庸明殊は宜州央原の浪人である。

 

 義に篤く気質は穏和で、乱れた国内を憂いていたが、自分が人民の上に立つ程の器ではないことを早くから自覚していた。宜州官黎明に仕え、彼の手足となって州内の安寧維持につとめていたが、黎明が病死し、宜州府が利権を争うばかりに腐敗したことを嘆いて出奔した。

 

 仕えるべき主を求め、韻家を始め台頭する諸侯の評判を窺って回ったが、これはという者とはなかなか巡り会えない。

 

 陽片王を見出した嵩陶に拝謁するべく繕都にも赴いたのだが、謁見の申し込みをする前に、主を傀儡となしているという噂を耳にして失望してしまった。

 

 

「贅沢を言うわけではないが、今少し弱者の身を案じ、物事の正道を重んずる志高き御仁はいらっしゃられぬものか」

 

 

 ある宿場で溜息を吐いていたときのことだった。

「お前さん、仕官先を探してるのかい?」

 隣の卓で酒を飲んでいた商人風の男がそう声をかけてきた。

 男も連れも大分聞こし召している様子の赤ら顔。安宿にいるのだから程度は知れるが、このご時世でなかなかに余裕がある懐具合のようだ。

「恥ずかしながら、その通りです」

 酔っ払いに下手に絡まれてもかなわぬと、明殊は言葉少なく応じる。

 男はそうかそうかと陽気に笑って、手酌で盃に満たした酒を豪快に呷った。良い飲みっぷりに、卓を囲む仲間達からはやんやと喝采があがる。

 両肩を乱暴に叩かれた明殊だけが、所在無げに目線をさまよわせる。

 

「今から仕えるってんなら、断然璃有様がおすすめだぜ!」

 男は口元を拭って言った。

 すると、連れの目の下の隈が深い男は、

「馬鹿おめぇ、璃有つったら嵩陶様にたてついて左遷された三流官吏じゃねえか!

 俺なら断然拝統様を推すね」

「馬鹿はおめぇだろう、拝統様はこないだの戦で亡くなっちまったろうが」

更にもう一人の連れ、短く刈り込んだ頭で、後ろの一房だけを伸ばして編み込んだ男が返す。

 隈の男は口をすぼめ、ばつが悪そうに指摘をした方に、

「う、じゃあおめぇなら誰がいいってんだ」

「だからあれだ、拝統様んとこのちびっちゃい子供を引き取って世話つけてんのは洪家だろう。そこはどうだ?」

刈り込んだ頭を掻きつつの言は、やや心許なげである。

 

「洪拶様もなあ……悪い人じゃねぇだろうが、息子が仕切ってる水賊討伐に随分時間がかかってるじゃねえか。どうにも情けなくてなぁ」

 最初の商人風の男は、また手酌で酒を酌み酌み溜息を吐く。

 

「だからと言って璃有はねぇだろ。先行きで言っちゃあ、一番不安なとこじゃねえか!」

 隈の男が言い返すのには、髪を刈り込んだ男も深く頷いた。

 ただ、商人風の男だけは自信たっぷりで彼らを笑い飛ばす。

「ばっかだなぁおめぇら! だからいいんじゃねぇか。嵩陶様んとこなんて名のある将軍様がてんこ盛りでよ、端っから活躍の機会なんてありゃしねえぜ。そこいくと璃有様んとこは常に崖っぷちだからよ、志願すりゃ重用されること間違いなしだ」

「んでもなぁ、その璃有がいつ潰されっかわかんねぇだろうがよ」

 隈の男は食い下がる。すると商人風の男は、盃に口を付け、ぐいと干したままふてぶてしい目で一同を見た。

 

「知ってるか? 嵩陶様んとこで重用されてる蕃佑将軍も徐軍書も、璃有様んとこで活躍したから引き抜かれたんだぜ」

 それに近い噂は明殊も聞いたことがあった。

 落ち目の官吏から有能な者を何人も引き抜いていると聞き知っていたからこそ、明殊は嵩陶の下を訪れようとしたのだ。

 特に胸を躍らせたのは、蕃佑将軍の武勇。将軍の仕えるほどの人物とは如何なる高潔な方かと期待して臨めばこそ、繕都で耳にした噂の数々は失望を大きくした。

 

「まあ、俺達が仕官しようってんじゃねえし、ここであれこれ言ってもしょーがねえことだけどよ!」

「違いねえ!」

 男達はまた豪快に笑って酒を酌み交わした。

「しょーがねえって言えばよ」

 話題はすぐに彼らの内輪話へと移っていく。

 

 明殊は聞いてもらえぬ礼を一言呟いて、己の食事を再開した。

 蕃佑将軍の本来の主が璃有という人物であるのなら、その方の下を訪ねてみよう。

 更なる失望をもたらすか、遂に主とすべき御仁を見いだせるか、先行きは未だ見えぬまま、明殊は次に進む道行きを定めたのであった。

 

 

 

 

 戻 進

 

使用素材配布元:LittleEden