家の中は静まり返り、先ほどの賊が潜入しているとは俄かには信じられない。偶にきしきしと音を立てるのは、ただ楓軌の足音のみ。
何かを探るように気配を殺す朱宝は、店に続く扉を素通りして、更に奥へと進んだ。
この先にあるものといえば、恐らくは蔵であろうか。楓軌には、かつて幾度か大掃除の手伝いに駆り出された覚えがある。そういった事を一切知らぬ筈の朱宝が 真直ぐとそちらへ向かうのも、如何なる勘の働きかと訝しく思った楓軌であったが、今ここで問い詰めても仕方のないことでもある。
がたがたという物音と、微かに漏れる光に彼が勘付いたのは、角を曲がって後。
楓軌は表情を引き締めた。
先だって見かけた人影を思い起こせば、すくなくとも三名ほどは賊が上がりこんでいる事となる。幾ら得体が知れぬとはいえ、幾ら身のこなしが素早いとはい え、朱宝は非力な女の身。荒事に慣れた男数人がかりで襲い掛かられたのでは、太刀打ちできぬに違いあるまい。大立ち回りを演じるには、この場所は些か窮屈 である。しかしながらそれは、賊徒共にとってもまた然り。
楓軌は息を殺し、連中へ仕掛ける間合いを推し量った。
「──!」
不意に、朱宝の纏う気配が変わった。
賊共は何を探り当てたやら、一つ処に寄り集まり、歓声を上げる。お宝を見つけた以上、連中に身を潜める気遣いはなくなったようだ。仮令大騒ぎをして家人が現れても、全て斬り捨てて逃げ切る自信があるのだろう。
全体、楊小母さんの店の蔵に、それ程の価値の在る物が眠っていたものかと楓軌には得心の行かぬ状況ではあったが、件の賊共はまさしく有頂天であった。
賊の一人が、色褪せた塗り箱から何かを取り上げようとしたその時──
「そこまでにして貰いましょうか」
硬く冷え冷えとした若い女の声が、賊共のだみ声の間に割って入った。
「なっ?!」
その場の誰もが目を剥いて乱入者を見つめる。
それは物陰で機を伺う楓軌とて例外ではない。
唯一人、当の朱宝だけは真直ぐと、賊の頭目と思しき大柄な男を睨み付けていた。
「そこのそれは、あんたみたいな下衆の為にあるもんじゃない」
朱宝は抜き去った懐剣の切っ先を男の首筋に宛がって、武器を捨てるように命じた。
登場の瞬間にこそ度肝を抜かれた賊共であったが、しかし、襲撃をかけた彼女がたった一人の小娘に過ぎぬと見て取ると、一転、好色そうな笑みを浮かべて朱宝を取り囲んだ。
「ちっ」
楓軌は舌打ちし、己の得物へ手を掛ける。
「へへっ威勢のいい小姐だぜ」
「おー怖い怖い」
「そんなもん持って、俺たちと遊んで欲しいのかぁ?」
賊共はじわりじわり朱宝との距離を詰めて行く。
相対す朱宝は毅然として、
「汚い手でそれに触れるな!」
男が未だ抱え込む塗り箱を片手で払い除けた。
黄ばんだ紙が宙を舞い、賊の一人は慌ててそれに手を伸ばす。
「てめえ!」
刃物を突きつけられていた男は、これに見事に逆上する。
振り向き様朱宝の腕を捕らえんと手を振り上げ、半身捻ったところでこの男は蹈鞴を踏んだ。
「何っ?!」
「甘ぇな!」
男の視界には、楓軌の拳だけが映った事であろう。
男が反撃に移ろうとするや否や、朱宝は深く身を沈めて左に避けた。悠長に驚いている賊の動きを見逃す道理はない。すぐさま蔵の中へ足を踏み込んだ楓軌は、出会い頭の男に正拳を叩き込んだ。
「がはっ」
大きく仰け反る男に、朱宝は足元からの追撃を喰らわせる。
足払いを受け転倒する男の身体が妨げとなり、賊共の動きは非常に鈍い。
体格を比較するのならば居並ぶ賊徒の何れよりも楓軌のそれは抜きん出ていたのだが、幸い、先制した朱宝に連中の意識は集中しているために、楓軌は比較的広い空間で立ち回ることが叶った。
況してや、他の者よりも明らかに小柄である朱宝などは、雑然とした蔵の内部である事を妨げとは感じていないような身のこなしで、頭に血の上った男達を見事に翻弄している。楓軌はただ、隙だらけの賊徒達を手当たり次第に打ん殴ってさえいれば良い有様であった。
全ての賊を捕らえるまでには、半刻も有れば十分に事足りた。
それが何であるのかは次回のお楽しみ……とは言いつつ、既にヒントは出ていますが。