霞の杜幻影展示場

夢幻戦域reboot

職員室にて

「失礼します」

 がちゃっと扉を開ける。

 やけにがらんとした部屋の中に、二、三人だけ人がいた。

「どうしました?」

 職員室の中を見渡した私に、いつも通りのにこやかな顔で訊ねてくるのは、入り口近くにいた音楽教師。

「黒田先生は……」

 私は姿の見えない宗教教師の名前をあげた。

 

 なぜかって?

 

 取り立てて明白な根拠があるわけじゃないんだけど、さっき同化されていた“田中女史”も宗教教師だったから。

 すると。

「黒田先生のことなラゥわゥタァスシィグワァークァゥワァルウィーにィーキィーテェェェェ……ゥワァァァグウェェェェ」

 ずさっ

 短刀を抜きざまに斬りつける。

 

 ええいっ気色悪いしゃべり方するんじゃないっ!

 

 伸びかけていた両腕がわたわたと空を泳ぎ、切り裂かれた音楽教師の身体は、半分に別れて前面に倒れた。

 少し遅れて、緑色の、液体。

「ギ、ギゥ……サマラァァ」

「ナグ……アガニモ……グル……ノグォーッ……」

 残りの連中も迫ってくる。

 

 はい、やっぱりそうだったんですね。

 どちらも同化済みってわけね!!

 

「通りすがりだ」

「いたいけな女子高生」

《狙撃手》も私も同時に答える。

 もとより、こいつら相手にまともに答える気などない。

 

「フズゥワ……クウェル……ナァー…………グル……」

 連中は、私達の前に近付くまでの間に変化を遂げた。

“田中女史”の時よりも更に大きい、それだけに化け物じみた姿。

 私と《狙撃手》は左右に散った。

 

 二人ともが攻撃系の、異例のコンビだ。

 何も、近くで行動する必要はあるまい。

おん・しゅちり・きゃらろは・うんけん・そわか!

 暗黙の内にどちらを相手にするか決めて、私は早口で真言を唱えた。

 印を結び、顔面めがけて術を叩き付ける。

「ギッ」

 ガキガキと手が動いて、ヤツは術をはねのけた。

 だが、それより早く私は飛び上がっている――返されることは計算の内だった。

 

おん・ばざら・やきしゃ・うん!

 

 続いてもう一つ。

 悲しいかな、小物ばっかし沢山相手にしてきた私の十八番は乱れ撃ちだ。

 勿論、ちょっとでも大きいのが、そんなんで“封殺”できるとは思わない。

 あくまでこれは、囮や目眩ましだ。

「グヂッ」

 続けざまの攻撃に反応しすぎ、ヤツの手がこんがらがる。

 刹那、その懐に飛び込んだ私は、再び抜き放った短刀をかざし、不動明王真言を唱え始めた。

のぅまく・さん・まんだ……せんだ…………

 

 どぅ……ん……

 

 左後方で爆音がして、《狙撃手》の方は片が付いた事を知る。

…………かんまん!

 

 術力を起動させる最後の言葉と同時に、短刀からのびた光が、ヤツを細部まで寸断した。

 まさに、ちりぢり。

「成仏、されたし……」

 いつもの癖で呟いてから、何か変な感じがした。

――すぐに、あぁそうか、と思い到る。

 彼らはキリスト教徒。

 仏教的な表現じゃ悪かったかな……といって、訂正する来もない。

 なによりまず―――

 

 ガタッ

 校長室の方で物音がした。

 私は《狙撃手》と頷きあってから、ドアを引き開けた。

 

 なによりまず、まだ、全ての決着はついていない。

 

 べしぃっ

 

 すぐ横の壁に、巨大な気がぶつかる。

 ……あちらさんも、戦闘準備OKらしい。

「援護する」

 背後で《狙撃手》は言った。

 室内はそれ程広くはない。

 私は「お願いします」と首を縦に振って、気力を高めながら校長室へ飛び込んだ。

 身体ギリギリを二、三発の弾丸が追い越していく。

 それらはまさに絶妙なタイミングで、相手の攻撃をはじき飛ばした。

「ごきげんよう、黒田先生」

 私はにこりともせず、さらには嫌みったらしく、わざわざ首都圏方面の姉妹校で使われているような挨拶を口にした。

 相手は答えず、すっかり妖霊化してしまった姿で、隙を窺うようにこちらを睨む。

 その胸部では、人間だった頃の名残の十字架が揺れている。

 

 ビュミッ

 

 片腕が伸びた。

 私は飛び上がり、壁を蹴って術を放った。

おん!

 フッと動いて、ヤツもそれをかわす。

 机に飛び降りた私を、反対側の手が襲った。

「――!?」

 ショックに対して身構えたが、衝撃が来ない。

 驚いて顔を上げると、ヤツは痛めた手を引いて、ドアのあたりを睨んでいるところだった。

「そのぐらい、逃げ切れないでどうする」

《狙撃手》だ。

 私は体勢を立て直し、振り向きもせずに答えた。

「すみませんね、ミジュクモノで」

 答えながら、初めて一般的(?)な印を結び始める。

臨、兵、闘、舎、皆、陣、列、在、前!

 両手を強い気が覆った。

破っ!

 そして、方向などまるで定めないで術を放つ。

 

「ドコヲミテイル」

 それは妖霊の横を通過し、ヤツはせせら笑うように言った。

 

 かかったな。

 

 私は内心にやり、と思って印を結びなおした。

 ただし、気を溜めるわけではない。

 声を出さずに九字を復唱すると、「前」で止めたままの手を、ぐいっと手前に引っ張った。

 

 べしっ

 

 音がして、動きかけたヤツの、赤い目が大きく見開かれる。

 誘導弾は、何も《狙撃手》に限った技ではないのだ。

 もっとも、これでこういうことやる裏技は、前にサポートしたことのある同系列の能力者から教わったんだけど。

 ぼた、ぼた、と赤黒く、どろりとした液体が滴り落ちる。

 それを見て、そしてそれが己のものであると知って、ヤツはますます凶悪な顔つきになった。

 

「ヨォクゥムォォォォーォッ」

 シュン

 おっと。

 

 いきなりヤツは目の前に飛んだ。

 慌てて後ろに下がった私は、壁にしたたか肩をぶつけてしまう。

 やばいって、そこ、さっき掴まれてたところ。

 

 びゅ、びゅんっ

 

 今度は爪が飛ばされる。

 ミサイル弾かいな。

 ちょぉっとピンチかも。

 ガッガツッ

 私の頬を薄く削って、それらは壁に突き刺さった。

 直撃は免れたものの、なま暖かい液体が頬を伝う。

 何とかしなければ……

 

 ああもう!

 

「ていっ」

 私は殆どやけになって、そこら辺にあったものを闇雲に投げつけた。

 飛んでいったのは、黒い古い形の電話。

 それが標的の向こう、壁にぶつかって、ガチャンと音がする。

 

 ちぃ、だめか!

 

 とにかくも体勢を早く立て直さないことには……

 少しの間隔を利用して、とりあえず最も簡単な印を結ぼうと試みる。

 その途端、

 どかっ

 顔面を直撃するクリアーなショット。

 もう、脳味噌はぐらぐらで……ただでさえ低い鼻が、折れたらどうしてくれるっ

 当然、印は解けて。

 それから気付くのだ。

 

南無天満自在…………んしん・そわか!

 早口でそう唱える。

 直後、ずん、と重い感じがして、私は結界が間に合ったことを知った。

 

 ポケットに残されていた、簡易結界符。

 感謝します、北野大明神様、菅原道真のおじさん。

 ……それにしても、今の今まで思いつかなかった沖野ってば馬鹿?

 ヤツは突然できた見えない壁に驚き、続けて襲いかかってきた。

 

「はっ」 

 勿論、それを黙って受ける必然性もなく、私は横っ飛びにその攻撃を逃れた。

 少し、息が切れかけているみたいだ。

 心拍数が速まっている感じがする。

 

 早く、決着をつけなければ……

 ぎゅんっ

 

 思っていた矢先、頭上を気がかすめた。

 ヤツのものでも、私のものでもない、硬質の冷たい気。《狙撃手》だった。

 思い出したように、突然術を使って下さる。

 一体、あのお方は何を考えているのだろう?

 

 それでも、ヤツが《狙撃手》の方に気を逸らした隙に、間合いを取り直すことが可能。

 自分に都合のよい分だけ奴から離れ、攻撃するために結界を解除する。

 それから、今度こそきちんと印を結び、

 

おん・ばざら・やきしゃ・うん!

 間髪を入れずに言霊の力を行使した。

「グギャァッ」

 奴の目のあたりを狙ったそれは、多少のズレこそあったが、うまい具合に命中した。

 この攻撃には、さしもの妖霊も少し怯む。

 

――チャンス。

 そう思ったのは私だけではなかった。

 

 どすっ

 気で包まれた物体が、即座にヤツの胸元に打ち込まれる。

「終わりだ」

 声があがった。

 視界の隅に、指を構える《狙撃手》が見える。

「わかってます」

 答えたのは、ヤツに食い込んでいる物体の正体を、理解できたからだった。

 

……べいろしゃのぅ・まかぼだら…………

 意識を、埋め込まれた短刀の先へ集中させる。

 そう、私の手放したものを、いつの間にか《狙撃手》は拾っていたのだ。

 刀身に光る文字が浮き出始め、それと同時にヤツの動きも鈍くなるのがわかる。

 もがくのさえも、とろい動作。

 

のぅまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん!

 区切らずに、流すように真言を唱える。

 

 半拍後――

おん!

 声と同時、短刀を中心に無数の光の束が溢れ出る。

 切り裂いたのは、妖霊の上半分。

 しかしすぐに、真紅の炎がヤツの全身を包む。

 

 音のない、爆発。

 

 ヤツを覆い尽くして有り余る爆風が、まともにこちら側になだれ込んできた。

臨、兵、闘、舎、皆、陣、列、在、前!

 素早く空中に線形を描く。

破っ!

 凄まじい、エネルギーの逆流。

 様々な光が校長室に入り乱れて……やがて、消えた。

真言の資料はさてどこに行ったかな
2022/04/22 up
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