ガサガサと鬱蒼と茂った木々をかき分けて進んでいくと、やがて一本の道に出た。
━━助かった。
ガーラントは安堵の息を漏らす。
理術同士の衝突に巻き込まれて見知らぬ森へと飛ばされてから半日。
救助の宛などあるわけもなく、手近な木々に目印を刻んでは、先へ、先へと出口を求めてさまよった。
携帯食が残っていたのは幸い、けれど戦場で負った傷は熱を帯び、全身は鉛のように重かった。
ガーラントは足を引きずって小道を南へと進んでいく。
南への道は緩い下り坂。運が良ければ人の住処が、でなくとも人の使う水場くらいにはたどり着けるだろう。
とにかく彼は休みたかった。
さらに暫く進めば、民家のような陰がちらほらと。日が大分低いためにシルエットは判然としなかったけれど、人工物であることに間違い はない。
ほっと気が緩む。
こぢんまりとした石造りの建物は、今彼が雇われているキルサイド南連邦でよく見る建築様式だ。一晩宿を借りて、西北連邦との開戦地の方 角を確かめるくらいはできるだろう。
ガーラントは残りの力を振り絞って村の門へと足を進めた。
━━なんだ?
おかしいと気づいたのは、門柱に手が届く距離になってからだ。
もう日も暮れるというのに、灯り一つともらない。煮炊きする時の煙も、はしゃぎ回る子供の声も、何一つない。
人っ子一人いないように静まり返った夕暮れの村には、それだけで禍々しい空気が澱むように見えてくる。
━━ば、ばかばかしい
ガーラントは汗を拭って村の中へと足を踏み入れた。
少し前までの安堵など今は消しとんでいる。
奥に行けば行くほど、人の暮らす気配からは遠くなるようだ。
崩れかけた石壁、破れた扉にひび割れた雨戸。蝶番から半ばちぎれかけた門扉が風に揺られてキイキイ音を立てる。
近付いてみれば、壁のあちらこちらに不自然に抉られたような跡が見られる。垣間見える室内には物が散乱して、この地に起きた物事を予想 するのは簡単だった。
負った傷と疲れがなければ、村の異常にはもっと早く気付いていただろう。
暗く静まり返った村には、野生の獣の気配が潜んでいる。
━━ガウッ
「なっ!?」
炯々と光る目が、唐突にガーラントを襲った。
ガーラントは咄嗟に立てた剣で牙を防ぎ、大きく飛び下がる。
背後は壁、見回せばそこここに、同じ眼が彼を囲んでいる。
「ダートウルフ……」
ガーラントの頬を汗が伝う。
彼は歯がみして己の武器を構える。
ダートウルフが五匹以上の群れとなるのは、その住処から半径百メートル以内という限られたエリアのみ。狩りは二匹から五匹で行われる のが通常。獰猛で人に懐かず、人の集落からはキロ単位で離れた場所にしか巣を作らない。
つまり、この村が遺棄されたのは相当昔であるという事。
「こいつぁ、俺の運もいよいよオシマイって所か?」
唇を歪め軽口を叩くが、余裕などは皆無だ。
体は石像になったように重いし、喉の奥はカラカラだ。心臓だけが別の生き物のように激しく脈打ち、あちこちの傷を熱く刺激する。こん な緊張は、十三で初陣に出たとき以来かもしれない━━その時は勿論、獣ではなく武装した軍隊が相手だったのだが。
ガーラントは渾身の力を振り絞って全身のバネを溜めた。
「っやらせるかよおお!」
━━ギャウンッ!
叩きつける一撃で目の前のダートウルフを弾き飛ばすと、ガーラントは低い姿勢で一直線に走り出した。
目算はない。
ただがむしゃらに剣を振り回し、前へと駆け続ける。
どちらにでも良い、村を抜けて最悪二百メートル。それを逃げきれれば、ダートウルフの大群を相手にする必要はなくなる。
そこまで体力が保つかどうかは二の次だ。
この場に留まれば、確実に連中の今夜の餌となり果てるだろう。
━━ガウッ
ギャンッ
グルァ
叩き、切りつけ、切り割かれ、噛みちぎられ。
みるみるうちにガーラントは血塗れのぼろぼろになっていった。
血と汗で視界は霞み、足はもつれてよろけているのか進んでいるのかわからない。防具はすでに用を成さぬほど傷だらけで、辛うじて身体 に引っかかっているという有様。ウルフの血脂と毛にまみれた剣は、刃こぼれがひどく、これ以上何も切れまい。
実際、何メートル前に進めたのかもわからなかった。
「っ! 暗き闇のとばくちに潜みしモノよ!」
彼の体力が限界を迎え、地面にくずれ落ちようというその時、不意に知らない声が叫んだ。
ゾワリ
何か強大な力がガーラントの背中をかすめて通り抜けた。
耐熱を根こそぎ持って行かれるような冷たい風。
あれほど興奮していたダートウルフの気配が静まり、怯えたようにじりじりと後退りしてゆく。
「消えろ。お前等に用はない」
冷たく通る声色で告げた者が死に神でも追い剥ぎでも、ガーラントには関係がない。
確かめる暇もなく、彼の意識は深く沈み込んでしまった。
使用素材配布元:LittleEden