秤弦の家は、質素ではあるが、なかなかの面積を持つ、平屋の一軒家だった。

 庭の片隅に奇妙な物体が所狭しと並べられていることは見なかった振りをして、他をぐるりと見渡せば、広々とした母屋と、仕事場であるらしい別棟、石造りの竈や薪小屋、それに、蒸し風呂までが備わっており、町民としてはかなり裕福な暮らしぶりが伺えた。

 これだけのものが揃っていても、門外から眺めた時に特に立派な家には思われないのは、豪奢な装飾が一切省かれた、その簡素な佇まいの為であろう。

 梅花とて武器を扱うものの端くれ。その名ぐらいは聞き知っていたが、ここ梧州における秤弦の存在は相当に大きいものであるらしく、梧公洪励やその嫡子洪拶など、州の重鎮・主だった将軍なども是否にと請うて彼の鍛えた剣を求めるのだそうだ。

 道理で、兵士達の警戒と警護も頷ける。

 明くる朝になって常韓らが任地へ帰還するのを見送るまでの間に、彼女はこの家の主・秤弦についての様々な知識を得た。

 その中には、彼が義兄・穂荀の遺子を引き取って養育したという話や、その遺子が敵討ちに旅立ったために、より早く罪人を捕縛して裁きを与えるようにと嘆願した話なども含まれていた。

 

「梅花」

 彼女が与えられた一室から、ぼんやりと殺風景な庭を眺めていると、背後から声を掛けられた。

「っと、華蘭様?」

 咄嗟に別の名を呼びそうになって口元を押さえれば、「華蘭」は苦笑して、呼び方はどちらでも構わないと応じた。

「説明する余裕がなくて、ごめんなさい。気に、なったでしょう?」

「常韓殿のお話と、秤弦殿方とのお話で大体のところは察していますよ〜。玉蘭様は、穂華蘭様で、敵討ち? か何かのご事情でこれまで偽名を使われていたんでしょう?」

 態とあっけらかんと梅花は言った。

 偽名と悟っても、彼女にとって目の前にいる人は第一に「翠玉蘭」という存在であり、その名の方がずっと呼びなれて、しっくり来るものだった。

 玉蘭は頷いた。

 その様が、未だ、騙していた事への後ろめたさに満ちているので、

「だっけど流石に私も驚きましたよ〜。まさか玉蘭様が秤弦殿のご親戚だったなんて。桜姐が知ったときが楽しみでっす」

更におどけて笑いかける。

 梧に入ってからの展開になかなかついて行けず、目を白黒させたことは多々あったが、基本的に梅花は玉蘭の出自について深くは気にしていなかった。

 この時代、この情勢の中で一々気にしていても仕方のないことであったし、繕都での別れ際、託した手紙に記したように、彼女達姉妹は玉蘭の人となりに惹かれ、忠誠を誓ったのだ。決して「可憐将軍」という彼女の地位に対してではない。

「ありがとう、梅花」

 その想いが伝わったのだろうか。玉蘭は漸く微笑んで、本題に移った。

「今から、叔父達のところに話に行こうと思うの。昨日は込み入った話ができなかったし、桜華や桃果のことも先に伝えておくべきだろうから」

「私が一緒で良いんですか?」

「勿論。大切な姉妹の事を話すのに梅花が居ないでどうするの」

 梅花の質問にはっきりと頷く玉蘭は、彼女の良く知る彼女だった。

 梅花は嬉しくなって

「判りました! じゃあ早く行きましょう、善は急げですよっ玉蘭姐」

「じゃ、いこっか」

ぴったりくっつきあいながら二人は居間へと向かった。

 

 

「なんだい? 改まって」

 声をかけると、奏葵は厨房から糠に塗れた手を拭いつつ姿を現した。

 秤弦は、何か察するものがあったのだろう。むしろ居間で彼女達を待ち構えていた。

 彼等が腰を落ち着けるのを待ち、玉蘭と梅花は互いに頷き合って二人の正面に座した。

「改めまして、穂華蘭、ただいま戻りました。それからこちらは、私のこれまでを支えてきてくれたかけがえの無い姉妹の一人、裁梅花」

「梅とお呼びくださいませ」

 まずは揃って深く一礼。

 秤弦は「うむ」と頷き、次の言葉を待つ。

 しかし、奏葵の方には別の考えがあったようで、

「ほ んとにもう、心配したんだよ、小蘭。うちの子達はもう、敵討ちなんて言って、皆して飛び出していって! お前は行方知れずになるし、後の二人まで出て行っ たのに、何、肝心の仇は、蔚の将軍が討ち取っちまったって言うじゃないか。あたしゃあアレは天罰だと思ったけれどね、なのに伝えようにもお前の居所もわか らないままで、生きた心地がしなかったよ。梅花さんや、小蘭を助けてくれて何とお礼を言ったら良いか!」

「い、いえ。私は……」

句読点を認識することはできても、次から次と言葉をつむぐ彼女には、流石の梅花も圧倒された。

 秤弦は咳払いをして、妻のお喋りに制止をかける。

 玉蘭は目顔で謝意を示し

「ご心配をおかけいたしました」

再び養父母に向かい頭を下げる。

「本来でしたら、仇を討ち果たしたところで帰郷し、ご報告に上がるべきところ。助力を受けた筋への返礼のためとはいえ、不義理を致し申し訳ありませんでした。仇敵旱猷、しかとこの手でひっ捕らえ、然るべき処断を与えられましたことを謹んでご報告させていただきます」

「え、小蘭? 何をお言いだい? 旱猷は嵩軍の……」

「可憐将軍」

 戸惑う奏葵を横に、ポツリと呟くは秤弦。それでも彼の連れ合いは未だ怪訝な表情を浮かべているが、玉蘭はばつの悪い笑みで彼に頷いた。

「叔父様に隠し事はできませんね。はい──」

「旱猷の噂を聞いただけでは半信半疑だったが、今の珠粋を見れば、な」

「叔父様……」

「後で珠粋を持ってきなさい。手入れは怠らなかったのだろうが、可憐将軍の奮闘振りはこの乾格にまで聞こえてくる程なのだからな」

 秤弦は、実に淡々と言葉を結んだ。穏やかな眼差しがなければ、気分を害しているのではないかと勘繰りたくなる程、表情に乏しい声色だった。けれどそれを聞いた玉蘭が、今にも泣き出しそうにも見えるホッとした笑みで

「ありがとうございます」

深く頭を下げた以上、彼のその態度はきっと、長の不義理に対する許しの表れなのだろうと梅花は考えた。

 梅花が驚いたことに、玉蘭が蔚の──嵩萄配下の将であったことに対する二人の反応は、それで終いだった。むしろ奏葵は、旱猷を討ち果たすために無茶をしでかしたのではないかと今更に気を揉み、そして秤弦は黙ってその騒動を見つめていた。

 そこには極普通の家庭が在った。

 寡黙な父と心配性の母──梅花達が疾うに奪われてしまった過去の幻影。彼女達の両親が本当はどんな人物であったのかも、梅花には既に朧気で、こうして言い合っている玉蘭と奏葵にしても、本当の親子ではない。

 梅花が柄にもなく感傷的になったのは、ここに来て初めて目の当たりにする玉蘭の側面に、引き摺られたためなのかもしれない。

 少し困り顔で叔母を宥めていた玉蘭は、ふと梅花へ視線を呉れ、

「私 が蔚でどうにかやって来られたのは、彼女達のおかげでもあるのです。ですが故あって、こちらへ戻る折、共に来ることが叶ったのは梅花のみ。叔父様、叔母 様。梅花には一人の姉と一人の妹が在ります。とても仲の良い姉妹で、直に──少なくとも桃果は直に、私達を訪ねてくることと思います。我儘なお願いだとは わかっているつもりですが、彼女達を受容れてはいただけませんか? 無害なりとの身元が明らかにならぬ限り、峠を越えることはできないようなのです」

夫妻は顔を見合わせて苦笑した。

「何を今更他人行儀にねぇ。それに曳も麟も出て行っちまって寂しいくらいなんだ。小蘭の姉妹も同然って子達を無碍に追い返すわけは無いだろう?」

「更が丁度仕事で州境付近に出かけている。早馬を呼んで気をつけるように文を出そう」

 二人は快く彼女の願いに肯定を返した。

 けれど、秤弦が言い足すのを聞くと、玉蘭は眉を顰める。

「……更は今何をしているのですか?」

「鉱物の仕入れを任せている。私の子供の中ではあいつが一番、身の程を弁えているからな」

「更、らしくはありますね。更ならば的外れなことも無いでしょうし」

 今度こそ玉蘭は顔を緩めた。堅苦しい話はこれで終わりとばかりに、奏葵は手をパンパンと叩く。

「さあさ、話が決まったなら小蘭はすることがあるだろう? 義兄さんの道具は蔵の中だ。使い手が居なかったからねぇ。それで、梅さんは更に出す文を書くのを手伝っておくれよ。姉妹のことならあんたが一番わかってるだろう?」

 この催促に従って、二人は席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

戻 基 進 

 

秤家の兄弟は、長兄・更、次兄・曳、妹・麟。

素材提供元:LittleEden