「……そうですか……はい、あ、いいえ……ありがとう、ございます」
落胆の色を隠せぬ口調で頷いて、浪は力なく電話を切った。
受話器の向こうの慰めの言葉に、反射的に礼を言っても、心此処に在らず。
作業の手を休めず、背中を向けたままでいても想像できる従姉の表情に内心で溜息をついて、詩子はやはり振り向かぬままで声をかけた。
「やっぱり、人違いでしょ?」
ピンセットで部品の位置を微調整。それがしっかりと定位置にはめ込まれたことを確認して、最後に蓋を閉める。
「あんたには言われたくないわ」
電話中とは違った力のこもった一言は流して、ドライバーを回す。
使用中にまた壊れてしまったら洒落にならない。もしそんなことになったら……叔父は自身をひどく責めるだろう。浪は、この常識人の従姉は、恐ろし く取り乱して、実の父を───
「詩子!」
一向に振り向かない従妹に業を煮やしたように、浪は声を荒げて詩子の肩を掴んだ。
「あんたも父さんもおかしいわ! どうしてそう平然とっあの子が心配じゃないの?!」
「浪姉さん……」
詩子は取り落としかけたドライバーを床において、癇癪を起こした従姉を睨みつけた。
「いい加減認めたらどう? 警察とか探偵とか、そんな人にあの子は見つけられない。あの子が迷い込んでるのはこの世界のどこかじゃないんだって」
「いい加減目を覚ましなさいッ! 異世界なんて……本の中に入り込むだなんて御伽噺ッ詩子も父さんも信じるような歳じゃないでしょ?!」
「だけどそれが事実なのよ」
詩子はきっぱりと言い切った。
浪だって、それを目の前で見ていたはずなのに、彼女は未だそれを信じようとしない。
信じないから、警察や探偵、新聞や雑誌の尋ね人欄を頼っては、今日の様にひどく落胆する。
「あんたたちはどうしてそうなの?! あんただって初めは一緒に捜索願い出しに行ったじゃない! なのにどうして!」
「私だって!」
詩子はすくっと立ち上がった。
「最初はあの子が戻ってきてないなんて思わなかったのよ! 座標が狂ったって言っても、東北とか北海道とか、ううん、国外だったとしてもっこの世界 のどこか、あの子の知らない場所に紛れ込んで、それで途方にくれてるんじゃないかって。でも!
見つかるはずないのよ。何度測定しても、どれだけ遡って調査しても、世界中のどの場所にも、あの子が消えたときと同じ空間の揺らぎはなかったんだ から。
あの子は! まだ右も左もわからないような世界で迷ってるのよ!
私はそれを助け出したい。叔父様だってだから今頑張ってるんじゃない!」
「うたこ……?」
捲し立てるような詩子の言葉に何を感じ取ったのか、浪は戸惑うような目を従妹に向けた。
浪が大分落ち着いたこと(或いは混乱しただけかもしれないが、とにかく大人しくなった事)を確認してから、詩子は整備の済んだ機械を彼女の前に差 し出す。
「トレーサーに、通信装置も組み込んである。これを使えば、向こうとこっちで連携してあの子を探せる───向こうに飛んでも、迷わずにいられるわ」
「詩子?」
今度は先程と少し違ったニュアンスをこめて、浪が従妹を呼ぶ。
詩子は戸惑う従姉に歪んだ笑みを浮かべた。
「本当は私だって居ても立ってもいられない。探しに行きたいの、あの子のこと」
「あんた……」
「姉さんの言う通り、異世界なんてのが御伽噺だとすれば、私はただどこか別の街に行くだけだよ?」
「詩子!」
「……ゴメン。でも手段があるのにじっとしてるのはやなんだ。叔父様のトレーサーが完成すれば楽に探せるのは知ってる。でも、待つのには限界がある んだよね」
台詞に込められた皮肉を感じとった浪に謝罪し、詩子はまっすぐ正直な気持ちを伝えた。
「詩子……」
浪は悲しそうに従妹の名を呼ぶ。
けれど、それでももう、反対をしようとはしなかった。
「それじゃあ、書いてある通りにね」
「…………わかった、気をつけて」
支度を整えてゲーム機の前に立った詩子に、浪は諦めたように頷いた。
ゲーム機本体とコントローラーには先程見せた機械が取り付けられ、詩子自身も通信用の端末を装着している。
対する浪の手には、従妹から託されたプレイデータノート。
詩子が捜索先に選んだのは、「失踪」当時「あの子」がお気に入りだったゲームソフト。
創作物という一つの可能世界に入り込む手段を知った「あの子」が紛れ込んだら、抜け出す手段を探す前に力を尽くさずには居られなくなるような、悲 劇を孕んだストーリーを持つRPG───
「……いくね」
オープニング画面に横顔を照らされながら、詩子はその機械を動作させた。
使用素材配布元:Cha Tee Tea