「そこな者共、暫し待たれよ」
虎狼山の峠道に入って、凡そ半日。森の木洩れ日とはいえ肌を刺す日差しの鋭さに汗を拭いながら先を急ぐ旅人を、野太い男の声が呼び止めた。
馬を引く小柄な人影が、ちらりと隣を歩くもう一人へと視線を向ける。飛びぬけて長身というわけでもないが、比較として身長のある方の人影は、小さく首を横に振って、そして二人は足を止める。
わらわらと、二人を取り囲むようにして近付く男達は、山賊にしてはどうも動きが整然としている。身に纏う甲冑も、軽装ではあるがきちんとした手入れの行き届いた、統一されたもの。
どうやら境界を巡回する警備兵と行きあったようだ。
納得したらしい小柄な人物は、幾らか肩の力を抜いた。
「女二人か……たったそれだけの荷でこの山道を何処に行く?」
二人共に小柄に見えたのも道理。どちらもが女性であることに気付いた隊長は、僅かに眉を上げ、訝しげに問いかけた。
「私共は舞踏の一座に在しておりましたが、戦禍に見舞われ、一座が散り散りとなってしまいました故、乾格の親戚を頼ろうと、こうして旅をしているのです」
「何? 乾格だと?!」
静々と語る女の声に、隊長は目つきを険しくさせる。
小柄な女性は、女性としてはやや長身であるもう一人を守ろうとするように、手綱を握ったままで半歩前へ進み出る。
「はい、乾格でございます」
当の女性は、変わらぬ口調で肯定を返した。
取り囲む兵士達は、ある者は探るように、ある者は同情するように二人を見ている。
隊長は暫し思案深げに、二人の前で行きつ戻りつを繰り返す。恐らくは、彼女らの身形を観察しているのだろう。これにはどちらの女性も居心地を悪そうに身を寄せ合って、それでもじっと彼の次の言葉を待った。
「梧州は難民や脱走兵崩れの賊徒が跋扈しておってな、素性の知れぬ者を簡単に通すわけには行かんのだよ。増して、乾格から乾昌は目と鼻の先……気の毒だがこのままここを通すことはできぬ」
「そんな!」
小柄な方の女性が悲鳴じみた声を上げた。
これまで幾度となく同じ様な光景を目にしてきた兵士達も、同情の視線は向けても、何の言葉も挟もうとはしない。ただ、強行突破を警戒して、剣の柄に手をかけた。
「行くところがなければ、伍高にある難民集落へ案内しよう。かの地であれば職にも困らぬだろうし、認められれば望みの地に移住することもできよう」
大抵の難民であれば、その言葉に渡りに船とばかりに飛びつくのだが、この二人の場合には違っていた。
片一方は怒りと警戒を露に兵士達を睨みつけ、もう片一方は、憂いの混じった溜息を吐く。
兵士達と女性との間に、緊張が高まった。
「できればこれを出さずに終わらせたかったのだけど」
溜息を吐いた後に、更にぼやくように彼女は言った。
「素性が確かであれば、通していただけるのでしょう?」
「うむ、それは、そうだが」
何が出てくるかと危ぶんでいた隊長は、拍子抜けした相槌を打つ。
毒気を抜かれたのは、連れの女性も同じ様だった。
「しかし、何を以って身の証とされるおつもりか?」
「身の証」その言葉に、何故か連れの方がうんざりした顔となる。
長身の女性は、腰に佩いていた、護身刀と思しき装飾された剣を、鞘ごと外して、
「私は乾格の刀匠、秤弦に縁の者。奉納楽士穂荀の娘、穂華蘭と申します。これがその証たる剣・珠粋。秤弦師が私の護身用にと特に心を篭めて打ち出してくださった一刀です。お疑いでしたら秤弦への早馬を。それまでは詰め所の檻の中ででも、幾らでもお待ちしましょう」
言いながら、隊長の目線に掲げて見せたのは柄頭。
その細工は年月を経て、大分痛み、擦り切れてはいたが、もとの意匠を損なうには至っていない。
檻の中発言に気色ばんだのは、小柄な女性。けれど、彼女の警戒は杞憂に終わったようだ。
「確かに……この文様は秤弦殿の手によるもののようだ」
隊長が頷くと、傍らに控えていた兵士も近付いて、まじまじとその柄頭を見つめた。
そして、その彼が口を開く。
「しかし、乾格まではあまりにも遠い。同じ縁というのであれば、龍爪の秤曳の所でも良いのではないですか?」
「誰だそりゃ」
「新兵の頃、兵舎が一緒だった男なのですが、秤弦殿の縁故ということで、筝将軍の配下に抜擢されて、今は把城に詰めている筈です」
「把城って、お前……」
「あの」
彼等が声を落として話し合っていると、華蘭が戸惑うように声をかけてきた。
「秤曳が何故龍爪に居るのですか? 人違いなのでは」
「何故そんなことを仰られるのですか?」
兵士は目を光らせた。
華蘭は眉を下げ、口元を手で押さえた。
困惑しているのがありありと解る、揺れる瞳。
「秤曳はとても、戦場には合わない人です。あの人が兵士になるなんて……耐えられるはずがありません」
「あなたの知る秤曳という人は、とても繊細な男のようですね」
「いえ、その……」
華蘭はその先を言いあぐねた。
一度薄れた隊長達の警戒が、色を濃くする。
「……秤曳と一緒に居て、まともな戦いができるなんて、一緒に戦ってる人達が耐えられるとは思えません」
「それでもあいつは、あいつなりにとでも言いますか、頑張ってはいるらしいですよ」
「あの馬鹿……」
兵士の言葉に、華蘭は眉を寄せて爪を噛んだ。
憂いの色の濃い眼差しは、きっとここを見ているのではなく当の秤曳を思い描いているのだろう。
それを見届けて、兵士は肩の力を抜き、隊長を顧みる。
「間違いなく、秤弦殿と馴染みのある方のようです。今の言葉は、秤曳という男の人と形を知らなければ出てくるものではない」
「おお? おお……だがしかし、この先の道中を二人だけで行かせるわけにもいくまいな」
釈然としないながら部下の言葉を受容れた隊長は、先ほどまでとは違った理由で渋面を作る。
「最初にお伝えした賊徒共の話は、決して脅しや誇張ではないのだ。洪拶様や洪頌様のご尽力により、大分平定は進んできたが、それでも、梧州全ての混乱を収められたわけではない」
「私共を盾にとられ、秤弦の技が賊の為に振るわれるのではと?」
「勿論、そればかりではない。か弱き女性二人の旅路では、如何なる危険が待ち構えているやも知れん」
華蘭の指摘を否定はせず、隊長は厳しい表情のまま、二人と部下達を見比べた。
秤曳の知人らしい兵士は、既に背後に下がり、彼女らではなく周囲への警戒に当たっていた。
華蘭の連れの女性は、未だ不安げに身を縮みこませている。対照的に、華蘭はもうすっかり落ち着いた様子だった。
隊長は溜息を吐いた。
「一度詰め所にご同道願えるか?」
「なっ」
「難民の入州は、誰であれ洪頌様にご報告申し上げる必要がある。併せて、あなた方の乾格までの護衛を手配いたしましょう」
「……解りました。お心遣い、あり難く御座います」
抗議しかけた女性は華蘭の手に宥められ、続く隊長の言葉に、彼女達は揃って頭を下げた。
ていうか踊り子を名乗る人が今回多い気がする……