霞の杜幻影展示場

夢幻戦域reboot

こんな関係(前)

 地下鉄の出入口周辺は、いつになっても誰かしらの声がするものである。

 だから、階段を降りかけたところで女の人が「あれぇ?」と呟いた言葉を、私はたいして気に留めていなかった。

 

 多田と話しながら歩いていると、私の顔をのぞき込むようにした背の高い女の人が一人、近づいてきた。

 

「やっぱり。この間、道を教えてくれた子でしょ? ほら、駅の本屋で」

 その言葉で、私は彼女のことを思い出した。

 広東一月のウィンドブレーカーを着ていた、TZRのお姉さんだ。

 

「あ、はい、そう、ですが……?」

「こないだはどうも有り難う。おかげで無事に辿り着けたわ」

 お姉さんは明るく笑いながら言った。

 

 そんな些細なことまでもちゃんと覚えてくれている、このお姉さんには、何だか好感が持てる。

 あの時にはあんまり気づかなかったことだけれど、改めて見るとすっきりとした顔立ちの、なかなかの美人さんだ。

 

「よかったですねぇ」

 心からそう言った。

 こういう相手を前にすれば、私だって素直になれてしまう。

 本当、誰かの時とは違って。

 

「それにしても驚いたわ。さっき、要と一緒にいたでしょう?」

「え?」

 なのに、いきなりお姉さんの口から漏れた嫌な単語に、私は頬のあたりを引きつらせた。

 

 な……何でっこのお姉さんが──!?

 

「あら、人違い? でも、あなた達だと思ったんだけど」

「い、いえ……あの」

 何て言えばいいのかわからない。

 そういえば家具街の方に住んでいるって話だったし、実はあの三重人格男の隠れファンだったりして……考えると、かなり恐ろしい。

 

「ああ、沙霧家具店って、知ってる?」

 お姉さんは唐突に言葉を変えた。

 私達の沈黙を察したのかも知れない。

 

「は、はい……」

「私、そこの娘。つまり、要の姉ってわけ」

「げっ」

 

 事実はもっと恐ろしかった!

 ファンクラブの連中だけでも十分恐いのに、よりにもよって実のお姉さんだっただなんて。

 

 私は助けを求めるように多田の方を見た。

「え、何?」

 だのに、多田は話を聞いていなかったらしく、きょとんとした表情で首をかしげてくれる。

「大丈夫、そんな焦らなくても。要相手にあんな態度してるってとこが、気にいっちゃったんだから。ほら、普通みんなあの外見に騙されてのぼせてるでしょ?」

「なっ!?」

 お姉さんの言葉に、私の頭の中は真っ白になった。

 いったい、なんて人なんだろう!? このお姉さんってば!!

「ほ……んきで言ってます? それ」

 かすれた声でそう聞き返すと、お姉さんはにっこり笑って頷いた。

「ええ、もちろん」

 

 強すぎる。

 

 流石、あの弟にしてこの姉ありといおうか……

 私はあっけにとられてお姉さんを見つめた。

 

「くしゅんっ」

 その時、背後で多田がくしゃみをした。

 そういえば、まだ濡れたままだった。

「ああっごめんなさいっ急ぎの用があったんです」

 私はお姉さんに向かって頭を下げると、くるり、多田の方を振り返った。

「ごめん、行こう」

「え? ああ。用、もういいの?」

 すると、多田はたいして気に留めたようなそぶりも見せず、そう言ってきた。

 だからといって、本当に気に留めていないかどうかがわからないのが、多田の恐いところであるのだけれど。

「あ、そうそう。良かったら、名前、教えてもらえない?」

 背中を向けかけた私にお姉さんが言ってきたので、私は少し考えてから正直に答えることにした。

「あっと……沖野、です。沖野、深雪っていいます」

「そう。私は藍子っていうの。それじゃあ、沖野さん、引き留めちゃってごめんなさい。どうもありがとう」

「あ、いえ、さようなら」

 藍子さんは片腕を軽く挙げると、通りの向こう側に消えて行った。

 

「……で? これからどうするわけ?」

 階段の一番下までたどりついたところで、多田が訊ねてきた。

 地下鉄の駅に降りてきたからといって、この交通機関を利用するわけではない。

 第一、こんな濡れたままの湿っぽすぎる格好で地下鉄のシートに座った日には、かなり悲惨なことになってしまう。

 

 私は電話マークの掲示されたゾーンへ向かった。

 

「ちょっと聞いてみる」

 ケータイの端子にシルバーのアタッチメントを装着し、ナンバーをプッシュしつつ答える。

「ああ…」

 多田も頷いて、受話器のそばによってくる。

『はいもしもし、こちらはYM開発事業団です』

 一回半のコールの後、録音された女の人の声が聞こえてきた。

 私は送話器に向けてキーワードを口にする。

 

「申し訳ございません《デニスさん》をお願いいたします」

『──しばらく、そのままでお待ちください』

 

 IDの設定された認証機器を挿入して固有番号を押すと、支部の存在を隠すためにあちらこちらに設置されたダミー会社に通じる仕組みだ。

 もちろん、YM開発事業団も実在はしない会社である。

 音声キーワードや登録コードなど複数の認証を通過することによって、それらの会社を中継する形で、支部との連絡がはかれるようになっているのだ。

 

『……№をお願いします』

 暫時の間を置いて、事務的な声は告げた。

 

 えーとっ、19025V43,T・KS25MO43っと。

 私はいい加減に慣れた手つきで、番号を操作した。

 

『照会終わりました。どうぞ、《智依名》さん』

 どこか、別の回線につながるような音の後、今度は耳慣れたいつものオペレーターの声がする。

 私は、瑞緒の事を名前は出さずに説明して調査を依頼した。

 そういう特殊能力の持ち主であるというのなら、何か確認する事ができるはずだ。

 

『しばらくお待ちください』

 オペレーターは電話の向こうで、誰かと二言三言話しているようだった。

 保留に切り替えをしていないせいで、微かに声が聞こえる。

『施設コード283にお願いします。話はそちらで伺うそうです』

「わかりました」

 ややあって告げた彼女の言葉に頷いて、私は携帯をおろした。

 邪魔になるアタッチメントを取り外して、多田と目を合わせる。

 

 内容は、聞こえていたはず。

 

「行こう」

 私たちは、同時に走り出した。

精々ガラケーレベルの通信環境。
2023/05/16 up
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