楓軌一人にさえ手を焼いていた軍勢が、三人の協力により粗方戦闘不能となると、彼らは揃って北門を目指し、歩を進めた。

 その途中、朱宝はすかさず敵兵の矢筒から中身を収集して回る。

「おめぇ、射尽しちまうのやけに早くないか?」

「それだけ援護いる人がごろごろしてるんでしょ、楓軌哥とか楓軌哥とか楓軌哥とか」

「って俺だけかよ?!」

「あの……冗談言っている場合じゃないのでは?」

「「無問題」」

 恐る恐るピカタが口を挟めば、二人は息をぴったり合わせてそう応じる。

  実際、楓軌は野生の勘とでも言うべき反射速度で鉾を翻し、物陰から襲い掛かってきた集団を、弾き返してのける。朱宝は朱宝で、軽やかな足捌きで連打をかわ すと、そのまま水瓶や積み重ねられた干草の上に駆け上り、終いには廃屋の屋根に立って頭上からの狙い撃ちで、戦力を堅実に削いでいった。

 どかばきっがしゃんとすっ

 打撃音を中心に、ところどころに鋭利なものの突き刺さる音が混じり、楓軌やピカタの周囲には倒れ伏す敵兵の肢体が輪を描くように積み重なっていく。

 彼らの死角を突いて襲い掛かる者には、矢の雨が。目立つ朱宝を狙い、廃屋へよじ登ろうとする者には、楓軌の重い一撃が。ピカタは、見事な連携を見せる二人が討ち洩らしたごく一部の敵を、多少の時間はかかるものの一人一人と闇へと沈めていく。

「うぉらっ」

 止め、とばかりに楓軌は鉾を振り回した。

 凄まじい風圧は、少し離れたピカタをもよろめかせる。

 振り返った彼が確かめれば、後に残るは累々と横たわる敵の、苦悶の呻き声ばかり。

「すごい……」

 ピカタは汗を拭いながら感嘆の声を漏らした。

 後方に居るとき、あれだけ皆が苦心して対峙した敵兵士達を、一時にこれだけ易々と倒してのけたのかとは俄に信じられない。

 楓軌は肩を鳴らして、得物の持ち方を変えると、あたりに散らばる剣や槍を一箇所に集め始めた。

「何を…?」

「おいおい、ぼおっと見てねぇでちったぁ手伝えや」

 ピカタが訝しげに見れば、楓軌は溜息を吐く。

「このまんま武装させたままじゃ危ねえだろうが」

「え……あ」

 はっと気がついた。

 先ほども感じていた違和感。

 これだけの乱闘を繰り広げながら、楓軌の全身にはろくな返り血もついていない。のみならず、錆びた鉄のような、それでいて甘さを感じさせるようで胸を悪くする、あの戦場につきものの夥しい血の香りも、目に焼きつく鮮やかな朱の色も、ここには殆ど存在しなかった。

 ピカタの武器は杖であるから、骨が砕け臓腑が傷付かない限り、流血させることは少ない。先ほどまで併走してきた紅朱宝も、同じ打撃系の武器を用いていたし、主要の武器が遠方の敵を射抜く弓であるから、自分たちに返り血が殆ど当たらないことには、何の違和感もなかった。

 けれど楓軌の武器は違う。

 敵を突き刺し、鋭い刃で薙ぎ払い、懐深くまで寄せ付けること無しに、握った得物ごと敵の腕を切り落とし、首と胴に永遠の別れを告げさせることのできる、殺傷性に優れた武器なのだ。

 加えて、あれだけの風圧を生む出し得る強力。

 それなのに、何故この場所には───

「ピカッち、ピカッち」

 朱宝は気の抜けた呼称で彼を呼んだ。

「多分分隊長クラスは呪布持ってるから、それ貰っちゃっといてね〜」

「はいっ朱宝さん!」

 ピカタは勢い良く頷くと、意識を失った男達の懐や道具入れの物色を始めた。

 気がついたのだ。屋根を飛び降りた彼女が、同じ様に廃屋やその周辺を探って集めているものに。

 何故その選択を彼女達がするのかはわからない。けれど、二人は、敵を易々と屠る事のできる力を持ちながら、彼らの命を奪うことなく戦闘不能に追いやっていたのだ。

 でなければ、ここで彼女が、荒く綯われた縄と網をつなぎ合わせていることの説明がつかない。

 朱宝は器用にそれらを結び合わせて一枚の巨大な網に仕立て上げると、それを担いで再び屋根へとよじ登った。

 主だった武器と、脱出に役立てられそうな呪布の類は楓軌とピカタによって回収されている。楓軌の合図で、朱宝は下方に網を放り投げた。

 うまく広がりきらなかった部分の処理を下の二人に任せ、彼女は更に屋根の高みへと登る。

「あの」

楓軌の手つきを見よう見まねで網を地面に縫い止めながら、ピカタは思い切って彼に声を掛けた。

「どうして、止めを刺さなかったのですか」

「あん?」

 楓軌は手を止め、大空を背景に立つ少女を見上げる。釣られて、ピカタも彼女に首をめぐらせた。

「無用な流血沙汰は璃有哥もあいつも嫌ってるしな」

「無用……」

 呟くピカタの頭を楓軌の大きな手が荒っぽく撫でた。

「おめぇらみてえなガキの前で流れる血なんざ、少ないに越したこたねぇだろうが」

「楓軌さん……」

 彼の言葉は、これまでそれなりの死線を潜り抜けてきたと自負するピカタには、やけに衝撃的だった。

 この腐敗と混乱に満ちた世の中、破壊や殺戮は否が応でも身近なものとなりつつあるというのに。見た目が相当に厳つく、大振りな所作が粗野な印象を与える、そんな彼が、ここまでの綺麗事をを口にできるのか。

 馬鹿にされているのでも、軽んじられているのでもないことは、頭に載せられた手の温もりから、語るその口調から、推し量ることができた。

 ピカタは胸が熱くなるのを感じた。

  戦場に身を置きながら、圧倒的な力を持ちながら、綺麗事を語り、実行できる大人がこの乱れた世にも存在する。それは、この世の在り様を憂い野へと飛び出し ながら、人の死を幾つも体験しながらも、自らは人を斬ることができずに来たピカタにとって、何より励みとなる発見だった。

 見上げる先で、朱宝がふと、微笑んだように見えた。

 

 

 

 

 

 

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 楓軌とピカタの年齢差は十六。確かに大人と子供。
素材提供元:LittleEden