さし当たり璃有の下を訪ねると決めた明殊だったが、その道中、また別の宿場でのことだ。

 時刻は早いが雲行きが怪しく、明殊は早めに投宿を決めた。

 

 路銀心許なく、やはり安宿である。一階の手前が飯屋をかねており、味も量も質素な定食を提供している。明殊は辺りを見回し、周囲の鉱夫集団が選んだのと同じ品を頼んで隅の席へ腰を落ち着けた。

 塩湖に近づくに連れ、土地は硬く痩せていく。代わりに採掘を生業とする者が多いために、飯屋の中はそうした連中で賑わっていた。

 明殊が店員に声をかけんと手を伸ばした時だ。

 

「あッ」

 若い女が声を上げ、しゃらり、何かが床へと落ちた。

 丁度近くを通りがかった者の進路を阻害してしまったようだ。明殊は慌てて足下へ転がる白銀の飾りへ身を屈める。

「これは申し訳ない」

 白銀は、細やかな鈴の連なった飾りだ。拾い上げた明殊の手の内で、涼やかな音色を奏でる。

「おおきに」

 しとやかな笑みを浮かべ小首を傾げる娘は、さながら自身が鈴のようである。

 結い上げた髪を飾る簪と、差し出された腕にまつわりつく金糸銀糸に、同色の鈴が並べ立てられ、しゃらとも音は鳴らぬが、褐色の肌に如何様にしてか彩られた砂子のごとき金銀の星。濃く縁取られた眼は艶めかしく、朱を差した唇は瑞々しく。纏う香気は甘やかな華を思わせる。

 斯様な美人が踏み入れるには、この宿はあまりにも似つかわしくない。

 というにも寄らず、かの娘の在ることを、他の客は何事も無きように受け入れている。

 

「どうだい兄さん、大した別嬪さんだろう?」

「いややわあ、ご主人はん、うちをおだててもあきまへんえ」

 目の前の卓へ皿を置きつつ訊ねるは店主。ころころと笑った娘は、手を振るい、軽く店主を窘めた。

 娘の身動く度に響く鈴の音と、柔らかな娘の笑い声。飯屋の空気はそれらによって明るく華やぎを帯びる。

 

「よう姐さん、今日はまたこないだのあれを頼むよ」

「なら俺はなんか新しいのが見たいな」

「いつものも忘れないでくれよ!」

 店主の話したのを契機に、四方から娘への声が掛かった。娘はハイハイと一々頷き、笑みのままに飾り気ない粗末な舞台へと歩み出す。

 

 するとどうだろうか。

 

 ざわめきに満ちていた店内が、潮が引くごとくに静まり返り、競うが如く、飯をかき込んでいた鉱夫達も箸を置き、椀を置いて舞台へと向きなおった。

 

 

「一体何が始まるのです?」

 明殊は首を傾げ、傍らの店主へと問う。店主は腕組みをし、やはり舞台を臨む姿勢であった。

「兄さんはユメノウキハシって人を噂に聞いたことはないかい?」

「ユメノ、ウキハシ、ですか?」

 問いを返され、明殊は目を瞬かせる。

 自慢ではないが、武人や官吏に関する物はともかくとし、噂の類にはとんと疎い男だ。

 

「言ってみれば俺達平民の夢ってところかね。戦と飢饉続きで腐っていた俺らに手を差し伸べて、生きるってのがそう悪いことでもないと教えてくれたお人さ」

「素晴らしい方のようですね。その、寡聞にして初耳でしたが、是非にお目にかかってみたいものです。その方は今どちらに?」

「どちらにって、あんた……!」

 訊ねる明殊に、店主は呆れた風である。

 しかし、問いたださんとする前に、一際強き鈴の音が、しゃんと当たりに響きわたったため、店主は舞台へ向き直ってしまった。

 

 

 舞台では、鈴を纏った娘が見慣れぬ舞を演じ始める。

 奏者は居らず、娘自身の口から、馴染みのない旋律が歌われるのみ。静かなその歌声を聞き漏らさぬよう、どの者も息を潜め舞台を注視していた。

 取り残された体の明殊だが、不思議な舞に心を引かれ、いつしか娘の動きに見入っていた。

 鈴の音は心地よく耳に響き、旋律は心を穏やかと成す。なるほど、鉱夫達が心待ちとするのも頷ける演技である。

 娘は請われるままに数曲分の舞を舞うと、喝采に送られて舞台を降りた。

 

 

「おおきに、ありがとう」

  声をかける鉱夫一人一人へ笑顔を振りまき、娘は明殊の卓からほど近い隅の席へ腰を下ろす。道すがら鉱夫達から渡されたであろう贈り物は、娘の腕に山となっ ていたが、どうにも踊り子への貢ぎ物らしくない。この当たりで辛うじて根を張る草や、枯れ枝。採掘中に出たものと思しき屑石など、この土地に住む者にして みれば価値無き品々が積み重ねられている。にも関わらず、娘は笑みを絶やさずに布を広げた卓上へ品を並べ、一つ一つ選別して行く。

 そうしながら娘は、鉱夫の一人へと目を留めて言った。

 

「管さん顔色悪ぅなったはりますなぁ。どないしなはれましたの?」

「気にすることないって! コイツまた飲み過ぎてかみさんに閉め出されたんだ」

「うわっ馬鹿! いうんじゃねえ!」

 答えたのは同じ卓の別の男で、管とおぼしき男は卓の上に頭を抱えた。

 娘は目を丸くし、眉を寄せる。

「飲み過ぎはあきまへんえ。ようさん飲むんやったらご主人はんの草茶にしときなはれ」

「そりゃねえよ!」

 管が呻き、周囲はどっと笑いに湧いた。

 例えに出された店主からして腹を抱えている。

「草茶飲むくらいなら俺ぁ酒をやめるな!」

「草茶を飲んでも良い! 酒なしの生活なんざ考えられるかい」

「草茶ならまだいいさ、枝糊の実食わされるよりゃ万倍ましだ」

「ええい、煩いっ枝糊の実なんて家畜の餌だろうが!」

 好き勝手なヤジを飛ばされ、管は顔を真っ赤にして吠えた。だが、話の発端となった娘は、飛び交う音声を物ともせず、おっとりと言葉を挟む。

 

「枝糊の実ぃいわはりましたら、弱火でよぉ煮詰めて灰汁抜きしたら、お餅の餡には一番やねんけどなあ」

「姐さんにかかっちゃ使えないもんは何もなくなっちまうんだよなぁ」

「全く、かなわねぇよ」

 男達は苦笑をし、頭を掻いた。怒鳴った管は毒気を抜かれ、酒の代わりに置かれた小さな盃をちびちび啜る。

 

「う、にげぇ」

「草茶は血ぃの巡りを整えますのえ」

「確かに前よりゃ疲れが残らなくなったけどよ」

「やからというて、無理はあきまへん。この世の中身体が一番の資本ですえ」

 顔をしかめる管へ、にっこりと釘を差す娘。何れが年長であるか、会話ではわかるまい。

 

 

「どうだい兄さん、ユメノウキハシの感想は」

 明殊が娘の、外見に反して堅実な様に感心していると、脇から店主が訊ねてきた。

 急に戻された話が繋がらず、明殊は何のことかと首を傾げる。すると店主は、ますます面白がる風情で言った。

「何だい、ユメノウキハシにお目にかかりたいと言ったのは兄さんの方じゃないか」

「はい、しかしそれが……?」

 

「ユメノウキハシってのはあの姐さんの通称さ。本当の名前は誰もしらねぇ」

「何と! それは真ですか?!」

「うそをついても仕方あるまい?」

「それは、そうだが」

 釈然とせずに、明殊が凝視をしたからだろう。鉱夫達と健康談義をぶっていた娘が、くるりと彼を返り見た。

 

 

「なんぞうちに御用ですやろか?」

「あ、いや、その。貴女が高名なユメノウキハシ殿だとお聞きしたのですが本当でしょうか?」

 明殊が訊ねるに応じて、方々から鉱夫達の声が挙がった。

「いややわ。ほんな大層な名ぁは知りまへんえ。うちはしがない旅の踊り子のウキハシいう名前どす」

 男達の声が明殊の無知を野次るものであったのに対し、やんわりと娘は訂正を入れる。落ち着いて堂に入った振る舞いは、あしらいに慣れた者の所作である。

 

 ようやく明殊にも合点が行った。

 旅を重ねた者故の豊富な知識と、人の心を暖かく照らす明るい立ち居振る舞い。それらが困窮し喘ぐ人々の支えとなるのだと。

 

「不躾なお願いで申し訳ない。私は宜州央原の出で、姓を庸、名を明殊と申す。私をウキハシ殿の部下として使ってはいただけぬだろうか」

 するりと納得してしまえば、心が決まるのは早い。

 明殊は椅子を立ち、娘の側へ歩み寄ると頭を垂れた。鉱夫達はこの行動をやんやとはやし立てる。

 呆気に取られた体の娘は、しばしの間を置いて答えた。

 

「……半端な妥協はあきまへんえ」

 

「妥協など! 私はこれまで各地を巡り、主として仕えるべき方を捜し求めて参りました。しかし、貴女様ほどに民を思い、民に思われる徳のある方にお目にかかれたことはございません。どうか私を、ウキハシ殿の下でお使いいただけぬか」

 明殊は再び頭を垂れる。今この時を逃しては、主とすべき相手に巡り会えぬのではないか。明殊の内には焦燥が芽生えていた。

 

「そう言わはりましてもなぁ。うちはしがない旅の踊り子どす。この世ぉそのもんを改めるよな大儀なことしとるわけやありゃしません」

「私にはそのようには見えません。ウキハシ殿は民の支え。長ずればこの芳を支える柱となられましょう。私はそのための礎となりたい」

 三度頭を下げると、娘はシャンと鈴を鳴らした。

 

「うちをえらい持ち上げたはりますけれど、この芳にはうちなぞ及びもつかぬ徳も志も立派な方がいはります。うちにできますんは、方々のお力が満遍のう行き渡りますまで、笑いと憩いを提供することやと思うとります」

 謙遜をと明殊は思ったが、娘が手を目の前に突き出していたため、口には出さなかった。

「兄 さんも今は当て所無くさまよっとるんとは違いますやろ? そないな初志は、貫かなあきまへん。偶々行き合うたうちが言うんもなんやけど、兄さんは軽々しう 主を変える口に見えんさかい、目的の場所にいらはる方とよう話しおうが先決やないの。これは思う他のお人と会うた後で、本にうちがええ思わはったら、この 芳のどこかにおるうちを探す根性見せとくれやす」

 

「つまり、今は私を部下にしてはいただけぬと?」

 明殊は絶望混じりに訊き返した。

 

「せやなぁ、今はうちにも色々都合があるさかい、堪忍しておくれやす」

「……解りました。私ではまだ見聞が足りないということですね」

 娘が否定しないので、明殊は肩を落として呟く。

 両手の平を合わせ謝罪した娘は、明殊の諦めを見届けるや、店主へと向き直り暇を告げた。

 

「せや、実はうち急用ができましたねや」

「そいつぁまた本当に急だな」

「えろうご迷惑おかけしやすけれど、当分不義理は避けられませんのえ。ここいらも大分物騒やさかい皆さんも気ぃつけておくれやす」

「そっちこそ気をつけなよ、姐さん」

「おおきに。ほな、またいずれに」

 

 随分とあっさりとした別れ方であった。

 店主のみならず、鉱夫達誰一人として呼び止める者もない。

 

 

「姐さんは旅してこその姐さんだしなぁ」

「ああ、俺達で姐さん独り占めはしてられないしな」

 娘が立ち去った後に明殊が訊ねると、概ねそのような答えが返ってくる。

 

 

「ユメノウキハシ殿……不思議なお方だ」

 明殊は最前まで娘の居た場所を見つめ、しみじみとそう呟いた。

 

 

 

 

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