兵士が扉を叩く音が、やけに重々しいものに感じられて、梅花は早鐘のように打ち続ける心臓の辺りをぎゅっと押さえた。
残る道程を、梧州兵士を護衛として進んできた旅も、いよいよ終着を迎えようとしている。
同行した兵士は、秤曳の知人を自称する常韓と、もう一人。道中は彼等が何かと気を遣ってくれたおかげで、これまでよりも楽に進むことができた。彼等は二人 を舞妓として扱っていたため、危険からは極力遠ざけられ、適度な休息を挟みながらの十数日は、もしかすれば、今迄生きてきた中で最も穏やかな旅路ですら あったのかもしれない。
けれども、それもここまでのこと。
訪ねた秤弦の家人が、どう応じるかで、彼等は二人を捕える立場ともなり得るのだ。
それを思えば、街に入った時点で別れられた方が、余程安心だった。
「はーい。はいはいはい、どちらさんですか?」
暫らく待っていると、戸の奥の方から年配の女性の声が近付いてきた。
梅花の緊張は高まり、彼女は棒のように立ちつくす。また、隣の彼女の主も、俄に表情を固くして握る手に力を込めた。
ガラガラガラ……
重い引き戸がゆっくりと、人の顔が出る程度に開いていく。
常韓は軽く礼をして、ここが刀匠・秤弦の家で間違いないかと念押しをした。
「へえ。そうでございますけど……あの、何か?」
「実は……」
現れた女性の頷きを待って、常韓が話を切り出そうとした時、彼女の視線がふと、彼の背後に控える梅花達へと向けられた。
途端──
「小蘭?」
年配の女性は目を瞠った。
ガラッ
驚愕の表情を浮かべながら、彼女は更に扉を押し開けて、一歩前へと進み出る。
眼差しは真直ぐに、今は「華蘭」と名乗っている梅花の主へと向けられている。
「……叔母様」
「小蘭! この家出娘ッよくもまあ無事で……!」
「華蘭」の声をきっかけにして、女性は彼女へと駆け寄った。
つり上がった眦に浮かぶ水滴が、その心情をうかがわせる。
対する「華蘭」も、ホッと力を抜き、潤む瞳を「叔母様」へと向けて微笑んだ。
「ごめんなさい、叔母様……ただいま、帰りました」
「本当に、あの「華蘭」だったのだな」
梅花が思いがけない「感動の再会」の場面に放心していると、ポツリと常韓が呟いた。
彼は秤曳を知る者として「華蘭」を認めていたものの、彼女の言うとおりにその縁者であるということまでは信じきっていなかったのだと白状した。
何しろ梅花自身も、この展開は予想をしていなかった。だからこそ、いつハッタリがばれるのかとびくびくしていたのだ。
「曳の奴も、これで従軍なんて止めてくれればいいんだけどな」
「何故です?」
常韓があまりにもしみじみと呟いたのと、「あの」という言い回しが気になって、梅花は首を傾げた。
「何故って、そりゃあ」
「あ! それで叔母様っ曳が軍に入ったって本当なんですか?!」
二人の会話が聞こえていたのだろうか。「華蘭」も、はっとした口調で叔母に問いかける。
「ああ」
答える声は、複雑そうな響きを持っていた。
「曳どころか、「哥哥じゃあ足手まといが関の山で心配だから!」といって、麟までもがねえ」
「小麟が?!」
聞き返した直後、「華蘭」の顔がくしゃりと歪んだ。彼女には何か思い当たることがあるようだ。
叔母は苦笑して「華蘭」の頭を撫でた。
幼子にするように慈しむその手つきは、嘗て梅花達が玉蘭に救い出された、その時の優しさを思い起こされるものだった。
「お前の気に病むことではないよ、小蘭。お前が出て行かなくとも、あの子達の事だ、代わりの敵討ちだといずれ飛び出していたことだろうよ」
「叔母様……」
「それより、何処から来たのかは知らないが、長旅で疲れているんだろう? そっちの兵隊さん達も、それから、そこのお嬢さんも。大したもてなしもできないけれど、今日はゆっくり休んでいきなさい」
「華蘭」のそれ以上の言葉を封じるように、叔母は他の三人へと視線を移した。
梅花は慌てて頭を下げる。
常韓達は一旦この申し出を辞退したが、もう夕闇が間近に迫っていたことと、「小蘭」を無事に連れ帰ってきたことのお礼だという重ねての誘いに、恐縮しながらこれを受けることとなった。
梅花はいまいち状況を把握しきれないながら、彼等が在る為に余計な質問は差し控えて、主に続いてこの家の戸を潜った。
「小蘭」とか「小麟」とかいうのは勿論愛称です。