巫王国家の崩壊

 
 

 継承権が荒れれば国内も荒れる。

 常日頃から色に現を抜かしていると噂されていた当代巫王に加え、その後の政権の行方が見えなくなれば大衆の混乱は免れ得ない。更には数十年ぶりといわれる規模の大不作に見舞われ、国家の威光は見る見るうちに色褪せて行った。

 時に共通暦1037年。廉公による巫王殺害を契機として国家は滅亡の危機を迎える。

 巫王の怠惰にも廉公の暴挙にも反感を抱いた民衆達の間に、異能を操る君子の噂が立つ。彼こそが思念の理を持つ幻装。幻装は幻述・幻緑らとともに、理の力を掲げ王朝に叛旗を翻した。

 だがこの叛乱は国内をより大きな混乱の渦中へと巻き込んでいく役にしか立たなかった。このときの混乱に乗じて、廉公もまた家臣に弑殺され、次の継承者に名乗りを上げる王族やその血族の骨肉の争いと、各地に相次いで起きた叛乱は、徒に民衆を疲弊させていった。

 共通暦1042年。ピカタ・リウェラス(稟陽片=第八皇子)は十五の歳を数えていた。王族の大半がこの数年で命を落とすという最も凄惨な状況にて継承問題の解決に糸口が見え始めたこの年、漸くにして宮廷は幻装一味の討伐の号令を下す。

 各地の領主・名士達が推挙する名将軍師らが一同に会し、総指揮を任じられた堆穿の許、大討伐作戦が敢行される。その中の一部隊、義勇部隊の一角に、名を隠したピカタ少年も潜んでいた。

  ピカタ自身もそこそこの武勲を立てつつ、全体としては犠牲も多く払いながら討伐軍がその任を終えた頃には、宮中の継承争いにもいよいよ終止符が打たれてい た。それは、前巫王の血縁中唯一の生き残りとされる第五皇子・稟樟栖を立てた詫瞭が、宮中の権力争いを押し切ったことをも意味していた。

  詫瞭に組した役人達や、討伐隊に参加して勲功を上げた諸侯達には、恩賞や相応の地位が与えられたが、対抗勢力足りえる存在に詫瞭は容赦が無く、廉公以上の 暴虐ぶりは、味方をも恐怖の底に引きずり込むまでの時間を要しなかった。ピカタは恩賞を受け取ることすらを知己となった璃有に委ねるなど、徹底して宮中に 関わることを避け続ける。高い褒賞を賜るでもなかった彼らは早々に王都を辞し、いつかの再会を約束してそれぞれの旅に出る。

  程なく、反詫瞭の意志を固めた諸侯達は、恐怖という形で混乱を抑え付ける現政権に叛旗を翻し、傀儡と化した樟栖と都を奪還せんと潜伏先から押し寄せて行っ た。この戦いで更に諸侯や諸市街は傷を負い、人々の疲労困窮はピークに達した。事態を重く見た諸侯は自軍自領の建て直しのために各々が領土にとって返し、 中央に空白の時間が生じる。負けを予感した時点で、詫瞭は切り札となる樟栖と理を連れての逃亡を企てるが、樟栖は水晶の間を開くことを拒絶。激昂した詫瞭 は樟栖をも切り捨てて郊外へと逃げ出した。水晶が他人の手に渡ることを恐れた詫瞭によって宮殿には火が放たれた。宮殿の炎上に気付いたピカタは単身乗り込 み、樟栖の最期を看取る。そこで彼は樟栖含め王族の殆どが水晶の間の扉すら開ける力が無かったことを知らされる。しかし、ピカタの前に扉はあっけなく開い た。理は自ら選んだように、ピカタの額へと収まった。

 時に共通暦1045年。巫王を名乗る者のいない国家は事実上瓦解し、巫王が国家を統一する前の小国林立へと逆戻りしていくのだった。

 

 

 

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