秤弦の長子だという秤更への手紙をしたため終えた梅花は、姿の見えない主を捜して裏庭に足を伸ばすことにした。別れ際、奏葵から蔵がそちらの方にある事を聞いていたからだ。

 夕陽の色に染まった木々の影はまるで燃えているかのようで、ふと蘇る幼い記憶に梅花は身を震わせた。

 一人になると、時々妙に心細くなる。

 三人姉妹の中で、そういった事態に一番弱いのが自分であると、梅花は既に自覚している。

  賊に襲われ、村には火をつけられて散り散りに逃げ惑ったあの日──未だ十も数えないほどに幼かった梅花には、紅蓮の炎があらゆる物を飲み込んで、彼女一人 を置き去りにしてしまったように思えた。桜華はさらに幼い桃果を守るのに必死で、すぐ下の梅花には目を向ける余裕がなかったのだと物凄い勢いで謝った。だ から梅花は、姉をそれ以上困らせたくなくて、何にも気にしていない振りをして、お気楽極楽な振る舞いをするようになったのだ。姉はそれはそれで困った様子 ではあったが、その苦笑や怒声はあの日の悲痛な表情よりもずっと良い。今となってはそれが梅花の地となってしまい、気負わなくともへらへらとした物言いが 飛び出してくるのだけれど、こうして不意に一人であると自覚してしまうと──重い。

「やめよう……本当に重くなっちゃう」

 梅花は首を横に振ると、気を取り直して足を進めた。

 

 

 

 

 蔵の中には呆れるほどの物が詰め込まれていた。

 重い扉を引き開け、埃っぽい空気に口元を覆う。玉蘭は入口に備え付けられた灯篭に火を燈すと、まず目に入るがらくたに頭痛を覚えた。

 何に使うのか解らない様な奇妙な品の数々が、何故表に放置されているのかと、昨日庭を眺めた時に気になってはいたのだが、この様子では無理も無い。これ以上この蔵にアレを詰め込んでは、必要があってしまいこんでいる他の物を取り出すことができなくなってしまうだろう。

「本当に、相変わらず」

 こんな品々を増殖させる嗜好の持ち主を、玉蘭は一人しか思いつかない。水賊討伐軍の一員となっているという従兄弟の居る方角に視線をやって、彼女は表情を曇らせた。

 全く、軍事行動にも戦闘にも向かない彼が志願兵となったのは、彼女が敵討ち等と言って飛び出してしまったからなのだろう。今のところは無事で居るようだが、大事に至る前に、家に帰って欲しいと思う。彼がやりたいことは、本当は他にあった筈なのだから。

 玉蘭は埃の積もる奇妙な物体一つ一つを確認しながら、蔵の奥へと進んだ。彼女がこの家を出、奉納楽師の業を継ぐ者がいなくなったのは随分前のことだから、その道具がしまわれているのは相当奥の方になる筈だ。

「? ……へえ」

 がらくたばかり、とはいっても、中にはきちんと実用的なものも紛れてはいる。

  灯篭の明かりに煌いたのは、翠玉の色彩。こんな場所に放り込まれているのだから、きっと秤曳の作品なのだろうが、精緻な装飾模様が掘り込まれていてなかな かに美しい。手にひんやりと伝わってくる感触は金属で、重量もある。この模様の意味は不明だが、それの利用目的は、彼の作品にしては珍しく明白──棍(= 武器)だった。

 武人として、従姉妹として、この棍に対する興味は尽きなかったが、玉蘭はもともとの目的のためにそれをもとの位置へと戻した。丁度その隣に、見覚えのある籠が置かれていた。

 

 

 表面を軽く拭って、蓋を開ける。

 拭いきれない埃が舞うのに少し咳き込んだ後、手を差し入れれば、滑らかな布の手触りと硬木の手ごたえ。大事にしまいこまれたとはいえ、少し色褪せてしまったその色彩が、己の長の不義理を咎めるようで、華蘭の心は痛んだ。

  本当なら、姉の婚姻が決まったあの幼い日に、父の跡を継ぐのは華蘭の役目と決まった筈だった。父母を師として研鑽を重ね、けれどその基本すら学びきる前 に、姉は烙印を押され父は陥れられこの世を去った。復讐に傾く華蘭の心を母は必死に押し止めて、奉納楽師としての誇りは、神楽舞にて保つべきだと、言い聞 かせ続けていたのに、結局──

 

 ふうわり、取り出した織物を背に羽織った。板を両手に、感触を確かめるようにゆっくりと叩く。

 カツ、カタン、コ、カッタンッ

 響きは悪くない。

 板は一度籠に戻し、華蘭はそれを抱えて蔵を離れた。

 裏庭のさらに奥には、父母の名を刻む石碑。叔父の母屋から見て、実際の墓のある方角に設けられたそれは、小蘭が一人でも父母の霊と対話できるようにと秤弦が設けてくれたものだ。

 碑の周りは掃き清められ、邪を退けるといわれる樹木が、両脇を護る様に枝葉を広げている。

 華蘭は深々とその碑に向かい頭を下げると、一指し一指し、記憶を辿りつ緩やかな動作で舞い始めた。

 自身の打ち鳴らす?板の響きと、衣擦れ、葉擦れの音だけがこの場の伴奏。こうして舞って目を閉じれば、自然と手を叩かれ足を叩かれしながら基礎を学んだその情景が思い起こされる。

 全然上達していないと、呆れる両親の声が耳元に聞こえるかのようだ。

 

 

 華蘭はただ一心不乱に舞った。

 

 

 玉蘭の名で、宮廷の女官長から手ほどきを受けた、女舞。

 少年剣士を名乗って旅した少女時代、同行者に座興で習った、剣舞。

 見よう見まねで踊っては、精神が未だ追いついていないと、何度も待ったを掛けられた。

 彼女の根幹に在るのはやはり奉納の舞。けれど正式なそれを踊る資格を、放棄したのも彼女自身。

 華蘭は舞うことで、それを詫び、許しを請い、辿った道筋・得た物を伝える言葉に換えた。

 

 

 

 

 

 辿り着いた蔵には錠が下りており、途方に暮れた梅花は、微かに聞こえる物音を頼りに、裏庭の奥へと進んでいった。

 カタッカツン

 カッ……タン!

 響く硬質の音は、長く戦場に在った彼女には長柄の打ち合う音に聞こえる。

 自然緊張し、気配を殺し木の陰に身を潜めながら先へ行けば──

 

 

 影が躍っていた。

 

 

 緋色の衣を纏った誰かが、落陽を背景として、堂々と、或いは激しく、或いはしなやかに舞い踊っている。

 長く地面に伸びた影さえも、その陰影も演出であるかのようにくっきりと濃く、己を飲み込むかと彼女を怯えさせた色彩も、この場では舞い続けるかの人の僕であった。

「あ……」

 梅花は不意にこみ上げてきた感情を、口元に押し止める。

 そこに居るのが誰なのか、とっくにわかっていたのだけれど、その凛とした動きが、ぴたりと過去の情景と重なった。

 あの日、あの時、家族と離れ暴徒に脅かされていた梅花を救い、村の生き残りの元へと導いてくれた剣士──顔もろくに覚えていない初恋の相手と、賊に囚われ、売られるか慰み者になるかの瀬戸際だったその時に、駆けつけて解放してくれた女将軍──玉蘭。

 もしかして。もしかして、本当に仮に、都合の良い想像、思い込みを許されるのならば。

 梅花をぎりぎりのところから救い上げてくれるのは──

「玉蘭、さま」

 梅花は舞の邪魔にならないよう、咽喉の奥で呟いた。

 玉蘭は未だ踊り続けている。

 その姿があれば、毒々しい夕焼けも、燃え盛るような木々の照り返しにも、もう怯えずに居られるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

戻 基

 

板(左の小さめの字は本当は一つの漢字)=カスタネットっぽいかんじで。

素材提供元:LittleEden