カラン……
短刀が床に転がり落ちる。
あの妖霊の姿は、綺麗に消滅していた。
《狙撃手》の力を受けたため、欠片すら残らない。
どっと全身を疲労感が襲う。
ようやく私は頬の血を拭った。
「終わり……?」
呟きながら、横たわる短刀の柄に触れる――不意に寒気がした。
「――!?」
私は反射的に、斜め上に飾られている像を見上げた。
――パァリィーンンン……
直後、その像は粉々に砕け散った。
いつの間にか、すぐ隣に《狙撃手》は立っていた。
「これで、終わりだ」
たいして表情を変えもせずに言って、《狙撃手》は確認のため部屋の中を見回した。
私も、改めて部屋中を見渡す。
――よくもまぁ荒らしてくれたもんだというほどに、校長室の中は乱れまくっていた。
「っかし、宗教関係者ばっか、よく引っかかったもんだわ……」
思わず、口に出して言ってしまう。
少しばかり不謹慎な話かもしれないが、実感は、こもっていた、かなり。
宗教科の先生、三人。
宗教音楽の先生、一人。
取り込まれそうになって不適合で死んでしまった、あの先輩も確か、洗礼を受けていたはずだった。
そして、何より。
つい今さっきに《狙撃手》の力によって破壊された、妖霊の依り代は「聖母像」だったのだ。
一体これは、どうなってしまっているのだろう?
「おい」
と、言葉を聞きとがめたのか、《狙撃手》が声をかけてきた。
発想があんまりだという自覚があっただけに、返事はついどもってしまう。
「は、はいっ」
訊ねられたのはこうだった。
「他の連中は?」
「?」
咄嗟に、言われた意味が分からない。
どの「他の連中」のことなのだろうか?
「職員室にいるはずの、他の連中は?」
少し苛つくように言われて、ようやく理解する。
そういえば、確かに職員室に他の人影は認められなかった。
――まさか!?
私は慌てて職員室に駆け戻った。
何だか、嫌な予感がする……
机と机の間をくまなく回ってみても、先生の「せ」の字も見つからない。
あ、いや、「せ」の字だけ見つかってもしょうがないんだけど。
まさか……!?
望みを託して、私は談話室の扉を開けた―――
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!?」
言葉もなかった。
噎せ返る血の臭いが全身を貫き、あまりにも鮮やかすぎる紅が、私の身体を硬直させた。
つ、と見上げるような顔と、目が合った。
「う、うわぁぁぁぁぁーっっ!?」
知らず、私は絶叫していた。
恐怖に引きつったままの、その、校長先生の顔は―――頭は……
……未だに固まりきらない、“朱の海”のある机の上に、直接に生えていたのだ。
目を背けても、瞼にしっかりと視線が張り付いて、消えてくれない。
更に、落とした視線の先には、肘から先のみの腕が一本、無造作に投げ捨てられていた。
くらっ
血が思いっきり引いてしまう。
……気分が悪い。
閉じこめられていた、邪気を含んだ空気を、目一杯吸い込んでしまった気分だった。
「何をしている」
それなのに、私の後ろから沙霧さんは平然と言った。
こんな光景を見ても何も思わないのか。
私は暫く口もきけずにいた。
答えがないのを知ると、沙霧さんはすい、と私をどけてその部屋の中に踏み込む。
「ひぃ、ふぅ、み……五人か……」
そして独り言のように言う。
どうすればそんなに冷静になれるのかわからない。
或いは、これよりもっとひどい場面に遭遇したことがあるとでもいうのか。
沙霧さんはすぐ、職員室の方へ戻ってきた。
「結界を。そのまま現場保存」
通り過ぎざまに言うと、後はさっさと出口に向かってしまう。
けれど、私はまだ、動けない。
沙霧さんは足を止めて振り返った。
「早くしろ。他の人間に見せたいのか」
その台詞と、じっと見られると言うことが強制力となって、ようやく私はのろのろと真言を呟き始める。
「おん……かあ・かあ……」
お地蔵さんの絵と「か」という梵字の入ったお札を出し、閉めたドアの中央に張り付ける。
こうすれば、不用意に開けられる心配はなくなる。
あんな場面を、一般人に見せるわけには、決していかない。
ただでさえ、妖霊の存在はトップシークレット。
奴らの存在から、特性からを知り、実際に目の当たりにしたことのある私でさえも、こんなに衝撃を受けているというのに……
そうでなくとも、残忍すぎるバラバラ死体を人の目に晒すということは、憚られるものだろう。
沙霧さんはまた歩き出した。
後始末が残ってる。
多田にも伝えなきゃならない。
私も、行かなくっちゃ……
私は、ふらふらなままで、小走りに沙霧さんを追いかけた。