璃有の離反

 
 

 

 流浪の末韻脩の世話になっていた璃有は、嵩萄配下として戦場に立つ蕃佑の存在によって窮地に立たされる。

 離反や嵩萄との結託を疑われ前線に打って出た璃有と再会した蕃佑は、夫人の所在を璃有に伝え、最早彼ら抜きでも戦局の明らかな戦線から離脱した。

 目覚しい蕃佑の活躍に気を良くしていた嵩萄は別段これをとがめだてせず、むしろ中央の詫瞭派残党掃討戦には璃有をも招きいれ、事が成った暁には官吏として取り立てるよう朧月妃に進言するとまで提案した。

 韻脩の本拠攻めに蕃佑を用いず、これらの後に企てる一戦への参加を求めたのは、義理を重んじる蕃佑・璃有の性質を慮った上での嵩萄の計略だった。

 佳鈴という人質の存在はここでも嵩萄の有利に働き、璃有の一派は掃討戦に参加。これまでの戦において親交を深めていたピカタこそが第八皇子であったことを知った璃有は、彼の助けとなるため中央への残留を決意する。

 しかしながら、中央官吏として職務に励むということは、次第に表に現れていく嵩萄の専横振りをひしひしと感じ取ることに繋がり、為政者としての不勉強を理由にピカタを政局から遠ざける等の振る舞いに反感を抱いた官僚達の計略に璃有は徐々に引き込まれていく。

 幼き頃から陽片皇子の傍にあった扁絽印や有珠汰らも反感を強めている官僚達の中にあり、官僚・夕繰堵の強硬な言葉に煽られて嵩萄暗殺計画が持ち上がる。だがしかし、その計画は嵩萄腹心の江嘉皓・燕覇淘らによって灰燼に帰し、首謀者・加担者への一大粛清が行われる。

 時は共通暦1052年。危機を察した朧月妃は、自らが矢面に立つことによって加担者への処分減免を試み、政権を牛耳ろうとした罪で以って処刑される。

 減免された処分によって単身辺境の官僚として派遣された璃有は、そこで出会った異国の少女・ティータ・アレムと庸明殊に支えられ、皇子解放の機をうかがった。

 この時においても嵩萄の許に止め置かれた蕃佑は、しかし嵩萄と面会することは差し止められ、佳鈴からも隔離されていた。代わりに優れた武具や装飾品、珍しい酒類などが次々に蕃佑に与えられた住まいに届けられ、合間を縫って戦場への召集がしばしば人づてによって行われた。

 一方、有篇嬰一人を残し側近とも引き離されたピカタは、密かに佳鈴の所在を探り、彼女を脱出させる計画を巡らせていた。彼知る限り、嵩萄が最も政敵として警戒をしているのが璃有であり、その動きを妨げるのが囚われの夫人の存在だと悟っていたからだ。

 ピカタは多くの官僚が考えるほどに愚鈍でも実直でもなかった。であるからこそ嵩萄をも欺き、夫人と連絡を取り合うことに成功し、ついには蕃佑ともども脱出せしめるのに至ったのである。

 夫人及び蕃佑脱出の報に怒り狂った嵩萄をとりなしたのは、嘉皓だった。彼は夫人らの脱出を「脱出」ではなく、嵩萄の温情によるものだと世間に広めることによって、璃有と蕃佑の義侠心に訴え、こちらに向く刃を心理的に押さえるように進言する。

 またそれは、蕃佑に執着するあまりに蔑ろにされがちになっている、古くからの嵩萄配下に対する嘉皓の配慮でもあった。

  温情の演出のため関所への伝令を買って出たのは翠玉蘭だった。蕃佑同様新参であった彼女のこの行動に、覇淘らは難色を示すが、「他の者が行っては、万一蕃 佑と見えたときに一戦交えかねない」という至極最もな理由と、彼女であれば単騎駆けで後を追う際、乗りつぶす馬の数を軽減できるという物資的理由、賊に出 くわしても一刃の下に葬り去れるという技量的な理由と並べ立てれば、首を縦に振るしかなかった。

 だがしかし、多くの将兵の懸念どおりに、伝令に行ったきり彼女は消息を絶った。

 そうして、共通暦1053年。蕃佑・佳鈴と合流した璃有は、離れてしまった他の仲間達を救い上げるための行動を最早隠そうとはしなくなった。

 

 

 

 

 

 戻 基 進

 

 

 

素材提供元:LittleEden