その噂を明殊が聞き知ったのは、三つ目の宿場でのことだった。


 不思議な格好をした若い女が、怪しげな術を使った廉で捕らえられているという。

 さては近頃人心を惑わしている妖婦・ユメノウキハシかと息巻いた県令が、繕都へ連行すべく準備を進めているというのだ。


 明殊は困惑した。


 独特な格好をしていたのは確か。しかれど、妖婦と称すには似つかわしくない。人心を惑わすなど以ての外だ。

 何かの間違いではないかと、明殊は更なる情報を求めて人波の間を渡り歩いたが、誰も詳しいところは存ぜぬ様子。

 ただ娘が一人囚われていることと、この辺りには遠方からの噂としてのみユメノウキハシが語られていること、その二つばかりは揺るぎ無き事実のようであっ た。


「それにしても、ここまで厳重にする意味はあるのかね?」

 どうにか当人と話はできぬものかと明殊が頭を悩ませていると、巡回中の兵士の言葉が耳に入った。


「馬鹿おまえ、折角捕まえたのに逃げられちゃ璃循様の面目丸潰れだろ」

「逃げるって、ただの異国の娘じゃないか。土地勘もないのに何処へ行くっていうんだ?」

「知るかよ。だが本物のユメノウキハシだったら匿う奴は五万と居るだろ。建て前でもウキハシを捕らえたって言うんだ、手を抜くわけには行かないじゃない か」

「でもなあ、其処までして繕都に連れて行ってどうするんだ? ウキハシじゃないってのはすぐに解ることだろうに」

「璃循様の点数稼ぎさ。あの人が県令になったのは戦乱のどさくさだろ、ここらで一つ毛色の違った女でも献上して、宰相の覚えがめでたくなりゃあ当分地位は 安泰って、あの人が考えそうなことだろう」

 淀みなく応ずる同僚に対し、話を持ち出した兵士は今一つ納得がいかぬ様子であった。


 明殊は益々牢を改めたい心持ちになったが、兵士達の言を信ずるならば、それは困難を極めるものとなりそうである。


「ま、いずれにせよ明日には移送してしまうんだ、俺達が悩んでも仕方ないさ」


 明殊が聞き取れたのはここまでであった。

 路面を蹄が蹴る音がして、兵士達が無駄口をやめてしまったためだ。

 しかしながらその話は貴重でもあった。囚われた娘との対面が叶うとすれば、明日、牢から出され繕都へ向かう道中となるだろう。

 その言葉を心に刻み、明殊はある店の暖簾を潜った。


 天は快晴。乾いた道を駆ける馬車と、護衛の騎影が離れた崖の上からもはっきり見て取れる。


 見晴らしの良い崖上に立って、明殊は集団の行方に目を向けた。


 あれから三日が経過している。


 最初に馬車の特徴を見定めた後、明殊はつかず離れずに一行を追いかけた。


 町を出たばかりでは警戒も厳しい。たとえ一目、二言三言の会話であっても、県令の監視が強い中で取り付けることは難しいだろう。


 中にいるのが嘘か誠か、ユメノウキハシではない別の娘となればなおのこと。


 しかし、町を離れ、繕都への道中──野宿を続ける間には、多少警戒が疎かとなることもあるだろう。その僅かな隙をつき、多少でも言葉を交わせるならば、 明殊は己の目で耳で、その娘がウキハシではないと確かめることができる。


 そればかりではない。偶然目に付いた娘を利用して中央に媚びを売らんとする、県令の我欲に、明殊は吐き気のする思いであった。


 娘がウキハシではなかろうと、娘が不当に拘束されているのでは見過ごせぬ。娘の置かれている境遇を己の目であらためねば落ち着かぬ、明殊はそういう男な のだ。


 長く併走すれば注意を引く、荒野に入るところで明殊は道を違えた。


 あちらは馬車つき、こちらは単騎、多少険しい迂回路であっても、後れをとる心配はない。道無き道を走り抜け、荒野を一望するこの地に出たのがつい先程。 一団は変わらぬ速度で繕都への道を進み行く様子である。


「うむ?」


 馬首を返し次の隣接地点を目指さんとした明殊であるが、遙か前方から立ち上る土煙に気がついて歩みを止めた。


「た、隊長、向かいから何か来ます!」


 明殊より遅れること数拍。隊の先頭にいた一人が叫んだ。


「何かとは何だ。ここは街道だぞ、行き来する者くら……!」


 隊長はお座なりに応じたが、皆まで言う前に部下の言わんとするところに気付き、声を無くした。


 猛然と向かい来る騎影、約五十。反り返った刀や棍棒、人の頭ほどもある刃のついた大斧など、思い思いの武器を振りかざす様は、さほど時を置かずに判別で きるに至った。


「兵隊さん達よぉ、命が惜しけりゃ金と荷物、ありったけ置いてきなぁ!」


「何をっ」


 先陣をきる賊の男は、兵士達を虚仮にしたように吠える。


 対する兵士達の反応は様々である。


 すわ賊かと身構える者、武器を取り出しつつ及び腰となる者、勢いに圧され、早くも賊から背を向ける者。


「う、え、えーい、怯むなっかかれぃ!」


 隊長は剣を振り上げ味方を鼓舞する。


 馬車を囲み守る兵は二十数騎。食糧を運ぶ二頭立て馬車の兵士を含めても三十には届かない。明らかな劣勢に、兵士達の士気はあがりようもない。


「くっ!」


 明殊は崖沿いに、再び馬を走らせた。


 可能な限りの全力疾走。張り出した根を飛び越え、立ちふさがる木々をかわし、街道に降りる道筋を探す。


 旅費の足しにするべく装飾具を売り払ったことが、今更ながらに悔やまれた。飛風帯は高所から低所へ、或いは飛び地から飛び地へと跳躍するのには欠かせな い装飾具である。この高さでは、理術の助けなく騎乗で飛び降りるのは自殺行為であった。


 虜囚に対する兵士の振るまいが如何様であれど、賊に壊滅させられるを看過するわけにも行くまい。金と物目当ての賊が、檻に囚われる娘を見つけながら、こ れを無事に帰すことなど、万に一つの賭である。


 士気の低い兵士達と、数にも勢いにも勝る賊との乱戦は、到底長くは持ちこたえられぬ。明殊は逸る心を抑え、懸命に馬を駆った。



「ぎやぁ!」


「ぐふっ」


「ぐおぉぉっ!」


 野太い男の悲鳴があちらこちらから上がっては消える。ようやく見つけた間道を抜け、戦場へと明殊は舞い戻った。


 幸いにと言うべきか否か、争いは未だ継続されていた。しかし、争う人影は大分まばらであった。


 横たわる敗者が転々と、戦場の遷移を表している。先頃よりも東側に押し出された様子だ。


「宜州央原の庸明殊、賊の撃退に御助成仕る!」


 明殊は駆けながらも直槍を高く掲げ、高らかに名乗りを上げた。


「また一人増えやがった?!」


「構うなっ誰が増えようがコイツ等を倒しちまやおしめえよ!」


「後ろからぶっすりやられちゃかなわねえ、おい、お前ら行ってこい!」


 賊共は怒鳴り合い、何名かが得物を構え明殊へと向かい来た。


 賊ながら互いの連携は保たれているようである。


 残る賊共は馬車を囲み、それを背にし奮戦する兵士達を確実に追いつめつつあった。


「参る!」


「ぐえぇっ」


 明殊は疾走の勢いを殺さぬまま、槍を一閃、敵の攻撃を薙ぎ払った。幾人かの武器は宙を飛び、怯むところへ一撃、二撃。正確に突き下ろされる槍の穂先は、 お粗末な鎧の継ぎ目を刺し、敵の力を次々と封じていった。


「こ、コイツ強ぇ!」


 向かい来た最後の一人は警戒を強める。囲む間を与えられず、数人掛かりで馬から引きずり落とすこともかなわない。己が対した相手が難敵であることを、今 更ながらに思い知ったのであろう。


 それでも明殊は慢心せずに相手の動向に注意を払った。


「そろそろ諦めぬか、悔い改めるならば命の保証をしよう」


 賊共の囲いの向こうから静かな声が告げたのは、丁度その頃合いであった。


「何をっ」


「ざけんじゃねえ!」


 即座に反発の声が返るが、怒声と言うには力が弱い。優位に見える賊らの方が、動揺した様子であることに、明殊はおやと疑問を覚えた。


 そういえば先程の賊は、明殊の登場をまた増えたと言いあらわした。加えて、今の落ち着き払った声色。賊の襲撃に浮き足だった兵士達の中に、かのように振 る舞える者は在っただろうか?


「いただきっ」


 明殊の気が逸れたを幸いと、直近の賊は勢いをつけた一太刀を彼の脇腹めがけ叩き込む。


「うあっ!」


 ガキン


 しかし、易々と突かれる明殊ではなかった。


 反応が遅れたために完璧な防御とは行かず、切っ先は衣服ごと明殊の肌を薄く裂く。対して、明殊が逆手から振り上げた槍は、己が身を傷つけたばかりの剣を 巻き込み、賊の手元から弾きとばした。


「はっ」


「ぐはぅっ」


 持ち替えた手から振り下ろされた重い一撃は、狙い過たず敵の急所を貫く。明殊は素早く槍を引き抜き、空で振るって血を払った。


「おらぁっ!」


 どしんっ


 囲みの向こうにも動きはあった。


 腹の底からの一喝に、長物のいしづきを地に打ちつけたような地響きがそれである。


 肌に刺さり来る闘気には、明殊の項までが逆立った。


「うわあっ」


「ひぃっ」


 増して直近で曝された方には堪えたろう。情けなく尻餅をつく二、三の男達のおかげで、ようやっと明殊は囲い向こうの相手を伺い見るに至る。


 身の丈は八尺強、肉付きよく堂々たる体躯に力強く太い眉、ギョロリとした眼の男が十尺はある長物を立てて仁王立ちしている。その隣に、丈は変わらぬ物 の、幾分か薄い肉付きが小柄と錯覚させてしまいそうな男が並び立っているが、厳しく引き締まった表情にはどこか威厳は感じられた。


 二人の男は、共に明殊より十は年長と見受けられる。

「まだ向かう気の有る者は在るか?」

 細身の男が重ねて問うと、賊は互いを伺うようにキョロキョロした後、ばらばらばらと武器を手放して大人しくなった。


「あ、あのぅ」

 投降した賊の武器を、どうにか生き延びた兵士達が回収する。その様を同じ姿勢で見守っていた二人の男に、恐る恐る、といった体で呼び掛ける声があった。

 この部隊の隊長である。

「危ないところを、ありがとうございました」

「いや、間に合って良かった」

 応じるのはやはり、賊に降伏を促した方の男であった。

「それでその、あなた様方のお名前をお伺いしても……」

「ああすまぬ。名乗るのを忘れていた」

 男は苦笑し、両手を合わせた礼の姿勢をとる。場所に不釣り合いの、作法に乗っ取った所作だ。端で見ていた明殊は、おやと違和を覚えた。

「私は姓を璃、名を有と申す。県令璃循殿には苦境の折お力添えいただいた御恩もある故、僭越ながらご助力仕った次第」

「あなた様が、あの……」

 隊長は微妙な面持ちで相槌を打った。その後に、彼らの視線が揃って明殊へと向けられた。


「私は姓を庸、名を明殊と申します」

 明殊は璃有の作法に恥じぬよう、姿勢を正して礼を返した。


 これが己の生涯を賭した主君との出会いであることを、この時の明殊は未だ知る由がなかった。


 

 

 

 

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