「……何とか言ってよ!! あたしの事なんて、もう、メイワクなだけなのっ!?」
肩を揺さぶられて、あずさは追想からかえってきた。
目の前にいるのは、不安に唇を震わせる栗色の髪の少女―――ずっと会えずにいた、あずさの恋人だった。
事の元凶は素知らぬ顔で、お茶汲みの準備を始めている。
殆ど一年ぶり、場所を訊ねてまでやってきてくれた恋人の目の前で、美夜子は事務所に入りしな、いきなり抱きついてキスしてきたのだ。
「ただいま、ダーリン」
こともあろうにそんな、誤解を誘うような台詞までつけて。
問いつめられたあずさは、美夜子がここにいるわけを上手く説明しようとして、そのきっかけを思い返しているところだった。
あの日以来、美夜子は以前「彼」が使っていた部屋で、あずさと寝食を共にしていた。
常識的に考えれば、やっぱり、色々問題だろう。
「あの、だ」
「ダーリィン、西南地区の海長さんからお電話よ」
あずさが漸く口を開きかけたとき、奥の部屋にいた美夜子が、子機を掲げながら呼びかけてきた。
再びの「ダーリン」発言に、カタリナの頬が引きつるのが解る。
「あ、あの、これは……っ」
「ダーリン? ちゃんと聞いてる?」
「わーかりましたっ今行くから、その巫山戯た呼び方はやめて下さいッ」
向こうに行くのが遅れれば遅れるだけ、「ダーリン」という言葉が繰り返されるのに気付けば、そう答えるほかにない。
「あの、これはただの冗談だからッ電話が終わったらすぐ戻るからちょっとだけ待ってて!」
「あっ!」
結局ろくな弁解もできないまま、早口で断りを入れてから、あずさは奥の部屋へと向かった。
「―――はい、お待たせして済みません、柊です」
彼に子機を受け渡すと、美夜子は茶を載せた盆と共に部屋を出ていく。電話に応対しながらそれに気付いても、まさか声を上げるわけにもいくまい。
あずさは穏やかならざる心境で女性二人のいる方を振り返った。
「どうぞ、こちらに座ってお待ち下さい」
美夜子は出会い端とはうってかわった、友好的な微笑みでカタリナに声をかけた。
応接セットのソファに彼女を導き、テーブルに茶を並べる。言われるまま腰を下ろしたカタリナは、茶ではなく美夜子の顔をじっと見上げた。
「冗談じゃないんだけどな」
あずさの台詞に対してぼそっと呟いた言葉を、彼女は聞き漏らさなかったのだ。
「あの……! あずさくんと」
「ごめんなさい。あずさくんが羨ましくて、イジワルしちゃいました」
「えっ?」
追求の言葉が終わる前に、潔く頭を下げる美夜子。
思いがけない告白に、カタリナはただ目を白黒。
「大事な人にちゃんと大切に思われてるなんて、羨ましすぎるから、ちょっと邪魔したいな、なんて」
「え、だって……だって、「冗談じゃない」って……」
くすり。
美夜子は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「冗談じゃ、ないわよ。
だって、イヤガラセ、なんだから」
ガタッ
奥の部屋で、あずさが電話を取り落としている。
「私が振り向いてほしかったヒトは、
結局最後まで、別の誰かを見続けていたのに、
狡いじゃない?
あずさ社長には、あなたがいて―――
置き去りにしたのに、ちゃんと見つけだしてくれるヒトがいるなんて。
羨ましくて、
羨ましすぎて、
イヤガラセの一つもしたくなるのよ」
冗談めかしたはずが、とても冗談には聞こえなくて、カタリナは戸惑うように美夜子を見つめる。
「でも、もういいの。
八つ当たりしてもしょうがないって解ってるから、私は前を向く。
あずさくんだって、
ずっとあなたに会えなくて、苦しんでたんだもん」
今度はにっこりと笑った美夜子は、すっくと立ち上がって、彼女に小さく手を振った。
そして。
「しゃーちょう! 私、今日、早退するねッ」
やけに元気な一声。
「早退って、美夜子さん……!?」
「帰ります! 社長ッ……ちゃんと明日は定時で来ますから」
一体何処に帰るつもりなんだとは、流石に彼女の手前尋ねられずに口を窄めるあずさを捨て置き、美夜子はそのまま、ドアの向こうに消えていった。
「「社長」、「社長」って……嫌味な言い方だけ真似しないで下さいよね」
あずさは口調とは裏腹の、嬉しそうな笑みで美夜子の消えた先を見つめた。
あの日以来、どうしても放っておけなくて、ずっと美夜子の側にいた。
美夜子はずっと、「彼」の使っていた部屋───つまりは、あずさと同じその部屋のソファで寝起きして、昼は仕事場でつきっきりで。
目を離したら、死んでしまうんじゃないかと思っていた。
「彼」の後を追って、逝ってしまうんじゃないかと。
だから、「彼」と二人だけで過ごしていたという、その場所に、美夜子を返すことが、正しいことなのかどうか解らなかった。
解らないから、傍においておくことしか、できなかった。
けれどあずさが迷っている間に、美夜子は自分で結論を出したらしい。
軽口なんて叩けるのは、心境に変化が顕れたからなんだろう。
「社長」……「彼」はいつも、あずさの今の身分を揶揄して、そう呼んできた。
その呼び名をあんな風に使えるなら、少なくとも、美夜子はこの先も生を選んでいく決心がつけられたのだと思いたい。
「あずさくん?」
すっかり置いていかれたカタリナは、未だ戸惑っているようだ。
「ごめん、一番最初に言わなきゃいけないことがあったのに」
あずさは、一体何処までを説明しようかとまた考え込みながら、幸せそうな笑顔を浮かべて、彼女に言った。
と。
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