裴城を大分離れ、なだらかな丘陵地帯を抜けた頃になると、玉蘭は馬足を緩めて周囲を見回した。

 頭に思い描く地図と、蕃佑の通過経路を見定める為、が、半分。

 残り半分の理由として握り通しだった片手を開くと、そこには梅花から去り際に託されたものがあった。

「私たちは如何なる状況でもあなたに仕え、あなたに従い、あなたをお守り致します」

 何かを包んだ薄紙に、まずそんな一文と、裁家三姉妹の署名を見出して目を丸くする。

 事が露見したときに巻き込まれて処罰されぬよう、彼女達の誰にも何も話さず、玉蘭は鏡台の抽斗に突然の暇を侘びる文面と、彼女達の本日付の解任の旨を書き残して去ってきたのだったが、どうやらそれはお見通しだったらしい。

  その薄紙に包まれていたものは、舞踊などのときに着ける鞘飾りだった。煌びやかな装いは実用性に欠け、剣の抜き差しを難しくする為に、舞の中でも鞘に収め たまま踊りきることのできる特殊な剣舞のときのみに用いられるのが通例。まさかこれを鍛えていない舞踏用の模造刀以外に用いようとは、普通は考えも及ばな いだろう。つまりこれは、彼女が最後の関を抜ける際の変装を意識してのもの、ということになる。

「桜華……梅花……桃果!」

 玉蘭は一度ぎゅっとそれを握りしめた後、背に負った皮袋へと姉妹の心付けをしまいこんだ。

 このような助力を知られれば、彼女達にかかる追求の手は免れ得まい。それを思うとまた計画の断行に後悔を憶えるが、止めることは姉妹の好意を無にすることでもある。

 だから玉蘭は真直ぐに向かう先を見据えた。

 向かう先───蕃佑の騎影を求めるだけではなく、その先にある、彼女の真なる目的地を目指し、玉蘭は単騎、駈け出した。

 

 茶番じみた会議の紛糾が介在したとはいえ、当初の予測どおり、馬車連れ徒歩の随従ありの一行が目に入るに、長の時間は要しない。

 それは一つ目の関のこと。

 後に関を守っていた濠尚は

「あの時可憐将軍が現れなければ、我が隊は壊滅していたに相違在りません。全く、天の救いでした」

そう述懐して諸侯から睨まれることになるのだが。

 玉蘭が駆けつけたとき、既にその場は殺伐とした空気で満たされていた。

 一触即発、今にも蕃佑が刀を振り下ろそうかという局面に、蒼色の外套を纏った裴城よりの使者が駆け込んできたのだ。

「双方暫し待たれよ!!」

 戦場でもよく通る大音声が、彼らの注意を否応無しに玉蘭へとひきつける。

「「可憐将軍」」

 双方は双方の感情を込めて彼女を呼んだ。

 玉蘭は両者の間に馬首を割り込ませ、懐から出した書状を濠尚へと突きつけ、言った。

「嵩宰相よりの命である! 我が君は蕃佑殿の並ならぬ活躍並びに朔夫人の度重なる嘆願に免じ、両名を朔夫人のご夫君、璃有殿のもとへお返しすることを約束された。よって各関は快くこれを両名に開き、礼を以って見送られたい」

「何っ?!」

 唖然とする濠尚よりも、蕃佑の声が上がるほうが早かった。

 それを受け玉蘭は、書状を濠尚へ向けたまま、彼の方へと首を廻らせる。

「嵩宰相は流石にあなた方の熱意に負けたようです。してやられて面白かろう筈はありませんが、この翠玉蘭、この書状に懸けてお二人を酪斜関迄お送りいたします」

「まさか、嵩萄殿がこのような……!」

 蕃佑は未だ信じがたいといった表情で、探るように玉蘭を見ていた。

 玉蘭は馬を下りると、蕃佑に一礼して件の書状を差し出した。

「確かに、宰相閣下の手による物。巫王陛下の印璽にも相違ございませんぞ」

 兵の構えを解いた後、濠尚もまた地に降り立った。勅命とも言うべき書状を携えた玉蘭がそうしているのを、濠尚が倣わぬわけにも行くまい。

 矯めつ眇めつ書状を検分していた蕃佑は、

「確かに……だが」

「嵩宰相におかれましては、朔夫人の無事を事の他案じていらっしゃいます。翠玉蘭を随伴として手配されましたのも、僅かであれ朔夫人にとって気安かろうとの配慮の上」

「蕃佑殿、そちらにいらっしゃるのは可憐将軍……玉蘭様なのでしょう? ならば私はそのお話を信じましょう」

「奥方様?!」

背後に守る馬車から、柔らかな女性の声にたしなめられた。

「玉蘭様は私があの場所に在る間、私たちにとてもよくしてくださいました。お勤めのこともございましょうから、勿論口を閉ざされているところもおありだったのでしょうが、少なくとも仰られる言葉に、偽りはございませんでした」

「……奥方様がそう申されるのであれば」

 漸く剣を鞘に収めた蕃佑に、濠尚と彼の部下達はホッと胸をなでおろした。

 

 

 

 

 

 

戻 基 進 

 
  蕃佑と濠尚の力量差をわかりやすくレベルで表現するとしたら、50と7くらい。
素材提供元:LittleEden