梁前忍だと名乗ってから、浅沼君の特殊能力の一部を解説し出した。
それは、電気的につなげられた空間を自在に操るばかりか、介入先の機械に同調することによって、そこで起きた出来事を見聞きし、情報を本体側の媒体へ表示 するという力。国家や営利目的の団体から見れば、喉から手が出るほどの、理想的なスパイ能力……その力を持つことへの重圧を感じさせない呑気な少年の表情 を、私は瞠目して見つめた。
「この、イメージを映像化したり、何かの向こう側を見抜くことができる能力というものは、非常に珍しく、将来にホールの向こうを調べる上での重要な役割を果たすものといわれています」
「なら、もっといたわってよね、梁前さん」
浅沼君がこっそりとぼやく。
三田君は苦笑して、それをこらえるように片手で口元を塞いだ。
三人とも、何でもないように振る舞ってはいる。けれど、それが本当なら、彼の力を手に入れるために、いろいろな方向から障害が襲いかかってきているはずだった。
私は、一見気弱としか思えない三田君の強さと、生意気にしか見えなかった浅沼君の明るさを、見直させられた気がした。
「次弘君」
《皓樹》が声をかけると、モニターに浅黄通りの風景が映し出される。
「これは、TV局のカメラに潜り込みましたね」
「ねえ、まだだめ?」
両手でしっかりリモコンを握りしめたまま、浅沼君は訊ねた。彼が言葉を発すると、画面にジリジリとノイズが混じる。
「おや、さっきはあんなに大丈夫だったのにですか? やたらと気合いが入ってたから、平気なのかと思ってましたよ」
《皓樹》はわざとらしく眉を顰めて言う。
浅沼君は膨れっ面で画面に向き直った。
「あの、この力と、瑞緒のことと、何か関係が有るんですか?」
浅沼君の力が紛れもない本物であるとはわかったけれど、それが瑞緒とどう関わるのかいまいち理解できず、私はしばらくしてから《皓樹》にそう訊ねた。
「まだはっきりとしたことは言えませんが……先程万来さんから伺った話の様子では、彼女にはこの次弘君にも共通する、何らかの視覚能力が備わっているものと考えられます。それが事実なら、貴重な能力ですから……確かめてみる価値は十二分にあることでしょう」
「瑞緒さんって……すごい……?」
多田が話を聞いて、独り言のように呟いた。
私を挟んで反対側に座った沙霧が、それを気にしているのが判る。
うっとおしい。
「明後日ぐらいにでも、テストをしてみたいですね。うちの支部はかなり人手不足ですし」
《皓樹》が多田ににっこり笑いかける。
営業スマイルっぽく見えるが、それでも素晴らしい笑顔だ。すぐ隣で誰かさんはヒヤヒヤしている。
「とにかく、こちらの方で調査しておきますから。沖野さんと多田さんも、それとなく様子を見ていてください。次弘君、もういいですよ」
言われて、浅沼君は心底ほっとしたようにリモコンを手放した。
途端、映像は、ぷつり、途絶える。
「有り難うございました《皓樹》さん」
「瑞緒のこと、よろしくお願いします」
説明の終わりを知って、私と多田は頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、知らせてくださったことに感謝しますよ。それと、正式の仕事以外の時には名前の方で呼んでください。その方が落ち着きますので──礼紀君も、遅くまで済みませんね」
「い、いえ。一応は、これでも浅沼のお目付け役ですから」
時計に目をやると、もう七時になるところだった。自宅に着くのは、八時過ぎになるだろうか──そんなことを考えていると、梁前さんが口を開いた。
「確か、沖野さんと礼紀君達は和泉区の方でしたよね。途中まで送りますよ」
「いっいえっ」
「そんなことしなくていーよぉぅ」
私は目一杯遠慮し、浅沼君が抗議の声をあげる。すると、
「次弘君は寄り道が大好きですからね。ちゃんと家まで護送しますよ」
言う、言う。あっさりと梁前さんは却下した。
もしかしたら、それには浅沼少年の身辺警護の意味もあるのかもしれない。
それから、彼は多田に向き直って思案するように言った。
「どう、しましょうか。全くの逆方向ですよねぇ?」
「大丈夫です」
即座に多田は答える。まあ、こいつは確かにしっかりしてるから……
「俺が──」
「まだ、命は惜しいですから」
言いかけた沙霧の言葉を、多田は無惨に引きちぎった。
梁前さんは、楽しそうにくすくすと笑って、
「嫌われましたね、要君。でも、それは自業自得ですよ」
いい性格をしている。
噂では、ここの支部長と同等の権力を持つとか、この支部で一、二を争う実力の持ち主とか言われているが、それが十二分にうなずけてしまう。なにしろ、この根性の良さは……
思わず、支部長に同情してしまった。
「それでは、行きましょうか」
そして、梁前さんは、周囲の状況など一切おかまいもせずに、そう促すのだった。