和議

 

 

 

 

 皮肉にも、挟撃を逃れるために褐雫漣の施した策が、戦乱の終結を遅らせていた。

 翠玉蘭の翻意、それは絵空事でしかなかったが、燕覇淘と討ち合っていた玉蘭を、琲献軍の弩が射抜いてしまったからだ。

 体勢を崩した玉蘭の腹を覇淘の剣が深々と刺し貫き、逆上した迩威琉が味方兵士に詰め寄っての乱闘、洪軍の混乱に乗ずればよいものを、何故か覇淘は呆け切り、燕覇煉と松傲はこちらも内部分裂の兆しを見せる。

 互いに疑心暗鬼になって迷走する戦局に、我に返った筝征除は慌てて号令を出して、玉蘭と覇淘の身柄を確保する。

 事実確認を行うにも、玉蘭も覇淘も、そして迩威琉も、事情を聴取できる状態ではなかった。

 覇淘捕縛の報は、嵩萄の態度を硬化させ、璃洪同盟成立による和睦の空気を吹き払った。

 洪励・嵩萄はそれぞれに急使を放って、龍江側の情勢を正しつつ互いの動向をにらみ合った。

 龍江では、出撃拒否した迩威琉に代わって琲献の軍が燕覇煉の軍と激闘を繰り広げていた。両者とも自陣営の動向が信じきれず短期の決着を求めるあまり、玉蘭軍・覇淘軍消滅前よりも遥かに甚大な犠牲を払っての乱戦となった。

 疑心暗鬼の彼らには、軍主からの急使も敵の策謀としか感じられず、長く情勢は各々の軍主の許にまで届かせられなかった。業を煮やした嵩萄は、嵩渓に珪城前の陣を任せ、叙宵を伴って龍江へと急ぐ。

 洪励もまた、洪頌に陣を預けて洪拶と共に龍江へと向かった。

 これは璃有軍にとっては千載一遇の好機でもある。

 しかし璃有とピカタ両名により、両軍への手出しは徹底して差し控えさせられた。

 一方、軍主自らが赴いたことによって、龍江の陣営はそれぞれ混乱を収束させていった。

 元はといえば褐雫漣の計略であったが、圧倒的不利を策にて乗り切るのは軍略として批難できるものでもない。むしろ、裏切りをほのめかすなどは常道とさえいえる手段の一つだった。

 両陣の混乱の契機を聞き知った叙宵は溜息を吐く。それは奇しくも、同じ説明をしながら筝征除が吐いた溜息と同種のものであった。

 誤射をその身に受けたのが、よりにもよって嵩萄軍から寝返った玉蘭であり、彼女の武具に宿した水晶の力が、一番近くにいた覇淘を麻痺させた。

 たったそれだけの事実が、同じく投降兵であり彼女と恋仲を噂される迩威琉には味方の裏切りと写り、位置関係から玉蘭が覇淘を庇ったように見えた燕覇煉と、玉蘭の仕掛けた罠に覇淘が掛かったと見る松傲の間に対処についての対立を生じさせたのだ

 深手を負った玉蘭と、捕えられた覇淘。

互いに消耗しきって返り血と己の出血の区別もつかぬ有様の覇煉軍と琲献軍。

 そこに現れたピカタが理の力を前面に押し出しつつ休戦を勧告するのに、流石の嵩萄も自嘲の笑みを浮かべて頷くほかには無かった。

 両者がしかと頷くのを確認し、ピカタは理の力を最大限に発揮させた。

 その力は戦場に伏した兵達の傷を急速に塞いでいく、癒しの力だった。

 やや大味ながら各軍主を頷かせたピカタの資質に、彼らは改めてこの王の許であれば忠誠を誓うのも良いと膝を折る。

 しかし、ピカタの答えはそれぞれの領土をこのままそれぞれに任せて自身は放浪のたびに出たいというものだった。

 理が存在せず、ピカタが皇子と確定されなければ、少なくとも策謀や混乱の何割かは生じる必然性が無かったはず。

 それに、彼が一所に留まっては、そこにまた互いの有利不利を無駄に争いあう結果となるだろう。

 なれば自分は各地を流離って、年に数回、三国の会談の度の調停役としてのみ公に出よう、と。

 何よりピカタが懸念しているのは、幻装討伐の最中に行方知れずとなった思念の理のありかだった。その理が悪心ある者の手に再び渡り、次の混沌を呼び込むことが無いよう、行方を追うことができるのは、同じく理を額に宿すピカタを置いて他にいない。

 そこまでを告げられれば反することもできず、現状維持を認められては反する気にもなれず、彼らは思ったという。

 彼こそが、自分が生涯ただ一人心から膝を屈する「巫王」足りえる人物だった、と。

 

 共通暦1059年。「巫王」の名の下の最後の宣言が告げられた。

 それは強大な単一国家の終焉と、新しい三国の誕生とその共存を、巫王自らが認め寿ぐものだったという。

 

 

 

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