三国の対立

 
 

 

 

 

 洪家と嵩萄を対立させた褐雫漣は、その隙に璃有の地盤を固めることを目論んでいた。

 自らは両者の対立を煽るために洪家陣営へ留まり、蕃佑・楓軌の二将に命じて戦場からやや外れた領土の境界・珪城を制圧させる。更に庸明殊の率いる工作隊により、奪還を狙う嵩軍部隊を殲滅させ、璃有は何の身の危険も無く珪城への入城を果たした。

 また、燕覇煉の部隊に敢えて翠玉蘭隊を当てるなど戦場をより混乱に追い込むことにより、彼を危険視する征除の追跡を振り切って褐雫漣もまた珪城へと入城する。

 共通暦1055年。龍江の戦いと称されるこの嵩萄大敗の一戦が明けたとき、嵩萄・洪家両陣営に、油断ならない相手として璃有の名が深く刻み込まれた。

 龍江の戦いは正面から激突した二軍を激しく消耗させ、その回復を待つ間に、璃有は次々と姿勢を決めかねていた小領土を併合していった。

 璃有の名の下に敷かれる善政は大地にしみこむ水のように民衆に受容れられ、若干の反感を覚える小領主達も、共に在るピカタの姿に口をつぐんだ。

 璃有は、ピカタとの合流を果たした後、祖先が当時の巫王により下賜された宝剣を彼に捧げ、指揮権を返上しようと膝をついたが、ピカタはこれを受け取らず、王位に就くべきなのは人心を集め善政を敷く人物であると告げる。

 璃有であればこそ首をたれた褐雫漣は、ピカタの振る舞いに感心し、その言動にこれまで以上の注意を払うようになる。

 ピカタは為政者にしては奔放で、王族の割には前線への参加を好んだが、それは同時に彼の好戦性を現さない。彼の攻撃は一撃で敵を沈め、命を奪うことなく戦力を削ぐことにかけて抜きん出ていた。

 また、彼は敵の性格を読むのにも巧みで、軍議においても乱戦の最中にあっても最良と思われる答えを導き出すのが速かった。

 これによりますます褐雫漣の警戒は深まるが、ピカタは璃有を兄のように立て、璃有は彼を弟のように愛情を込めた交流を深め、多くの者にとって、稟陽片−璃有の関係は決して崩れぬものとして世間に広められるようになっていった。

 この事実はまた嵩萄の逆鱗に触れた。彼にしてみれば最初にピカタを第八皇子として見出した己を差し置いて璃有に組するピカタの存在は面白くなかった上、二人の連携がますます橡州を堅牢で豊かにしていくことが目障りでもあった。

 鼻先から掻っ攫われた屈辱も忘れることはできず、共通暦1057年、嵩萄は璃有に戦線を布告する。そして運命を数奇なものにせんとする何者かの意志が働いたかのように、ピカタは同じ頃、ティータ・Tの転移失敗により二人のティータと有兄弟ともども洪励の居城に墜落する。

  皇子という二の足を踏む存在が橡州から消えたことにより、洪家の璃有への遠慮は無くなった。褐雫漣により踊らされるように嵩萄との一戦を交えた挙句に、中 間の要所・珪城を押さえられたことに対する恨みは深く、璃有らが嵩萄軍との戦いに気を取られている隙をつこうと、征除ら好戦的な一派により橡州への進軍が 可決される。

 賓客として迎えられながら議場からは隔離されたピカタは、歯噛みして事態の進行を眺めている他に無かった。

 思わぬ挟撃へさらされることとなった橡州の褐雫漣は、敵を分散させるための策に出た。

 橡州へ兵を送った結果、龍江沿いの境界警備には翠玉蘭と迩威琉が当てられていたため、まずこの情報を嵩萄軍へと流した。

 次いで洪家側には、玉蘭が未だ嵩萄軍と結んでおり、この期に大軍を呼び込んで一挙にのっとりを図ろうとしているとの噂を流した。

 結果・珪城を挟んでの嵩萄軍・璃軍・洪軍の三つ巴と同時に、龍江沿いにおける燕覇淘・燕覇煉・松傲の嵩軍と翠玉蘭・迩威琉軍、筝征除・琲献軍の衝突が発生した。

 珪城・龍江いずれもが一触即発、それぞれの動向に神経が張りつめられる極限状態。挟撃を回避したもののこのままでは次の手も打ち難く、褐雫漣も眉を顰める。

 予想される総力戦は、乱戦の上の消耗戦だった。

 

 

 

 

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