そして辿り着いたのは南方の辺境、湖南州白蓮。

 白蓮といえば、左遷地から勢力を広げ、今や公然と仲間集めを始めている璃有の本拠だ。

 塩気を含んだ湖水の影響で、育つ作物の限られた土地柄。町並みも全体に白っぽく乾いていて、石造りの建物の向こうには、棲む魚の少ない塩湖の水面が垣間見える。

 申し訳程度の崩れかけた石門には、気のよさそうな門番が二人。どちらかといえば重い荷を持つ旅人の出入りを助けるのが仕事であるかのように、荷車引きに手を貸したり、通路周辺の清掃に精を出している。

 安宿の手前で、ルーはウキハシと別の方向に向かった。

「えぇと……」

 どちらについていくべきなのか、考えあぐねる桜華に、ウキハシが手招きをする。

「ええねん。ルーはここん人苦手やさかい。こっちやで」

「はあ」

 ついつい桜華は気の抜けた返事を返した。

 乗り合い馬車などを乗り継いで一月あまりの旅程中、ルーは殆どついてくるだけだった。

  夜盗や猛獣に襲いかかられた時も、二人の行動は、馬車の護衛に任せきりか、逃げるが勝ちの基本戦法で、どうしても避けて通れない時には、眠り草の粉末をば ら撒いて足止めをした後、やっぱり一目散に逃げ出すばかり。(ウキハシが言うには、「ただの踊り子には賊と戦う力などない」そうだ)

 かといって彼はウキハシの芸を補佐するわけでもなく、彼女が路銀を稼いでいる間には、ふらりと何処かへ居なくなっている。このため、一度桜華はルーの後をつけてみたのだが、彼は方々の露店を冷やかして歩いているだけだった。

 だからこそ、桜華はルーの旅の目的が、ウキハシとともにここ白蓮にやってくることなのだと解釈していたのだが。

「せやさかい、桜華はんもルーのことは内緒にしててーな?」

 ウキハシは悪戯っぽく笑って言った。

 桜華に敢えて反する理由はない。彼女に手を引かれたまま、桜華は安宿の裏口を素通りして町の中心部へと足を進めた。

 会わせたい相手がそこに居るのだという。

 件の情報通──桜華の主、翠玉蘭の消息を辿る伝を指しているのは、想像に難くない。しかし。

「ッ!」

 殆ど導かれるまま歩いていた桜華は、近付く建物と、その傍に待ち構える人の姿にハッと息を呑んだ。

「──おをッ?」

 桜華がウキハシへ真意を質す前に、そこに居た大男がこちらに気付き、声を上げる。ウキハシは、男に軽く手を振った。男はちらりと隣の桜華にも視線を呉れたが、二人をとがめだてすることなく、ウキハシは彼の脇を抜け、屋敷の通用口からその敷地内へと入り込んで行った。

「ウキハシさんッ、まさか──!」

 さらに歩を進めようとする彼女を、どうにか押し止めた裏庭。桜華は速くなる動悸と、退いて行く血の気を感じながらウキハシを見つめた。

 たった今素通りした大男は、彼女の記憶する限り……

「堪忍しておくれやす。悪うようにはせえへんし……せや」

 ウキハシは悪びれずに笑う。しかし、桜華の言外の問いを否定したのでもない。

 此処は、璃有の屋敷だ。

 でなければ、あの大男──楓軌が番をしている筈がない。一体何故彼女は、桜華をこんなところまで連れて来たのか。

  いつの間にか随分油断してしまっていた自分に、桜華は今更気付き、愕然となった。確かに彼女も、出立の当初は玉蘭の足取りを掴むためにこの地を訪れること を考えなくもなかったが、しかし、誰かの思惑に乗せられてのこのこと無防備にこんなところまで入り込むつもりなどまるでなかったのに。

 彼女が抵抗を止めたのを良いことに、ウキハシは桜華の手を再び引き、屋内の一室へと誘う。

 軟禁、するつもりだろうか?

 桜華を中央の椅子に座らせると、ウキハシは直にその部屋を立ち去った。

 

 

 

 コンコン

 扉が叩かれた音で桜華は目を覚ました。

 どうやら眠っていたらしい。

 目覚めてから初めてそれを知る。

 一人になって直、脱出について考えないでもなかったが、結局桜華はこの部屋に留まっていた。

 試しに手をかけた扉に、鍵がかかっていなかったので。

 嵩軍の一員としての桜華を罠にかけたのなら、鍵や見張りは必須。しかし此処には、そのどちらもなかった。

 だからこそ益々気になったのは、ウキハシの目的だった。

「失礼致す」

 一声かかり、後、扉が開いた。

「将軍……」

 現れた相手の姿は、楓軌以上に見覚えのあるもの。

 蕃佑は驚き畏まる桜華に苦笑を見せて、伴っていた若い女性に扉を閉めさせる。

「久しいな。裁桜華殿」

「将軍もご壮健そうで何よりでございます」

 桜華は睫を伏せて、彼に応じた。

 彼がこの場所に居る──少なくとも、関を抜けるまでは、共に在った筈の玉蘭も無事だったと言うことだ。

「うむ……お主も、よう無事で此処まで参られた」

 うなづき返した蕃佑が、ふと視線を彷徨わせる。

「その、裁……殿が参られたのは、翠、玉蘭殿の件であろうか?」

「蕃佑哥哥、椅子にぐらい座ろうよ」

「ああ、それもそうか。失礼仕った。どうか楽にされよ」

 考え考え話を始めようとした蕃佑の袖を、若い女性が引いて至極もっともな指摘を入れる。彼は頭に手を当て、桜華にも着席を促す。

 女性もちゃっかりと蕃佑の隣に腰を落ち着けた。

「っでー、結局蕃佑哥哥も玉蘭さんの行き先は知らないんだよね〜?」

「こら、朱宝」

 それどころか話を仕切って進ませようとするので、今度は蕃佑が彼女の頭上に軽い一撃を。

 「ったー」と涙目になった彼女の頭を抑えて、蕃佑は

「これともう少し早く連絡がつけらるれば、斯様な無駄足を踏ませずにも済んだのだが」

「これとかゆーしぃ」

「朱宝!」

桜華に対し、詫びを入れる。

「翠玉蘭殿は郷里に戻られると申されておった。私にはそれ以上のことは判らぬが、少なくとも、湖南の地には居られぬのではないかとは思い致す」

「そう、ですか……」

 桜華は努めて落胆を顔に出さぬようにしながら呟いた。

  人伝ながら聞き知った、あの軍議での玉蘭の誓言があるから、この地で彼女に出会えなくとも、それは充分に想定されなければいけない事柄だ。けれど、一番最 後まで玉蘭と共に行動していた蕃佑であれば、何かしらの話を聞き出しているのではないかという僅かの期待も、これで潰えたことになる。玉蘭と前後して出立 した妹達は兎も角、これでは桜華が彼女と合流することなど不可能なのではないか?

 桜華は 知っている。玉蘭が何故彼女達姉妹に何も告げずに旅立とうとしたのか。にも拘らずついていくことを決めたのは──妹達の背中を押して、追っ手がかかるのを 少しでも遅くするために何食わぬ顔をして留守居を務め、そうして頃合いを見計らって都を離れたのは、他ならない桜華自身。彼女と最も親しくする男はとても 聡いから、桜華の僅かな言動だけで、彼女でさえも予測のつけられなかった玉蘭の行く先を察してしまうかもしれないし、少なくとも、玉蘭が行動を起こした動 機を見抜くことは間違いないだろう。それを真に理解して欲しい相手が誰であるのかも含めて。(何しろ桜華の把握する限り、玉蘭のもっとも古くからの知人は 彼になるのだ)

 彼は態々桜華を咎め立てしたりはしないだろうし、だからといって玉蘭の行動 を見逃しはしないだろう。玉蘭だってそのくらいの予測は立てているに違いなく──それでも桜華達を置いてゆこうとしたのには、自分の騒動に桜華らを巻き込 むつもりが無いという意思表示と、何割かの複雑な心境。玉蘭はきっと、捕らえられたら潔くあらゆる処罰を受容れる。心にどのような想いを抱いたとしても、 それに厳重な鍵をかけて。桜華の知る主はそのような人間なのだ。

 だからこそ彼女達姉妹は、玉蘭を追い駆けてこれを守ろうと決断したのだけれど。

「ねーえ蕃佑哥、ほんっとに玉蘭さんは他に何も言ってなかったの? 何で故郷に帰りたがってるとか、どのくらいかかりそとか、全然?」

 卓に肘をついた行儀悪い姿勢で、朱宝が問いかけた。内心途方に暮れている桜華には、またとない助け舟。主に対する馴れ馴れしい呼称が気にならなくはなかったが、不快を感じるに至らないのは、先ほどから良い間合いで口を挟んでくれるからだろうか。

「否、これといって思い浮かばぬ。済まぬな、裁桜華殿」

「蕃佑哥哥ってそゆとこ楓軌哥と一緒で使えないよねー」

 朱宝は蕃佑をじっとりとねめつけ、肩を落とすと桜華に対しては苦笑を覗かせた。

「ごめんだけど、後で佳鈴姐にも聞いてみるし、褐雫師なら何か掴んでるかもしれないし、あんま気、落とさないでね?」

「え、ですが」

 手掛かりが無い以上、直にでも出立しようと考えていた桜華は目を瞠った。

 多少の関わりを持つとはいえ、一将の一側近のために、軍主の夫人や軍師の手を煩わせるなど、俄かには信じられないことだ。

「大したもてなしは致せぬが、気の休まらぬ長旅でお疲れであろう。ここで裁桜華殿を引き止められなんだら、私が察夫人にお叱りを受けよう」

「そーゆーことぉ。だいたい、ゴーインにこんなとこまで引っ張ってきといて、何も判りませんでした、じゃあバイバーイ♪ なんて放り出すほどあたしは薄情じゃないよ」

 にも拘らず、蕃佑と朱宝は口を揃えて言った。

「うむ。そうであった。玉蘭殿を案じる想いも強かろうが、貴殿はこのじゃじゃ馬の客人なれば、疲れが充分にとれるまでどうかゆるりと過ごされよ」

「……なんか蕃佑哥哥の言葉にはトゲがある」

 ニヤリと、桜華がこれまで知る中で、可也に砕けた笑みを浮かべて蕃佑が重ねれば、彼を哥哥と呼ぶ朱宝はぼそりと呟いて。

「まあ、うちかて悪気があってのことやなし、堪忍なあ?」

 何故初対面の朱宝の客人となるのかと首を傾げる桜華に、おっとりとした表情を形作って両手を合わせた。

 一体この人には何度驚かされなければいけないのだろう。

 息を呑んだ桜華だったが、切欠を与えられてまじまじと彼女の顔の造作を見つめれば、答えは一つしかなかった。

「……いえ、私の不明の致すところです」

 だから彼女は白旗を揚げて、

「暫らくの間、お世話になります」

改めて首を垂れた。逃亡の手引きをしてくれた、この一月あまりの旅程の同行者に。

 

 

 

 

 

 

戻 基

 

 そんなわけでウキハシの言葉遣いが不自然だったのはこの人の偽装だったから。
 玉蘭サイドの話の振りをして、どちらかというと朱宝サイドの裏話と言う。

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