宿営地では、皓々と燈された灯りの下明日の進軍に向けての最終調整が行われていた。

 補給担当は輸送された物資の減数点検を、各兵士達は武器や防具の手入れを、馬を預かる者達は常より入念な軍馬の世話を、将達は会戦前の最後の軍議を。それぞれがそれぞれの役割に則って奔走する中に在って、ある天幕の中では何故か若い女の声が響いていた。

「ちょーっむ・か・つ・くぅっ!」

  折角整えた鏑矢を折り砕かん勢いで叫ぶのは、年のころは十七、八の、声の通りの年若い娘。動き易い革鎧と革の長靴を身に纏い、安座する傍らにはなめした革 の籠手、正面には朱塗りの弓と来れば、参戦する弓兵の一人なのだろうとはわかるのだが、如何せんこの国では、武家の子女以外で女が戦場に立つことなど殆ど 考えられない。この天幕が各地から寄せ集められた、所謂、義勇軍の一小隊に与えられたものである事を考えると、そこに彼女のような者が在ることはかなり異 質な出来事だった。

「おちつけ、朱宝」

「楓軌哥は黙ってて! ムカツクッたらむかつくの! 何なのうちの中隊長! 「女子供の寄せ集めになど何も期待しない、せいぜい我らの邪魔にならぬよう引っ込んでろ」って勝手に決めつけやがって、喧嘩売ってんのかっつーの」

 態々声真似を使ってまで怒りをぶち撒けて見せる紅朱宝の様に、ぴしゃりとやられた楓軌に代わって、彼らの兄貴分でもある蕃佑が次の宥め役を買って出る。

「いやしかし、我らは朱宝の実力を知っているが、そうでない者にはか弱き女子に命の危険を犯させる事に抵抗を憶えるものも少なくはあるまい」

「全然違うでしょ! 蕃佑哥だって判ってるくせに! あいつのあの目は絶対「けっ女子供風情が戦場にしゃしゃり出てくんじゃねえ」つってんのよ! あーもー超絶ムカツクあんのジャガイモアタマ!」

「あ、こらあんまり大声出すと周りに聞こえるって!」

「聞こえるように言ってんのよ! ったく何で何処の世界にも態々自軍兵の反感買おうとする薄馬鹿が後を絶たないわけ?!」

「おいこら!」

 却って対抗意識を強めたように声を張り上げる朱宝。慌てて口を塞ごうと手を伸ばす蕃佑と楓軌だったが、その願いも虚しく、天幕の向こう側から良く通る笑い声が上がった。

 軍議はいつの間にか終わっていたようだ。

  果たして、掛け布を跳ね上げて入ってきたのは、祖先伝来の宝剣により軍議の末席へと連なることを許された、彼らの長兄・璃有と、未だ咽喉の奥に笑いの気を 残している、卑しからぬ風体の男。背はあまり高くないが、眼光は鋭く理知的で、朱宝が散々悪態をついていたような中隊長とは明らかに器が異なる人物だ。

 はて、このような大人物が同じ中隊にいただろうかとつい首を傾げる朱宝だったが、先に口論していた蕃佑と楓軌が揃って礼をするのに倣って、両の手を合わせて首を垂れた。

 璃有は少し呆れている様子だったが、言い争いについては何も触れず、客人を義弟妹達に紹介する。

「此度の戦いで右軍の大将を務められる嵩萄殿だ」

「初めてお目にかかる。陣へと戻る道すがら、璃有殿と明日のことについて話しおうて来たのだが、いやさ斯様に愉快な話を拝聴できるとは」

「全く以って、お恥ずかしい限りです」

  しかし、当の嵩萄より水を向けられれば応じぬわけにもいかず、璃有はひたすら恐縮して頭を下げる。ここで嵩萄が同僚へ事の次第を報告すれば、(或いは彼自 身の機嫌を損ねたその時点で、)明日の戦いを待たずして、朱宝は勿論、彼女を監督する立場の璃有も間違いなく処罰される。良ければ除隊、悪くすれば反逆罪 や上官侮辱罪で討たれることも充分に考えられるのだ。

 だが幸いなことに、嵩萄は

「いや、そちらのご婦人の憤りもわからぬでもない。女子供とて四肢も頭も持っておれば、志あらば共に立たんとするに何の不思議があろう」

そう朱宝への理解を示した。

 当の朱宝を除く、残りの面々が、寛大な言葉に肩の力を緩める。それを見届けた後、嵩萄はにやりと笑って続けて言った。

「だが諸君は知っているか? 籠虞殿は女性の副官を持たれておる」

 これには、蕃佑達も驚きを隠しえなかった。

 嵩萄は益々面白そうに笑みを形作る。

「市井の出で自ら志願して参ったとか。才で採ったとすれば、あの男にしては中々に画期的なことよ」

 朱宝は眉を顰めた。

 「才で採った」のでなければ、とんでもなく堕落しきった、腐れた性根の将軍だ。そんな欠片も尊敬に値しない相手に、一時的にとはいえ膝を折るなどとは、彼女の美意識的にとても許せるものではなかった。

「それではよほどに優れた女人だったのでしょう」

 再び彼女が怒りを爆発させることを警戒したのだろう。璃有の発言は、強張った笑みと共にもたらされた。

 嵩萄は大いに頷いた。

「璃有殿もそう思われるであろう? 明日はかの女副官殿の力量を目にする絶好の機会。実は今からそれが楽しみでな」

「あ」

 朱宝はつい、声を上げた。ここまで来て漸く、話題の人物が誰のことであるのかを思い浮かべることができたためだ。

 声を聞き取った左右から、物問いたげな視線が向けられた。それには気付かぬ振りをして、朱宝はぎゅっと唇と瞼を硬く閉ざす。

 まるで、浮かんできたイメージがそれ以上何処かに広がることを押さえるかのように。

 

 

 

 

 

基 進 


 この子の言葉遣いは、とても悩みます。 
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