「生きてるぅ? 沖野ぉ」
授業が終わって多田のいる六組に顔を出すと、うだっとした多田がうみゃあっとした声で話 し出した。
病院に行った三日後。
無情にも、学校は毎日ある。
あんなに詐欺まがいをした人であっても、やることはきちんとやってくれたようで、多田のところにも組織からのコンタクトがあったらしい。
それで今、多田は見習いメニューの基礎トレーニングを始めているところだった。
学校をさぼるわけにもいかないので、支部と学校、両方の課題をこなさなければならない。
そういえば、私が中学の部活をやめたのも、それが原因だったっけ。
当然、慣れるまで相当つらい。
私も勿論経験済みのことだから、どのぐらいひどいのかはよく知っているつもりだ。
――そんなわけで、多田はこのところ、いっつもへとへとなのだ。
そして、私の方も……サポート体質(そんなものが本当にあるのかどうかは判らないが)を改める必要があるとか言われて、新しいトレーニン グに入ることになった。
それが、先日の荒技と相まって、ひどい筋肉痛を引き起こしているのだ。
「うん、まぁ、なんとか……」
「つらいーっ今日ラスト体育だったんだぁ」
「げっうち明日一コマ目。次ⅡBだし、そん次漢文、で、古典だよぉ?」
そんなわけで私達は、同病相哀れむ、とかいうような状態で「お互い大変だなぁ」などと慰め合っていた。
支部に顔を出すには、まだ間がある。
多田とは同じクラスの笹本は、テレビ番組の録画予約を忘れたとかで急いで帰ってしまったから、誰につっこまれるわけでもなくひたすらぼ けぇっとして。
そうするうちに、あたりが妙にざわついてきたことに気が付いた。
まぁ、女子校の放課後などというものは、いつもうるさくて当たり前なんだけど、それでも、度を越す状況ってものがある。
――それがまさに今、だった。
「!?」
思わず、顔を見合わせる。
何かが変だ。
そして、響きだす高音の声。
これは、悲鳴――!?
私達は、だっと声のした方向に駆け出した。
これは、筋肉痛がどうとか、言ってる場合じゃない!
「あ、瑞緒っ」
にわかに形成された人垣の中に、瑞緒を見つけて声をかける。
近付いてみると、その顔はとても青ざめていた。
「一体何が――?」
訊ねようとして、不意に動いた人のせいで、私にも見えてしまった。
見て、しまった。
そして、多田も……
「同……化……?」
ぼんやりと口をついて出る単語。
あぁ、そうか。これは不適合ってヤツなんだ……
ゆるゆると思考回路が働く。
目の前には、上級生の変わり果てた姿があった。
「沖野っ……これって!」
「うん、わかってる」
焦っていてはいけない。
とりあえず、今できることは……
「封じなきゃっ! 手、貸して!」
言いながら、教室へ駆け戻る。
最悪の場合は避けなければならないから、一時外と隔離しようと思ったのだ。
同化が終わっているヤツがいるのかどうかすらわからない。
ここを、小娘(物凄ぉく嫌な言葉っでも、悔しいけど事実だ)二人で抑えきれるとは思わない。
誰か、助っ人を呼ばなきゃ。
「多田っ、これで結界、守ってて!」
耳打ちしながら、お札の束を手渡す。
病院の一件以来、欠かさず持ち歩くことにしていたのが役に立った。
「わかった……って、どうする気っ!?」
同じ作法で多田は聞き返す。
「心当たり、連絡つけてくるっ」
「って、組織の? わかった。気ぃつけて!」
その言葉を背に、多田とは一反別れた。
校舎を後にする道すがら、気の力で要所要所の壁に呪符を張り付ける。
いくら私でも、結界全部を多田に任せるわけにはいかない。あまりにも身勝手というものだ。
異変が生じ、結界を構築している時点でまともな通話状態は望めない。
私は裏門を抜け、電波の安定する場所で携帯の画面に目を走らせる。
4時25分。
今日、平日、今なら向こうも学校は終わっている筈!
勢い込んでプッシュして、コールすること3回。
『はい──』
「あ、《智依名》ですっ」
応答を確認すると同時に捲し立てる。
「連中に遭遇しましたっ。場所はS学園、同化しかけてるのもいるらしく、不適合で一人既に……」
『今、どこからだ?』
訝し気な声色はすぐに引き締まったものに変わった。
「すぐ近く、経理専門学校付近の交差点です」
『わかった』
短く言って、向こうの電話が切れた。
携帯を下すタイミングで、沙霧さんが直接走ってくる。
まさかの超至近距離。
走ってきた方を思わずガン見すると、その先にある家具屋街に「沙霧家具店」の看板と、見覚えのある単車が止まってるのを見つけた。
そ こ か よ!
愕然としている間に合流した沙霧さんは、呆れた顔をして私を見てくる。
「ずいぶん好かれるな、連中に」
「すみません。今、とりあえず封鎖中です」
敢えてコメントは避け、校内からの連絡じゃなかった理由をそう伝える。
「わかった。他に誰か?」
「あ、多田、いえ《湖泊》一人です」
言いながら、既に二人とも走り出している。
通りを歩く人々が、何事かという表情で振り返っていた。
「規模は?」
「中高校舎内……敷地の、約半分」
多田の能力の、現在の許容範囲ギリギリだった。
これを少しでも超えていたら、わざわざ本部媒介で助っ人を呼ばなきゃいけないところだったのだ。
パートナーかサポート相手かがいれば、まず誰よりも先にそちらに連絡できる(っていうか、そうしなければならない)のだが。
「ポイントが開いたわけじゃなさそうだな。それにしても学校か。厄介だな。大体、何人中に?」
「えーと、ごじゅう……かける、にじゅう……しち…………約、百四十人くらい……ゲ……」
S学園は小中高一貫の私立校(敷地内には幼稚舎もある)。
数えてみて、その多さに頭を抱える。
でも、それだけじゃなくて、
「どうした?」
足を一瞬止めかけた私に、沙霧さんは声をかける。
もう、学校は目前に迫っている。
「地、地縛霊、うようよ……」
すっかり忘れていた。
この学校が、昔の墓地の上に建ってるってこと。
さっきは見えなかったものがはっきりと目に映るのは、妖霊共の出現で活気づいたためなのだろう。
「!?」
焦る私を後目に、沙霧さんがモーションに入った。
不可視の弾丸が、丁度塀から顔を覗かせていた霊にぶつかる。
──カッ
光が閃いた。
「んな無茶な……」
私は思わず呟いた。
音のない爆発――“爆破”の力だ。
無論、相手を判別するはずのない、荒技。
「決まりかけていたバイトを、ふいにされたからな」
言いながら、ひらりと塀の上に身を躍らせる。
あ、言い忘れたけど、私が頼んだ結界ってのは、そこから出ることだけを制限する種のものだ から、自由に入ることはできる。
けど。
あぁーのぉーねぇーっ昼日中に堂々と、人間離れした行動を連発しないでもらえます?
我々の、極秘組織っていう形態が、ねぇ。
それに、バイトって……
そんな時間あるのか?
沙霧さんって、今高三じゃあ?
「早くしろ」
言われて私自身も「あ、はいっはいっ」と、門に回るのが惜しくなって、結局塀に飛び乗ったのだった。
嗚呼、我々の極秘って一体……
「バ、バイトって……?」
軽やかに地面に降り立った沙霧さんの後を追いながら、そんな場合ではないと思いつつ聞き返してしまう。
組織に所属していれば、危険手当としていくらか収入は来るんだし、暇も結構なくなってしまうっていうのに……
「店番」
「店番って……」
文句あるかとばかりの口調で言われて、今度は私が呆れてしまう。
「じ、自分の家でしょうっ?」
「バイトはバイトだ」
な、なんともまあ、とんでもない人だ。
そうか、家でバイトってのは盲点だったなぁ……
しっかーし、もしかして、この人が実力あるのにコンビ組んでなかったのって、この性格に問題があったのでは?
つい疑ってしまいたくなる。
だって、今ので家でのバイトふいになったって、普通そっちに思考回る?
「沖野っ!」
緊張感を失いかけていた私の耳に、多田の声が届いた。
あそこは、三階の廊下。
私と沙霧さんは校舎に駆け込む。
もう、無駄話の暇はないようである。