嵩萄の台頭

 
 

 ピカタが単身樟栖の許に駆けた意味について、薄々ながら勘付いていたのが、代々中央官吏として巫王に取り立てられてきた嵩家の末、嵩萄だった。嵩家は名門ではあったが前巫王の色に溺れる様を憂いて諫言し、それによって閑職に追いやられた、所謂没落しつつある名家である。

 数多いる兄弟の中で特に覇気があり、権力争いに塗れる代わり嵩家の代表として討伐軍や反詫瞭連合の一翼を担っていた嵩萄は、めまぐるしく変わる情勢に右往左往する一族をたくみに纏め上げ、時には粛清をも辞さず、いまや嵩家の長にのし上がっていた。

 嵩萄はピカタと姿をくらませた第八皇子とのつながりを疑い、配下に彼を見張らせることによって、最後に残された継承者を掌中に握らんと画策していた。

 共通暦1047年。ついにピカタの本拠を探り出した嵩萄は、そこに隠棲した第六妃(朧月妃)の姿を見出す。第八皇子の所在を問い詰める嵩萄に、朧月妃は既に己の手を放れて久しいとはぐらかすが、それでも世評は耳に入るだろうと、嵩萄は朧月妃を強引に自領に招き入れる。

 同じ年、反詫瞭連合の盟主を務めた韻脩は、弟韻榔の許に第七妃(爽月妃)が身を寄せていると公表する。

 嵩家領と韻家領は沼沢地を挟んだ隣接関係にあり、この動乱の時期にあっては結ぶか斬り結ぶか、そのいずれかの選択肢のみを互いに持ち合わせていた。そこに舞い込んできた両妃発見の報は、嵩萄に後者を選ばせる絶好の機会となる。

 もとより、互いに好感情を抱いてはいなかった韻脩と嵩萄は、沼沢の地に戦端を開き、互いの正当性と相手の不当性を叫びあう。

 このときの嵩萄の傍らには、先の二大戦で華々しい勲功を上げた蕃佑という武人の姿があった。

 蕃佑は璃有を支える片翼だったが、璃有一行が世の混乱の中、足がかりを求め流離う中にあってはぐれてしまった璃有夫人(朔佳鈴)を守るために取り残され、夫人ともども嵩萄に掬い上げられたのだった。

 蕃佑はこの恩と、半ば人質となった佳鈴のために嵩萄の元で剣を振るっていた。

 更には、幻装討伐時には韻脩配下にあり武勲を立てながら、正当な評価を与えられず腐っていた女丈夫・翠玉蘭も、反詫瞭連合の解散を期に嵩萄の求めに応じて彼の許に降っていた。

 嵩萄自慢の将らに加え、この二人の参戦は、あっけなく韻脩の軍を壊滅させる。

 勢いに乗った嵩萄は、韻脩の本拠をも討ち果たし、空白の中央で未だ燻っている詫瞭派残党をも蹴散らして王都に本拠を移した。

 そしてこの戦いの最中、諸侯の誰もが密かに血眼になって捜していた創始の理が、その在り処を明らかにする。

 朧月妃への恩義を理由として王都進軍に参加していたピカタの軍が、敵将・籠虞の猛攻に遭い、壊滅せんとした時に、理のもたらす力が敵を彼方に吹き飛ばし、自軍の兵士を力強く回復させたのだ。

 結果的に正当なる継承者の協力という事実を周囲に広めることになった嵩萄に表立って逆らえる者は最早おらず、中央・旧韻領・嵩領に加えそれぞれの近郊の小国並びに領土を持たぬ諸侯はこぞって嵩萄の前に膝を屈した。

 共通暦1049年も暮れる間際の出来事だった。

 

 

 

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