霞の杜幻影展示場

夢幻戦域reboot

打診

 支部長直々に呼び出されて、私は今、支部の一室にいる。

 

 支部にも色んな部屋があるんだけれど、今回来たのはトレーニングルームがあるのとは別の建物。

 因みに、テーブルとソファが置いてある以外に何にもない部屋なのでそうは見えないのだが、この部屋は六畳もない狭さだったりする。

 待っている時間が暇で、つい写経なんぞをしているのだが、今日は勿論平日。

 これが学校のあるときだったら、ミッションスクールの、セーラー服なんて格好で、ものすごくちぐはぐだっただろう。

……実は、それをやったこともあったんだけど。

 

 カチリ

 

 左側の、私の入って来たと同じ側の扉が開く音を聞いて、私は筆を持つ手を止めた。 誰か、他に呼ばれてるのだろうか?

 顔をあげると、なんてことはない。沙霧さんが入って来るところだった。

 私が呼ばれてるなら、コンビの沙霧さんが呼ばれるの、至極当然。濃紺のブレザーを着てるあたり、こちらも学校帰りらしいが、ここんとこしょっちゅう顔を合わせているだけに恐れ多さみたいの、もう全く持っていない。

 私は沙霧さんに軽く頭を下げて、再び黙々と写経を始めた。

 

 視界の隅で、沙霧さんが何かの雑誌を広げるのが見えた。

 ちらっと見えた色彩的に、バイク雑誌か何かだろうか。

 嗚呼、極端な精神集中とかの訓練しなくていい人はそんなことで 暇つぶしができるんだ。

 言霊とかの呪術系能力者は暇さえあれば精神統一なんてことやんなきゃいけないってのにっ……いいなぁ。

 おっと、いけない。

 えぇとっ……無有恐怖、遠離一切……っと。

 他に人気のない部屋の中で、私達は互いに干渉し合うこともなしに支部長からの声がかかるのを待った。

 

 そう、こんな何にもない狭い部屋は支部長室であるはずないでしょ?

 ……心経。と、最後の文字を書き終えたところで、天井のスピーカーから秘書、みたいなことをしてる人の声がした。

 

『どうぞあがってください』

 

 私は筆と紙を片付けて静かに立ち上がる。

 

 ちらり、と沙霧さんの方を見ると、彼は涼しい顔をして、まだ雑誌を眺めていた。

 構わないのだろうか……?

 少し、様子を見る。

 聞こえなかったはずないのに、やっぱり動こうとはしない。

 声をかけようかとも思ったけど、何となくそれも無視されそうな気がして、放っておくことにした。

 右の扉を開けると、その向こうには長い廊下が続いている。

 てくてくてく……と私はただひたすら歩いて、突き当たりの階段を上った。

 厚みのある扉が、上りきったすぐ側に見える。それをノックしようとして、私は自分のまわりがフッとかげったのに気付いて驚く。

 背後から延びた手がドアノブを回した。

 振り返ると、沙霧さんだった。

 全く、心臓に悪い御人だ。つくづくこのシチュエーションが気に入っているというのか、もう。

 沙霧さんは私の横を抜けて先に部屋に入った。

 しょうがなく、私はその後に続く。

 

「失礼します」

 

 正面の机の前には、支部長が座っていた。

 他に、人はいない。

「急がせて、悪かったね」

 その支部長が言う。

「……いえ」

 答えたのは沙霧さんで、私はとりあえず無言で控えていることにする。二人揃って答える必要性のある言葉ではないから。

「実は、任せようかどうしようか、迷っていることがある。それで来てもらったんだが……」

 そして、支部長はその内容を語り始めた。

 

──最近調査しなおしてみて、とんでもないことが発覚した。

 ホールポイント、どころか、完全に開ききってしまった状態のものが、数多く未処理のままに残っていたのだ。

 もう少しその数が増えてしまったら、手遅れになってしまう。

  ところが、現在ある封鎖専門のチームだけではとても数が足りず、新しくそれも執り行えるチームを作るしかなくなってしまった。

 そこで。二人とも、そのチー ムメンバーの候補にあがっているが、これは普通のホールポイント封じよりもずっと危険度が高いため、支部の意向だけではどうこうする訳にはいかない──

「……それで、どう、する……?」

 

 二人と言っておきながら、支部長の視線はまっすぐ私をとらえていた。

 沙霧さんも沙霧さんで、じっとこっちを見ている───始めから内容は知っていたようだった。

 

  ホールの封印は、普通支部長の言葉通り、その専門のチームがあたる。

 チームっていうのは、コンビよりも一つ大きな集合体。

 たいていコンビを組むとどこかのチームの一員という形にされて、大がかりな仕事の時にはまず一つにまとめられて行動することになってる。

 だけど、それが格別に危険かと言うと、そんな話は聞いたことがない。

 何人かのメンバーが同時に閉じる作業をして、他の人達がその間のガードに入る。

 専門のチームが少ないのだって、閉じる方じゃなしにガードをする人達の 能力がうまくかみ合うかどうかの問題があるだけで、そんなに、ホールポイントの方の作業より危険、とかってことはなかったはずで……

 けれど一方、やけに 深刻な表情の支部長の瞳が気にかかった。

 

「どういう、ことですか………?」

 沙霧さんも何にも言いそうになかったので、私はそう尋ねてみた。

 

「ホールの封印を、一人でもできるかと、聞いている」

「私、一人で、ですか?」

 支部長は頷いた。

「専門のチームの封じ系能力者も、それぞればらして配置しなおしたが、各チーム、能力保持者を一人置くのがやっとというのが現状だ。そう数のある力ではないからね……勿論、ガードには強力なメンバーを揃えるつもりだが………」

 とても、渋い顔つきになっていた。

 まだ高校生にしか過ぎないような小娘にも頼るしかない状況なのだから、いた仕方あるまい。

 

 私はすぐ隣に立つ沙霧さんの顔を盗み見た。

 そこにあるのは、表情の読めないポーカーフェイス──反射的に、私は答えていた。

「やってみます」と。

 

 支部長はその言葉にほっと息を吐き、漸く沙霧さんにも視線を向ける。

「《狙撃手》……」

「──わかってますから」

 それだけで了解し合っているあたりが、いわゆる『上の人間』っぽいと思う。

 支部長は机上の書類をぱらぱらめくって一枚選んで抜き出した。

 沙霧さんは前に進み出てそれを受け取り、目を通すとペンで何か走り書きした。

「……いいだろう」

 支部長は少し顔をしかめ、それでも頷くと自分でも何事かを書き留めた。

「それじゃあ、よろしく、たのむ」

 身振りで退出を促され、沙霧さんは軽く頭を下げる。

「失礼します」

 言ったのは私で、そうして私達は支部長室を後にした。

 

 下の待合い室に降りて行くまで、私達はやっぱり無言だった。

 私は、沙霧さんの持っている紙が気になってはいたのだが、わざわざ尋ねるのが嫌で、黙って後ろを歩いていた。

 カチリ

 扉を開けるとき、何故か沙霧さんは振り返る。それで、

「サポート、つけておく」

たった一言、言った。

「は……?」

 思わず聞き返すと、彼は妙に意味深な笑みを口元だけに浮かべてそのまま行ってしまった。

 何だったんだろう、今の言葉は……?

 

 『サポート』は、前にも触れているとおり、コンビを組んだりしないで他のコンビなどの補佐をする人だ。

 多くの場合単位期間内にどこかのチームに付き、とっさの場合、コンビの片方の代わりなんかもする、いわば便利屋さん。

 ほんの少し前までは私もその予備戦力の一人で、本当に二月もしない前までそうだったせいか、つけると言われてもピンと来ない。

 私はすぐに部屋に入り、帰り仕度をしている沙霧さんの様子を窺い見た。

「サポート、ですか?」

 自分でも間が抜けているとは思ったが、そう尋ねる事にする。

 聞かなければ──そして、聞いたときでさえしばしば──何も教えてくれない御人なのだ。

 沙霧さんは手も休めずに答えた。

「年長者で、それなりに判断力もある。カバーには十分すぎる実力の持ち主だ。いくら行動の中心を子供が務めているとしても……フォローは、うまい」

 聞きたかった事とは微妙にずれてる気もするが、まあいい。

 それにしても『子供』という言葉。他意があって口にしたのではないだろうが、それでもかなり傷つけられる。

 どうせ、私はつたない人間なんだ。

 イジけるもう片方で、『年長者』という言葉が気になった。

 大抵、サポートをつける場合は、コンビに行動の主体性があるために、サポートをするコンビの平均 年齢よりやや若いハンターが選ばれる。例えば、私と沙霧さんなら、十六と十七だから十五歳前後の、といった具合に。

 実際、私が今までにサポートしてきたコ ンビは大学生ぐらいの年齢の者がほとんどであった。

 けれど、『年長者』と言うのなら……

 聞き間違いかとも一瞬思ったのだが、「子供」発言というあたりか ら、そうではないらしいとは判る。

 しかし、うーん……

 私はそんなことに頭を悩ませながら、黒のリュックを手に持った。

 

「連絡はつけてある。ついてこい」

 先に戸口に立った沙霧さんは、やっぱり出し抜けに言った。

  そしてそのまま、ついてくるのは当然とばかりにスタスタ歩き出してしまう。

……これで私がついて行かなかったらどうするんだろう? そんな考えが頭の中を 横切ったが、まさかサポートに会いに行くと言うのに、「ついて来い」とまで言われているのに、ついて行かないわけにはいかない。

 私はのろのろと彼に続いた。

 

 沙霧さんが向かった場所は、支部からさほど遠くはないDビルの屋上だった。

 本当なら、屋上への扉は閉ざされているべきなのに、今はどういう訳か鍵が開いていてすんなりと通ることが出来た。

 他に人がいたわけでもないのに。

 首をかしげてしまったけれど、つまり、連絡、つけて、ついでに開けておいてもらったんだろうか?

 でも、ここまで誰にも擦れ違ってすらいないんだけど?

 

 キィーっ

 

 着いてから5分としないうちに新たな人物が扉を開ける音がした。

 見ると、背の高い、黒のスーツに身を包んだ男の人が、私達の方に近づいてくるところだった。

「どうも済みませんね。会議の方が長引いてしまって」

 すぐ側まできてから、まず彼は穏やかな口調で言った。

 ……え?

 ……てっ

 ……てことは、まさか、この人、が

 がっ………?

 

 思いっきり焦ってしまったのを許してほしい。

 だってそこにいたのは、どう見ても二十代後半としか見えない、れっきとした社会人風の人で。

 それに、「会議」なんて言ったからには、それは正しい見方なんだろうしっ。

「いえ……」

 答えたのは勿論、沙霧さん。

 パニクってる私は、もう少しで沙霧さんの対応の仕方の差を見過ごすところだった。

 

 支部長と話すときより、何か、違う。

 

「話の方は、加藤さんから聞きました。そちらが?」

「ええ。パートナーの《智以名》。例の」

 自分のこと言われたので、軽く、頭を下げる。何が例のなのかは、不明である。

「初めまして。《速水》といいます」

 《速水》氏は礼儀の正しそうな様子で言った。

 落ちついた物腰がいかにも社会人していて、それでいて妙な威圧感はない。

 いい人だな、と直感的に思った。

 この、直感っていうものも、ハンターの仕事の上では重要視される。だって、人に紛れてる奴を探し出すためには、やっぱり、必要じゃぁないですか。

 

 閑話休題

 

「《速水》さん、貴方には《智以名》のフォローを頼みます」

 沙霧さんはあくまで無表情に言った。

「……ええ、そうですね。まあいいでしょう。《智以名》さん、宜しくお願いします」

 それを聞いて、どうしたわけか《速水》さんは微妙な間をあけて頷いて、沙霧さんの顔色を窺った。

 何か、二人だけで測り合っているようにも、思える。

 これだから人事部上がりは嫌いだ。

 

「こっこちらこそ、宜しくお願いしますっ」

 《速水》さんには頭を下げながら、私は心の中で沙霧氏にぶつぶつ文句を言った。

 その沙霧氏は、表情を完璧に押し殺している。

「それじゃあ、申し訳ありませんが、今日はまだ仕事がありますので何かあったら、連絡して下さい。緊急の時には、「秘書課の高科信明」と、呼び出して下されば」

 顔合わせがとりあえず終わると、《速水》さんは、ちらりと腕時計に目を走らせて本当にすまなそうに言い、ドアの向こうに戻って行った。

 こんな時代なだけに、会社員も楽じゃないらしい。後ろ姿を見送りながら、ふとそう思った。

 

「帰るぞ」

 《速水》こと高科信明さんがいなくなってから少し過ぎると、一言言って沙霧さんは歩きだした。

 まったく。しばらく黙ってたかと思うと。

 とことん、自分中心に行動する御人だ。いや、これは二重人格かもしれない。

 つい先程までの、どちらかといったら「です、ます」調から「である、だ」調的な話し方に、あっさりと切り替わっている。

 

 この差は一体何だ?

 

 私は半ばむっとしながら、もと来た道を戻り始めた。

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2022/12/19 up
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