「チョウノウリョクテキフユウカン……音の世界へ―――」

 

 

 何処か遠くない場所から、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 近くに並ぶモニタールームのドアを、誰かが開けたせいだろう。

 

 園花は頭の隅でぼんやりと考えながら、その場から動けずにいた。

 

 

 目の前には、男が倒れている。

 知っている男だ。

 

 

 稲枝八太―――このテレビ局に所属する、プロデューサーの一人。

 面識もある。彼女が出演したオカルト番組を、何度か担当していた。

 

 

 共演していた「自称能力者」の何人かは、園花に、「稲枝には関わるな」とこっそり忠告してきたが、マネージャーやプロダクションの方は、「やっかみなど気に掛けるな」と、むしろ積極的に彼女を稲枝に売り込もうとしていた。

 

 

 無理もないのかもしれない。

 彼女が所属するプロダクションは、業界では中堅に数えられる、知名度のある事務所でありながら、最近は華のあるタレントも居着かず、唯一、上り調子なのが「超能力少女SONOKA」―――則ち、彼女のみ。彼女が道を開かなければ、事務所の未来は閉ざされたも同然だった。

 

 

 

 

 だから、園花をこんな人気のない場所に呼び出した、この男の魂胆も、プロダクションは承知の上だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 園花は抑え付けられた跡の残る腕を、何度もさすった。

 

 

 

 

 

 

 鳥肌がおさまらない。

 

 

 

 

 

 この世界に入った以上、いろいろな打算や駆け引きが必要だと、わかっていたつもりでも、この男に身を汚されることだけは耐えられなかった。

 

 園花の心の傷を、遠慮無しに引っ掻いては笑った男。

 

 けれど、大人と子供、男と女の力の差では、腕力だけで振り切ることなどできなくて。

 

 

 

 園花は、二年前に自ら封印したその「力」を、彼に向かって解放した。

 

 

I wish your happy life

 

 

 

 直接人に向けて放った力の感触は、やけに生々しい。

 思わぬ反撃を受けた瞬間の、稲枝の驚愕した表情。それが、衝撃で後ろに大きく吹き飛ばされ、壁に衝突。そして、俯せに倒れ込む。

 そのいずれかの間に、ぼきっという鈍くいやな音がした。

 

 

 園花はその場を動くことができなかった。

 

 

 

 

 

―――カッカッカッカッ

 

 

 

 

 

 彼女が出演したCMの音声が途切れるのと前後して、ヒールの足音が廊下に響き始めた。

 ドアを開けたのは、その部屋を出る誰かだったのだろう。その足音の主は、まっずぐ、園花のいる倉庫の方へ近付いてくる。

 

 

 

 それでも、園花は動けなかった。

 

 

 

 逃げようと焦る気持ちまでが麻痺してしまったみたいに、園花はぼんやりと、動かない稲枝を眺めている。

 園花はそれに、かつて傷付けてしまった友達の姿を重ねていた。

 

 

 

 

 あの時は―――夥しい量の血が、視界を赤く染め上げた。相手を傷付けるつもりなど、微塵もなかったのに……血塗れで、動かなくなった、大切な友達。咄嗟に放たれた「力」が、友達の身体に、一生消えない傷跡を刻んだ。

 

 

 

 

 

 

 だから、園花は、二度と「力」を使わないと、硬く心に誓ったはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

「SONOKAちゃん……? どう、したの?」

 開け放しのドアから入ってきた女性には、最初、園花の姿しか目に入らなかったようだ。

 

 園花はのろのろと顔を上げた。

 見たことのある女だと思った。

 心霊特番で、音響だか照明だかの補佐をしていた、学生アルバイト。ゲスト席で退屈そうにしているアイドルより、よっぽど可愛いのに勿体ない、と誰かがこっそり呟いていたのを覚えている。

 名前は確か―――

 

「SONOKAちゃん!?」

 彼女は園花に近付くまでの残り数歩を、ひとまとめにするように飛び込んできた。

 

「さがら、さん……」

 園花はただ、彼女の名を呟いた。

 相良祐子。それが彼女の名前だった。

 園花は相良が目にしたものについて弁解する気も涌いてこず、彼女をぼんやりと見上げた。

 

 

 

 

 かしかしかしかし―――

 両腕をさする手の動きは、無意識だった。

 

 

 

 

 

 

 

 相良は足元に倒れる稲枝には構わず、飛び込んだ勢いのまま、園花の両腕を掴んでその行為を遮った。

 

 

 

 

 あたたかい、人の、体温。

 

 

 

 相良の触れた箇所から、徐々に鳥肌が静まっていく。

 それと一緒に、あの生々しい感触までが、薄まったような気がした。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい……」

 何故か相良は園花に頭を下げた。

 悲痛な面持ちで彼女を見つめ、ふわり、抱き締める。

 

 

 

「あなたがホンモノだってわかっていたのに、あなたが周囲と折り合いをつけて生きているのか、あなたの力が弱まっているのか見極めることができなくて、こんな目に遭わせてしまった」

「さがらさん?」

 

 園花は今更ながらに相良の行動に違和を覚えて、眉を顰めた。

 この局のスタッフなら、まずは人を呼ぶなり、救急車を呼ぶなり、プロデューサーに駆け寄るなりするのが自然。そうでなくとも、声をあげるなり逃げ出すなり、取り乱すのが当然のリアクションだろう。

 しかしながら、彼女はそのどれにも当てはまらない反応を見せた。

 

 

 園花は、自分がプロデューサーの命と比肩しても大事にされるほどのタレントではないと、知っていた。だから、相良のこの態度には、戸惑いを感じずにはいられなかった。

 

 

「まさか稲枝にこんな趣味があるとは思わなかったわ。こいつがやるのは精々強請ぐらいと油断した、私の責任。もう少しで、あなたの未来を無茶苦茶にしてしまうところだった……!!」

 やっと床に転がる男に目を向けた相良が吐き出したのは、そんな言葉。何を言っているのかわからない、そんな彼女の腕に抱かれているのは居心地が悪く、身を捩ると、相良はあっさり園花を解放してくれた。

 

 相良は稲枝の傍らに膝をついた。片手を伸ばし、脈を診るように、そっと動かない男の首筋をなぞる。

 彼女が厳しい顔をするのを見て初めて、園花は相良が今まで優しい表情をしていたのだと気付いた。

 

 

「あなたがこんな男の命を負う必要はない。けれど、選択権はあなたにある。あなたがその力を正しく収め、無闇に暴走させないための努力をすると誓うなら、私達はあなたの力になる」

 

「どう、して……」

「答えはまだ言えない。あなたが事務所に助けを求めるのなら、それもまた一つの選択だから。私にそれを止める権利はない」

「……」

 園花は唇をぎゅっと噛んだ。

 理由もわからないのに、何かを試されている。そんな気がした。

 

「長い間不当に抑圧されてきた願いが、あなたの力を歪めて成長させている。その力が、あなたから離れることは、多分もう一生、無い」

 相良は園花を振り返らず、ただ真剣な横顔で彼女に告げた。

 誇張を感じさせない、静かな声色。そもそも、この状況で彼女が園花に嘘をつく必然性など無い。

 

「私……わからない」

 わからないのは、何故彼女が、ここに居合わせたのか―――何故彼女が、そんなことを言ってくるのか。

 

 

 

 

 途方に暮れる園花に、相良が返したのは溜息一つ。

 軽く左右に首を振って、彼女はまた園花の腕に手を伸ばす。

 

 

 

「あなたの反応は間違いじゃない。ただこちらが、それに応じきれないだけ。それでも、私が犯した過失分だけ、あなたの問いかけに答えるとすれば、私が何者かのヒントは、あなたの腕に残されている。或いは、残されていない、というべきかしら」

 

 園花は自分の腕に目を落とした。

 

 

 鳥肌は、完全ではなかったがおさまっていた。

 外に出ることが少なくなって以来、日焼け知らずの白い腕が、稲枝の吐き出した言葉を思い起こさせ、園花を暗い気分にさせる。

 

 

 白い肌?

 

 

 園花は、あっと目を瞠った。

 

 彼女の手首には、稲枝にきつく掴まれた赤い跡など、僅かにも残ってはいなかった

 

 園花の手首に残されていて、残されていない、答え。

 

 

 「同類」―――

 彼女の脳裏にそんな言葉がよぎった。

 

 

 

 相良が何かしたのでなければ、こんな短時間に、こんなにキレイさっぱり、あの痣が消えて無くなるはずはない。彼女が園花を助ける気になったのも、同じ異能力者故のこと、と考えれば納得ができた。

 それに、事務所に助けを求める気なら手を出せない、と告げるわけも。

 

 

「あたしは、この力で誰かを傷付けたりしたくない……」

 

 それでも少し迷った後に、園花は相良への答えを返した。

 それが答えになっているのかどうか、園花には判断はつきかねたが。

 

 

 

 

 ふっと相良の頬が弛んだ。

 

「それなら私達と来るといい。その力で何を為すか、それはあなた次第なのだから」

 

 相良は園花の腕を放すと、振り返って、稲枝の背中に両手を当てた。

 

「何を……」

「言ったでしょう。こんな男の命を負う必要など無いと。あなたが私達を信頼するなら、私達は可能な限りそれに応える。それが約束だから」

 「見ていて」と続けて、相良はすっと両目を閉じた。

 

 

 

 相良の手は、見えない傷を辿るように、ゆっくりと稲枝の背を移動していく。目で見るその動きとは別に、園花の意識の何処かが、相良の手が過ぎた後にこの男の身体にもたらした変化を、感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 二分と経たず、相良は稲枝から両手を遠ざけた。

 身を起こし、立ち上がると、イヤなものを振り払うように腕を払う。

「これで死ぬことはないし、後の処置は、病院に任せるわ。こいつにはいい薬でしょ」

 

 どうやら彼女は元々稲枝が好きではなかったらしい。

 ありありとわかる態度に、不謹慎ながら園花は苦笑してしまう。

 

「私達は誰かに食い物にされるために生まれてきたんじゃない。ごく普通の平穏が欲しいだけ。それが一人では難しいのなら、同じ願いを持つ者同士、手を貸しあうだけよ。こんな奴らの、好きにはさせない」

 相良は眉を寄せた苦笑を返すと、悲嘆混じりの真剣な眼差しで呟いて―――髪を掻き上げた。

 

「!?」

 

 

 白い、肌に、紅い、あかい、手術跡。

 

 

 こめかみから額にかけ、目を引かずにいられないほどの傷に、園花は僅かにあった笑みを引っ込め、息を呑んだ。

 

 美人であるだけに、痛々しさが増す。

 顔をくっつけなくとも針の跡が数えられるのは、それだけ杜撰な処置をされたから。

 けれどそれは、一体誰に?

 

 

 

「あなたを預かることになる場所―――松岡綜合事務所っていうのはね、非合法なESP研究で苦しめられた元被研体が、自由を得た後に創り出した、自分達の居場所なの。

 自分達がかつて受けた痛みを思えばこそ、居場所を奪われて苦しんでいる同胞に安らぎを与える受け皿にもなる。虐げられた痛みがわかるから、弱者の 力にもなるし、不当な圧力を増して、独力で生きている同類や自分達自身をも苦しめたりしたくないから、世の中を手中に、なんて物騒なことは考えていない し、政治・権力には基本的に不干渉。それが我々、松岡綜合事務所のスタンス。

 改めて名乗るわ。

 私は、松岡綜合警備保障の総務部長、松岡祐羅。一族を代表してあなたを歓迎します」

 

 すっと差し出された手を、園花は反射的に握っていた。

 

 視界が光に遮られる――――――

 

 

 

 

―――五感の奥の第六感。意識の何処かで、園花は彼女の言葉の続きを聞いた。

 

 

 

 

 

これからあなたは、その力を自ら修めるまで、一般社会からは隔離される。
けれど、あなたのその力は、あなたの内面で抑圧されたものが歪めてきたものでもあるから。
私達はあなたに少しだけ時間を与えます。

あなたがずっと、

気に掛けていたものを

思いを

解きほぐしておいでなさい

あなたが願う場所へ―――

 

 


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