洪家の活動

 
 

 

 嵩萄が韻家との対決や中央の平定に尽力している頃、肥沃な自領を有する洪家の一族は、各地で暴れる湖賊・山賊らの対応に追われていた。幻装討伐や反詫瞭連合への参画により手薄になった領内の警備の隙をついて、近隣を根城にする賊達が略奪を繰り返すようになったためだ。

 また、賊達の中には、他の領土から困窮して流れ着いた元農民や、戦火に追われた難民の姿もあった。

 共通暦1046年。洪家当主・洪励は中央から軍を引き上げた後、これらの対応に、湖賊は水軍の若き軍団長・筝征除を、山賊には長男・洪拶を、難民達には次男・洪頌をそれぞれ向かわせ、自らは長女・洪樂令と共に領都の治安維持に努めた。

  洪拶・洪頌兄弟の任はその範囲ゆえに三年の歳月を要したものの、比較的容易に始末をつけることができた。多くの民は両軍に投降し、洪励の温情によって兵た る資質のあるものは兵士に取り立て、そうでない者にも領内の細々とした仕事を与えて、衣食の確保を助けた。これによって洪軍には士気の高く忠誠心に厚い将 兵が補充されることとなり、洪領はより充足して行ったのであるが、残る一戦、水塞に篭った湖賊との戦いは熾烈を極めた。

  賊の頭領・紀隆らを策謀にて水上に誘い出し撃破した征除の働きは高く評価されたが、警戒する残存勢力の抵抗が予想外に長引き、痺れを切らした洪拶は洪励に 願い出て、征除と共闘すべく賊を挟撃する形に陣を敷いた。古くからの友人である征除と洪拶の連携は見事に当たり、共通暦1052年末、ついには残存勢力の 筆頭・迩威琉が捕縛される。迩威琉の才を惜しんだ征除は洪拶・洪励に進言し迩威琉を自軍の将として迎え入れる。また、それと相前後するように嵩萄の許を逃 れた翠玉蘭も、征除を通じて洪軍に名を連ねるようになった。

 領内の平定が漸く叶った洪家の次の懸念は、自領北東に居座る韻榔の存在だった。

 狡猾に嵩萄の手を逃れた韻榔は、領地拡大を目論み周囲の情勢に目を光らせていたが、特にその手に掴まんと欲している土地の一つが、洪家領の肥沃な大地であった。

 そのが為に韻榔は多くの賊を雇い入れ、湖賊の紀隆にも物資を流すなど洪領の混乱を助長させていたと噂されていたが、迩威琉が洪励配下についたことにより、その噂は裏づけされる。

 韻榔の野心を警戒した洪励は、すぐさま配下の兵を北東に送り、領内の平定による油断を突こうとしていた韻榔軍を返り討ちにする。

 共通暦1053年。中央を押さえた嵩萄軍と、まともに渡り合える戦力を保有する唯一の軍───洪励軍の名はそのような形で大陸に広まっていった。

 その噂は勿論、辺境で有志を募る璃有や、中央で実権の無い玉座につくピカタの耳にも確実に届いていた。

 璃有に請われ彼の軍師となった褐雫漣は、その肥沃な大地にも裏打ちされた洪家の実力に目をつける。嵩萄の手を確実に逃れ、皇子奪還を目指すにも新天地を目指すにも、洪家の助力を仰がない手はない。

 しかしながら、璃有らの性質からその事実が借りとして尾を引くことも案じた褐雫漣は、嵩萄が既婚未婚問わず才女を組み敷いて侍らす趣味を持ち、次の標的として洪拶・征除の妻女や洪樂令を狙っていると騙り、洪励らの危機感を煽る。

 長く囚われていた璃有夫人の存在や、高い評価を受けながら嵩萄の許を去った玉蘭の振る舞いは、否が応でも褐雫漣の話に信憑性を与えた。

 時は共通暦1054年。洪軍の空気が打倒嵩萄に傾くまでに、さしたる時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 

 

 戻 基 進

 

 

 

素材提供元:LittleEden