課長……

 トンネルを抜けるとそこは雪国……なら兎も角。

 玄関開けると二分でご飯……じゃなくて!

 トンネルを抜けるとそこは不思議の国でした、なんていうのはお話の中だけですよね?

 課長のお子さんの大好きな絵本の話なんて聞かされたから、私は、夢を、見てるんだと思う、いや、思い、たい!

 

 というか、大体にして、私が抜けたのは長い長いトンネルではなくて、大して広くない標準的な建売築十年の一戸建て家屋の扉一枚。つまり、住み慣れた我が家の玄関に入ったはず。

 なのに。

 真っ暗い家の中をどうにかしようとスイッチを探った手が触れたのは、やけにごつごつして、冷たく湿った……そう、たとえば岩壁のような感触で。勿論、いくら辿っても慣れたカチッと言う音には辿り着かなかった。

 

 いくら疲れてても、酔ってるわけでもなし、自分ちを間違えたりするわけがない。

 それに大体、いくら間違えてたとしてもそもそもウチの近所にこんな崖はなかったぞ?

 

 バスはちゃんと、ウチの団地の、いつものバス停で私を下ろした。

 その証拠に、がさりと音を立てるのは、近所のコンビニで買ってきた食糧と化粧品───と、そこで私は鞄にペンライトを入れていたのを思い出した。

 心配性の親友が、私の帰りが遅いのを心配して持ち歩くようにって寄越してくれた物。

 

「浪にカンシャかな、これは」

 呟きながら、くるっとライトのスイッチを回す───?!

 

 カシャン

 

 私はそれをすぐに手放してしまって、慌てて目をこすった。

 転がったライトが照らす壁面は、触った感触通りの岩。

 けれど、そんなことより。

 

 

「お、お墓?」

 

 かすれた声で呟く。

 チラッと見ただけ。

 だけども、一瞬正面に浮かび上がったシルエットは……

 

 

 ビュォウ

 

「うっ」

 

 背中から吹いてきた風に身を竦ませる。

 さ、寒い……じゃなくて。

 

 風が雲を吹き飛ばしたんだろう。月明かりが差し込んで、ライトほどじゃないけど私のいる場所を照らし出すから、目に入った。

 

 そこに浮かび上がるシルエットは、十字架の……

 

 身震いは、異様な場所に紛れてしまったのに気付いたからだ。

 ウチの団地には十字架立てるような墓所なんてない───さっきからライトが照らしてるような岩壁も、こんな、深い洞窟みたいな場所だって!

 

 じりっ

 私は落としたライトを拾うのも忘れて後じさった。

 とにかく、はやく、此処から出よう。

 此処から出て、ちょっと財布が心配だけど、タクシー捕まえてもう一度ウチへ───

 

「面妖な明かりは消して行け」

「っ?!」

 

 なななななにっ? 今の?

 

 私はその場に尻餅をついた。

 誰もいないと思ったのに。

 こんな薄気味悪い夜中の墓地に誰かいるなんて普通考えないし!

 それも、よりにもよって地獄の底から這い上がったような、しゃがれた男の声なんて、明るいところでも驚くに決まってる。

 

「聞こえぬのか、不思議な術を使う娘」

 

 声は苛立ったように呼びかけてくる。

 古めかしい口調。

 

 私は驚きから少し冷めると、まだ力の入らない体を引きずって、そろそろとライトに手をのばした。

 

「早くせんか。心地よい月夜になんと無粋な」

 

 急かされる声のあたりに、光を当てる。

 私はホラー映画の信奉者じゃないけど、こんな不気味な体験したら、声の主の顔くらい見なくちゃ今晩夢に魘されそうだ。

 

 と、思ったのに。

 

「ぇ」

 

 

 喉の奥が鳴る。

 

 確かに声が聞こえたのに、そこには誰もいなくて。

 

「その態度、わしに対する挑戦か。よもやわしの言葉が通じんわけではなかろう」

「あ、あの?」

 私はやっと声を絞り出した。

 

 声がしたのは、丁度例の十字架辺り。

 でもそこにはうずくまった人影も、わざとらしい棺おけも不気味な土の盛り上がりもない。

 それなのに、声は自分に光が当たったとでも言うように憤慨していた。

 

「何だ、年長の者への敬いも知らぬ小娘」

「お邪魔したことは、お詫びしますけど……どこにいらっしゃるんですか?」

「無礼者! わしを愚弄する気か」

 

 カッ

「っ!?」

 

 声が叫んだ瞬間、十字架が赤く光った。

 赤く光って、誰も動かしてないのにふわっと浮き上がって、ぐりんと半回転した。

 

「人面剣……?」

 

 赤く光った十字の中心に、老人の顔が掘り込まれている。

 そしてそれが赤く光ったおかげで、その十字が墓標によく使われる十字架じゃなくて、西洋風の真直ぐな剣───ブロードソードの一種だとわかった。

 

 そして、そんな場合じゃないのに、それを見取った瞬間大分前に流行った「人面犬」の話を思い出して呟いてしまった。

 

 剣は……大変不気味なことに怒りに震えるように掘り込みの老人の顔を歪ませて───

「深更の理の化身であるこのわしに向かって、何たる口の聞きよう!」

 

「ぇ?」

 

 しんこうの、ことわり?

 

 ぞわっと肌が粟立つのを感じた。

 剣を操る誰かを探すのも、誰かへの文句も絡めて喚きたてる声も脇において、私は恐る恐る、初めて後ろを振り返った。

 

 出入り口はすぐ後ろ。

 そこには扉なんてなくて、ぽっかりと空洞が開いている。

 月の光を十分に取り込める、大きな口。

 その、向こうには、だだっ広い野原が……風に草を揺らして。

 

「かいめい、けん?」

 よもやと思いながら、声の主に呼びかけた。

 

 

 

 そういえば週末でいつもうるさいくらいの学生アパートの騒ぎが聞こえなかった。

 大通りに近い家なのに車の音がしなかった。

 前に合宿で行った山奥のペンションよりも、空気がきれいなのに気付いた。

 とにかく私は間違えなく、鍵を開けて自分の家に入ったのだった。

 

 

「晦冥剣様と呼ばんか、無知な小娘め」

「晦冥剣、様」

 言い直しながら、あぁ確かそんなやり取りがあったな、などと考える。

 勿論、私自身がした会話じゃなかったけど。

 

「何だ、小娘」

 素直に言い直したら、少し機嫌が直ったように剣が言った。

 

「此処は……どこですか?」

 プチ

 

 訊ねた途端、今までの十倍も下降した機嫌の、剣呑な眼差しで、晦冥剣はこの場所についてとここに置き去りにされた経緯について捲くし立て始めた。

 

 そのおかげで一つだけ確証が行った。

 ……疑う気も起きないくらい、間違いなく、此処は異世界なんだって。

 

 自分じゃクリアしていない(というかプレイもろくにしてない)ゲームの世界に紛れ込むなんてどう考えても不自然極まりないけれど、だからこそ。

 このゲームに夢中になってた雪花ならともかく、私をこれで担ごうとする物好きはいないはずで。

 私が好きなゲームの世界を再現されても、バイオレンス過ぎてこまりものだけどね?

 

 兎に角。

 私は大学からの友達がはまっていたゲームの世界に、入り込んでしまったのだ。

 

 

 

 せめてもの救いは、プレイするあの子の脇で攻略本をぱらぱら捲ったり、あの子自身から話を聞いて、この世界の「未来」に起きる出来事をある程度把握していることか。そんなことをしていたのは大分昔のことの筈なのに、案外覚えているのがまた不思議なところだけど。

 

「晦冥剣様……」

 私は、まだ文句を言い足りてない晦冥剣の言葉を遮って呼びかけた。

 これだけは伝えとかないと、居心地が悪い。

 

「私、27なもので「小娘」と呼ばれるのはむしろ心苦しいのですが」

「っっ?」

 多分、言葉を詰まらせて咳き込む晦冥剣の顔を見たのは、私が初めてなんだろうな。

 

 この先どうしたものかと考えながら、晦冥剣の様子にふと微苦笑が浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

基 進 


混乱してるような肝が据わっているような異世界ヒロイン。 
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