その廃城は、一見世界の名城シリーズの一巻に掲載されそうな趣の石造りだった。

 中東の古代文明を思わせるような頑健さと、気の遠くなるほど長い間放置されたような寂れ方。

 

 それが目に入ってしばらくして、風の流れが変わった。

 

 まだ見たわけじゃないけど話には聞いてる、何とかいう湖面から吹いてくる冷たい風。

 湿り気を多く含んだ風っていうのは、長時間動き回って火照った体には気持ち良く思えそうなのに、何故かひどい悪寒を覚えた。

 その理由は、さほど行かないうちに判明する。

 

「大丈夫かい?」

 声をかけられて振り向くと、イアラちゃんが心持ち眉をひそめて私を見ていた。

 その向こうに見えるキール青年の顔色も余りよろしくなく、ブランの唸り声も聞こえた。

 

 

 ってことは、これは私の錯覚ではなく―――異臭が、した。

 

 

 その異臭は余りにも不吉な匂いで、異臭だと頭で理解する前から嗅ぎ分けた鼻が、拒否反応を起こしていた。

 

 何だろう、この匂い……腐った土のようでだけど腐葉土の香りとも違う、どこかで知っているような、今まで嗅いだこともないような饐えた……

 

 

「これって……」

 半ば無意識に鼻と口を押さえて呟く。

 イアラちゃんの表情が、ぎりっと苦みを増した。

 

 

「屍臭だよ」

 

 ししゅうって……歯の回りがどうとかいう? 歯周病の人は確かに息が臭うって聞くけどまさかそこまで……って、屍臭……?!

 

「っ!」

 

 私は慌ててもう片方の手でも口元を被った。

 

 思いつかないなんてどうかしてる。

 

 

 今向かっているのは、雪花曰くの腐れ吸血鬼の館だ。とすれば当然そこにいるのは死人ばかり……勝手は違くともラクーンシティの中に突っ込むのといい勝負に違いない。

 つまりそこは、腐肉が飛び散り骨が舞う、阿鼻叫喚の地獄絵図───それにニオイが伴わないなんて、有り得ない話だった。

 

「大丈夫ですか?」

 イアラちゃんに返答する余裕もなく茫然としてる私に、今度は主人公君が気遣いを見せる。

 子供だとは言っても、戦場を経験しているだけはあるのか、それとも、主人公というキャラクターとしての定義ゆえなのか。実際にゲームをプレイしたことのない私には、その気遣いの基がどこにあるのかわからない。

 

 けれど

 

「センタクバサミが欲しくなったよ」

 年下の彼等に案じられて、自分だけふらついたままでは情け無くて、強がり半分肩をすくめた。

 

 両手は鼻と口を被ったまま。

 余り様にはならないけど。

 

「言えてますね」

 返してくれたヤツデ少年の顔がぎこちないながら微笑みを浮かべて、息苦しさは徐々に増しても、私達を取り囲んでる重苦しい空気が、ほんのわずかに軽くなった。

 

 

 これこそが、彼の主人公たる資質なのかもしれない。

 

 

 いよいよ近づいてきた城壁の向こうに十字架の山が見え隠れしだしても、足が震えても、彼等と一緒なら堪えられる。

 遅れずに歩いてける。

 

 

 そして、私達は城門をくぐる。

 

 

「おい、マドカ」

 

 低い声でランス。

 顔は前に向けたまま、背に負ったひと振の剣を鞘ごと、外して、突き出す。

 私の前に。

 

 

「ランス?」

「あのヤロウとの勝負には邪魔だからよ」

 

 差し出されてるのは晦冥剣を手にする前からランスが持っていた大振りの剣だ。

 名のあるものかどうかは知らない。(雪花がろくに使ってなかったからだ)

 

「確かに、マドカ殿が持たれたほうが良さそうですね」

 格ゲーなら忍者系のキャラが好んで使いそうな武器を構えながらカディオさんがうなづく。

 その他の皆もそれぞれの得物を抜いて、周囲からの不意撃ちに備えている。

 臨戦体制を取っていないのは私とランスだけだ。

 

 臨戦体制……とはいっても、流石に私の業務用カッターじゃ効き目はなさそう。ゾンビと言えば銃のイメージの私には、心許無いことこの上ない。

 

 ああ、だから、なんだろう。

 

「余計、足手まといになりそうだけど」

 私は溜め息を吐いて手を伸ばした。

 それは、不思議としっくり来る重さだった。

 

 

「っ! 来る!」

 キールの言葉に反応して、素振りもしてない剣を青眼に構える。

 

 ガッ

 ガツッ

 ガスッバキッ

 

 身軽な姉弟の打撃が、腐った肉体に包まれた骨を砕く。

 シャッと鋭く風を切ったナイフが、溶け落ちんばかりの死肉を削ぎ、ギリ、シュッと放たれた矢が接近する別の一体を地に縫いつける。

 

「ェヤッ」

 その間にメリナは纏った炎で最初のどろどろを土に還していた。

 

「マドカ殿!」

 ガシュッ

 私だって惚けて見てた訳じゃない。

 アットに叫ばれるまでもなく、ゾンビの一撃を受け流して切り返す。

 

 技を繰り出さないよう呼気に注意しながら、膝を利かせて飛び下がる。

 やや遅れて、腕を前に突き出したままの死体がベシャリと上体を落とす―――そのまま足が数歩動いて、腕が緩慢に上下を彷徨って、どろり。何年もかけてわだかまった汚泥のような異臭を放ちながら崩れ落ちる。

 

「くっ」

 頬をひっかかれたアットが、伸びたままの腕を切り落とせば、ランスが叩き斬るというより最早剣威で叩き潰すように晦冥剣を振るう。

 辺りはあっというまにヘドロだまりに変わっていた。

 

 

「先に進みましょう」

 ざっと周囲を見回し、懐紙で暗器を拭いながらカディオさんが促す。

「ああ、とっととこんなところおさらばしたいね」

 嫌なものを見る目で回収したナイフを見遣り、イアラちゃんは肩をすくめる。

 

 それは確かに大賛成だったけれど、泥の固まりをじっと見下ろしていたヤツデ君は、逆にゾンビの成れの果てから目を反らしてるランスに肩を叩かれ、「でも」と小さく反論した。

 

「ななな何言ってるのよ、ヤツデ! さっさと上の不気味なおっさん倒してこの村の人達のカタキとらなきゃ!」

「メリナは覚えてるだろ、立夏亭のファースさんと遺跡に行ったときのこと」

「えっなによなによなんのことっ?」

 ハイテンションに本当に分かってないって分かる様子で聞き返すメリナちゃんに、ヤツデ君は呆れと苦笑を混ぜ合わせた、年齢不相応の溜め息を返した。

 

 

「遺跡での挾み撃ちを言ってるのかな」

「挾み撃ち?」

「あーっ!」

 助け舟を出すように口を挟んだキール君の台詞が気になって聞き返すと、メリナちゃんは古城中に響くような大声で、答えようとした好青年の言葉を遮った。

 どうせ始めから気付かれてるんだろうけど、だからといってわざわざ知らせるようなことしなくても……私はつい呆れてしまう。

 メリナとはつまりそういうキャラクターなんだと言われたら、私にはどうすることもできないんだけど。

 

 

「詳しくは聞かないけど、こういうときはむしろ足元から見ていくべきじゃない? トラップが予想される場合のセオリーね」

 私は耳をふさぎながら、メリナちゃんに文句をいう間を省いて提案した。

 時間短縮のつもりで最上階まで駆け上がったあげく、最下層のアイテムが不可欠なんてオチはゲームには有りがちのもの。ゲームならコントローラー放り投げて悪態吐くぐらいですむけど、生憎今は死活問題だ。

 この巨大な城の最上層と最下層を往復だなんて是非とも遠慮したい。

 

「マドカ殿の仰ることにも一理ありますね」

 この先のボス敵に滅ぼされた一族の生き残りは、腕を組んで早速賛意をあらわしてくれる。

「僕もそう思います。それに、ドーブルに連れ去られた女の人達がまだ生きてたら……生きて、いなくとも。少しでも早く解放してあげたいんです」

「あぁ……そうだな」

 ヤツデ君の意見を聞き、ランスがなんとも言えない表情で頷いてしまえば、一刻も早く変態吸血鬼をぶちのめしてこの悪臭からおさらばしたい様子の他の面々も、反論することはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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 古城探索って本当は一日じゃ終わらないと思うけど。
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