気が付けば園花はどこかの街角にいた。
唐突に人が現れたというのに、無関心に往きすぎる人々。
耳を澄ませば、「SONOKA」の話題に盛り上がっている一団もあるというのに、近くのビルの屋上には、でかでかと、彼女主演のCMパネルが掲げられているというのに、誰一人としてここにいる園花には気付かない。
一瞥もくれず、思い思いに彼女の側を擦り抜けていく。
園花はまるで自分が消えて無くなってしまったような錯覚をして、心細くなった。
胸元でぎゅっと握りしめた手の中に、覚えのない、小さなマスコットの感触。
―――あなたを真に案じる人以外、誰もあなたに気付かないように
これはちょっとしたおまじない、ね
限られた時間を、あなたが有意義に過ごせますように
しげしげと見つめる前に、「聞こえて」きたメッセージ。
脳裏に浮かぶ優しげな笑顔に微笑み返して、園花はそれを鞄の持ち手にぶら下げた。
I wish your good fortune
「なあ、あれってSONOKAじゃね?」
その、誰かに囁くような小さな声は、奇妙なほど鮮明に、園花の耳に飛び込んできた。
変わらず素通りしていく人波の向こう。どうやら一緒にいる友人達とつつきあいながら、まっすぐ自分に向けられている、驚き混じりの視線。
園花は目を瞬かせる。
年齢は多分、彼女とそう変わらない。
けれど、一面識もないはずの少年達に、何故今の自分が「SONOKA」だと識別できるのか。
園花のその戸惑いは、彼らの間に見知った一人の姿を見つけた瞬間氷解した。
―――気懸かりがあるとすれば、彼が今でも元気でいるのかどうか。
そこにいたのは、かつて彼女が傷付けてしまった、園花を一番理解してくれていた、一番、大切な、友達。
「だって園花は僕が飛び出してくるなんて思わなかったんだろ?」
「僕の怪我なんて大したことないって。見た目派手だけど、深い傷じゃないんだからさ」
「東京の学校から打診あったんだ。強化選手として招待したいって。特待生だよ。後遺症なんてあったら、今頃声なんてかけられないよ」
怪我を負った後にも、彼女が東京に出てきた後も、彼は園花の心を軽くするように、絶やさぬ笑みを彼女に向けてくれた。
なぜなら彼は、自分のせいで彼女のいるべき場所を失わせてしまったと、思い込んでいるから。
だから園花も、彼の自責を少しでも軽くするために、常に楽しげに振る舞ってみせること―――自分が今の場所で幸せにやっていられるのだと主張し続けることしか思いつけなかった。
園花は芸能生活で培った明るい笑顔を浮かべて、彼らの方へ近付いていった。
「あっえ、こ、こっち来るよ、どーしよ」
「よかったじゃない、リョージ、ファンなんでしょ」
最初に彼女に気付いた少年が、狼狽えたような声をあげる。宥めるその友人も、戸惑いを隠しきれない様子。どちらも、園花の友人が自分の身近にいることを知らないようだ。
彼は一々周りの人間に余計なことを言いふらす軽薄な輩ではない。
「こんなところうろついてるなんて、どうかしてるよ」
彼らに近付いた園花が何か言うより早く、目指す相手が素っ気ない口調で言った。
曲がりなりにも「有名人」の仲間入りしてしまった彼女が、無防備に出歩いていることに呆れているのだろう。
「ひどいな、久しぶりなのに冷たいじゃん、淳」
心配性な友人の反応をくすぐったく受け止めながら、園花はわざと茶化すように言い返した。
「昔から関わるとろくなことないからね。自覚してるだろ? 園花」
「ひどい〜」
肩を竦めて彼が言うのは、当て擦りに似せた親愛の表現。立つ場所が変わったからといって、彼は距離までを一方的に変えたりしない。
園花が全く応えぬ素振りを返すと、それで挨拶は終わり。すぐに表情を改め、彼は園花に訊ねてくる。
「それより、何か用、あるんじゃないの?」
「ん〜、あったりなかったり。ね、淳、久しぶりに遊ぼうよ!」
園花はそれに曖昧に応えた。
彼に会って何をする、というより、元気な彼の姿を刻みつけておきたい。きっとそれが、これから過ごす長い時間の、何よりの励みとなるだろうから。
「僕の都合なんて聞かないんだろ、どうせ」
淳はふと苦笑を見せた。
彼はいつもそうやって、彼女が隠しておきたい本質的な部分から目を逸らしてくれる。
園花は改めて彼の周囲を見回した。
「だって、淳、今デート中ってわけでもないんでしょ?」
その中に一人でも女の子の姿があったなら、彼の彼女足り得る相手がいたなら、それはそれで構わない。
彼が本当に今の生活を満喫しているのだと、安心できる。
けれどそこには、男ばかりの総勢五名。
普通の友人同士の集まりなら、今日ばかりは、何がなんでも彼と一緒に過ごしたかった。
「気持ちの悪い想像すると、事務所に電話するよ?」
「うーわー、冗談だってば、じょ、う、だ、ん!」
「淳、淳って……どういう知り合いだよ」
「紹介、してくれないかな、僕たちにも」
最初は呆気にとられていた彼の友人達が、気を取り直したように淳に声をかける。
地方から出てきた彼と、普通に親しげな雰囲気を見せる彼らが、こちらでの淳の生活を思わせて、園花は嬉しくなる。
園花もまた、自分のせいで彼の故郷を居心地の悪い場所に変えてしまったことを、心苦しく思っていたのだ。
淳は眉を顰め、横目に彼女の笑みを捉えて溜息。渋々、友人達の要請に応じる。
「地元の知り合いの、日暮、園花。SONOKA……そう言った方が、わかりやすいのかな」
「え! 本物!?」
途端、最初に彼女に気付いた外ハネの少年が、素っ頓狂な声をあげる。
「そうそう本物ホンモノ」
大声を上げられたことよりも、淳の眉間の皺が深くなったことの方がおかしくて、園花は面白がっているような相槌を打った。
―――そんなに心配してくれなくても……騒ぎがまわりに伝染しないの、知ってるから余裕ぶってられるんだよ?
園花は難しい顔をする淳の腕を取って、まっすぐ延びた道の方へ彼を引っ張った。
「ね、淳、向こう行こうよ!」
「僕一人でいるんじゃないけど?」
「ならみんな一緒に! いいでしょ?」
あの人込みの中から彼女を見つけだした彼らとなら、最後の自由時間を共有するのも悪くない。
園花が笑顔で見回すと、すぐさまそれぞれの言葉で同意が返ってきた。
淳は溜息を吐いた。
「それで……どこに行きたいんだって?」
「流石淳ッ! そうこなくっちゃw」
園花は歓声を上げて彼に抱きついた。
視界の隅に、気懸かりなものを見るように眉を顰める、一人の少年の姿を捉えながら。
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