「五月蠅いねえ。一体全体これは何の騒ぎだい?」

  沈めに沈めた盗賊達を麻縄で縛り上げていると、ようやっと騒動を聞きつけた楊小母さんが眠い目を擦りつつ蔵に現れた。それで初めて、楓軌はこの家の者に危 害が加えられていないと知って胸を撫で下ろす。どだい、この口やかましい小母さんが襲われて大人しくしている筈もなく、また、傷付けられた家人を見て騒ぎ 立てるなというのが無理な話なのだ。このときまで賊徒との乱闘の他何の騒ぎも起きなかった事が、控えめな無事の保証でもあった訳である。

「お休みのところ、お騒がせしてごめんなさい」

「おんや、あんた確か軌の連れてきたお嬢ちゃん……それに軌もいるんじゃないか! あたしの家の蔵で一体何をしでかしてんだい?」

 朱宝は戦闘中の不敵な態度を引っこめて、実にしおらしく首を垂れた。楊小母さんはそれで知った顔があるのを見つけ、悪戯者を叱るような表情で朱宝と楓軌とを睨みつける。

 楓軌はぐわし、と頭を掻いた。

「しでかしたのはこっちじゃねえや! 小母さんときたら盗人が入ったのにも気付かなかったのか?」

「盗人だって? この楊小母さんの蔵にかい?」

 楊小母さんは目を丸くして訊き返す。楓軌はそら、と捕まえた男を一人小母さんの前に突き出した。

 小母さんはすっかり覚めてしまった両の眼で、気絶した男の顔をよくよく観察した。

 

「……確かに知らない顔だねえ。しかしなんだってこんな大勢で。自慢じゃないが、盗賊団に襲われるほどのご立派な蓄えなんてあたしゃ持った例がないんだよ。そりゃあ、けちなこそ泥が盗みに入るってんならまだわからなくもないんだけどねえ」

「小母さん、そりゃ確かに自慢にゃならねえや」

 あけすけな物言いに、楓軌は苦笑いを浮かべた。楊小母さんは、自分の言い出したことにも拘らず、

「大きなお世話だよ!」

と楓軌を睨み上げた。

 

「それにしたって、こいつらは一体どうしちまって我が家なんかを狙ったんだい?」

「さ、さあ?」

「さあって、あんた知らないのにどうやって賊があるのを嗅ぎ付けたんだい」

 些か頼りない返答を、楊小母さんが呆れ顔で見上げるは、いた仕方ない。二人の会話を尻目とし、朱宝は蔵の隅に飛んでしまった、黄ばんだ紙をゆっくりと拾い上げた。

 彼女はそれの埃を丁寧に拭い落とす。

「……マルード」

 空気を僅かに振動させるのみの呟きは、楓軌や小母さんの所まで届く事はない。ただただその古びた紙片を朱宝は凝視した。

「おい、どうした?」

 尋常ではないその様に漸くおや、と気がついた楓軌は朱宝に声をかける。すると彼女はハッとして目を上げた。

「ちょービックリ。てか、マジ感動?」

「は?」

 また突拍子もない事を言い出したな、と楓軌は身構えた。朱宝はそれに取り合わず、楊小母さんに、

「こいつらが狙ったのはこれなんです」

「こいつぁ……夕方に話してた地図じゃないか!」

朱宝は頷き、同じく拾い上げた塗り箱へとそれを収めてから小母さんへと手渡した。

 これに目を白黒させるのは楓軌である。

 よもやこんな紙切れ一枚の為に大騒動を起こす者があるとは、最早彼の常識の範疇外であったからだ。

「オルヴァリー……つまりは北方大陸や、岩留諸島において公式に現存が発表されているゼイエンマップは、全て国家が国宝として所蔵するものばかりなんです。

できの良い精緻な地図は、軍事的にも政治的にも多大な効果を持つものですし、況してその礎を築いたゼイエン手ずからの地図ともなれば、どれだけ金を積んででもどんな方法であっても手に入れたいと思う収集家だって存在します」

「こんな薄汚れた紙ッ切れがか……?」

「世の中にはオリジナルのゼイエンマップって触れ込みで、劣悪な模造品に高値を吹っかける悪徳商人もいるくらいなんですよ。逸話つきの一枚なら、それだけで価値が上がるし、それに……これ、正真正銘の本物ですから」

 朱宝はまた楓軌の見知らぬ顔つきで塗り箱を見つめた。

楓軌はごくりと唾を飲み込む。

「いってえ、幾らぐらいの価値があるんだ?」

「…………知らない」

「おい!」

「あたしにわかるのはぁ、これが本物かニセモノかってことだけだしぃ? べっつに売り買いしたいわけじゃないもん、値段までわかるわけないじゃん」

 呆気なく言い切る朱宝の言葉は、どうにも人をバカにしているとしか思われない。然れば、楓軌は拳を力強く握り締め、彼女を睨み付けた。それをちょいとお待ちよ、と止めだてしたのは楊小母さんであった。

「けれどお嬢ちゃん、どうしてこれがその、本物だなんてわかったんだい? そりゃあ、あたしだって嘘なんてついていないさ。それでも爺様が何か誇張したことだってあるかもしれないだろうに」

「見 せていただくまでは確証があったわけじゃないんですよ。でも、ゼイエンがどんな人と旅をしてたのかなんて、実際に会った人か岩留諸島の伝承によっぽど詳し い人じゃないと解らないことだし、年代にも矛盾なさげでしたし、ひょっとしてって思ったんです。そしたらなーんかやばそうなおじさん達がこそこそしてる じゃないですか! あたしもう、ちょー怖くなって、哥哥に一緒に来てもらうことにしたんです」

 朱宝は己の胸の前で掌を合わせて見せた。しかしながら、しおらしい態度ほど薄気味悪いものはないと言わんばかりに、楓軌は引き攣った面を朱宝へ晒した。

 楊小母さんはおやおや、と内心にほくそ笑んだ。むくつけき大男が、その陰にすっぽり納まろうかという娘一人にいいように翻弄されているところを、年長者の勘とやらでありありと見て取ったのであろう。

「それでこのでくのぼうは役に立ったのかい?」

「勿論ですよ。あたし一人じゃとてもとても」

「軽々と見張のした奴が何言いやがる」

 斯くも嬉しげに話し合う女達の、何と不気味な事か。楓軌のぼやき声は、鋭い一睨みにて黙殺の憂き目に遭う。

「そいつぁよかった。さ、軌、何ぼやぼやしてるんだい? さっさとこいつらしょっ引いて役人に突き出す準備でもしちまいな! あたしゃまだ寝足りないんだ」

 小母さんはパンパンと手を叩き、胸を反らして楓軌にそう命令した。

 

 

 

 

「……てめぇ、人をダシにしやがったな」

 翌朝、楓軌は幾度も生欠伸を噛み殺しつつ役人の到着を待っている。傍らにしゃがみ、縄に掛けられた賊徒共を詰らなさそうに見遣る朱宝は、退屈そうな様子の他は至って元気そのものである。

「だってしょーがないじゃん。あたしだけじゃ小母様も信用なんてしてくれなかったし」

 朱宝は楓軌を見上げぬままに呟いた。

 楓軌は顔を顰め遣る。改めて見下ろすにつけ、朱宝はとても小さかった。

「それにしちゃあ随分威勢のいい啖呵切ったな」

「だって、悔しかったし」

「あ?」

 朱宝は右手に填められた指貫の手袋を押したり引っ張ったり、いじくりながら答えた。

「マルードはそこに住む人と旅をする人のために地図を引きなおしてまわっただけなのに、それを

悪どく儲けるためだけに利用するなんて」

「…………何かお前、見てきたように言うなぁ」

 奇妙なほどに実感を籠めてしみじみと言うので指摘してやると、ぴたり、朱宝は動きを止めた。

「そんなの……冒険者の常識だよ」

「へえ、そんなもんかねぇ」

 楓軌は朱宝の頭に手を載せ、十も年下の子供に対するがごとく乱雑に掻き回した。

 拗ねたような答えが、何故か一際彼女を幼く見せた。その頼りなさに、激励を与える言葉の代わりに。

 

 

 

 

 

 

 

戻 基 

 

そんなわけでブツとはゼイエンマップ。これでどうにか第二次的遭遇にも繋がった……かな?

 

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