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「ノナイ──ここもまだ、あんたが転がっていたあの村の一部さ」
「な……」
言葉が出なかった。
聞いたことのない村の名前、それ以上の衝撃は、勿論、自分達がまだあの猛獣達の巣窟近くに止まっているということ。
「あんた本当何者? こんな地図からも消えちまったような村に、何の用があったんだ」
ガーラントの見せた反応に、彼は目を細めた。
眇めた視線には、警戒がありありと浮かんでいる。不振人物は、お互い様らしい。
「用は、ない。俺は、ただの、傭兵。戦闘中、理術の、爆発に、まきこまれた」
「それでこの村にか?」
「そう、だ」
ガーラントが答えたのは、目の前の相手が己の命を握っていると知っているからだ。言外の脅しに屈したのではない。
彼はガーラントの命を救った。
それだけは揺るぎない事実。ならば、相応の礼儀は払って然るべき。
彼は溜息を吐き出した。
「あんた悪運が強いな」
「どういう、ことだ?」
「俺達が一昨日通りかかったのは単なる偶然。何十何年ぶりか、こんなとこに来る奴なんて今更もー居ねえよ」
「何……?」
聞き捨てならない言葉があった。
一昨日、あれだけの怪我をして、何故もうここまで回復しているのか。
何十何年も誰も訪れることない村を、大目に見ても二十代にしか見えない彼が、どうして知っているのか。
「あのダートウルフ共を見ただろ? こんな場所に来る物好きなんて……」
ガタン、と物音がしたのはその時だ。彼は言葉を止め、表情を強ばらせる。
「やべー! あんた、取り敢えず動くなよ。俺あんたの包帯換えに来たんだ」
青ざめた顔でわたわたと、彼は書き物机に置き去りにされた道具箱をくつろげる。
鼻につく臭い。ガーラントにも覚えのある、薬草の匂いだ。
動かなかったので気付かなかったが、ガーラントは包帯塗れだった。
粗忽そうな動きなのに、随分と手慣れたもので、彼は無駄なく薬を塗り、きっちり包帯を巻いていく。
どうやらボスのお出ましだ。
今のところ危険はないと判断して彼に身を任せたまま、ガーラントは瞑目する。
彼が命を惜しんだとして、ボスの思惑は余所にあるのかもしれない。わざわざ人気のない村に進入して、一体何をやらかすつもりなのか。
「マイク~! いつまで掛かってんのよ~! おもーい、さっさと手伝え~!」
「は……?」
緊張感を高めた所で、その声は叫んだ。
思わず脱力、開きっぱなしの扉をまじまじと見つめるガーラント。
包帯を巻く手を止めた彼は、
「ちょっとこのまま待ってろよ。すぐ戻る」
口早に言って、慌ただしく部屋を飛び出した。
残されたのは、微妙な表情を浮かべたガーラントと、交換途中の包帯。
ガーラントは傷に響かぬよう、ゆっくりと息を吐き出す。
聞こえてきた声のせいで却って疑問が増えてしまったが、一人になると込みあがってくる疲労感に抗いきれず、眠りの縁に落ちていった。
次に目を覚ましたときには、体は大分楽になっていた。
灯りをあのまま消さなかったのか、部屋の中は明るい。包帯まみれの腕を上げると、微かに皮膚が引き攣れたが、それだけだ。噛み付か れ、切り裂かれた腕は見慣れた形状に復帰している。
「…………」
手を握り、開き、握り。感触を確かめる。
痛みはあるが、神経は繋がっているようだ。ガーラントの思うとおりの動きをする。
あれからまたさらに何日か過ぎてしまったのだろうか? 訊ねようにもこの場所に人影はない。
今は閉ざされたドアの向こうで何やら物音が聞こえるので、辺境に一人置き去りにされたのではなさそうだ。
「あー」
試しで発した声は掠れている。最後に水分をとったのは、どれくらい前だっただろう。
ガーラントは水差しか何かを探して辺りを見回した。
「…………ねえ」
もしかしたら、いつ目覚めるともしれない相手のために割く水はないのだろうか。ガーラントが一度意識を取り戻した事を知っているの は、一人だけ。
彼が何も言わなければ、まだ人事不正に陥ったきりと思われている恐れもある。
ガーラントは仕方なく自力で訊ねようとベッドに手をついた。が。
──っ!
声にならぬ痛みに、ガーラントはもんどり打ってシーツと毛布の間を転げ回った。
腕はいい。手のひらも。しかし負荷を与えられた肩の筋肉が、焼けて断裂しそうな痛みを訴えてガーラントを苛んだ。
ぱたぱたと、誰かの駆けてくるのにも気が回らない。
にじみ出る脂汗か、涙腺からこぼれ落ちた涙かがこめかみを伝う。
ドンドンバンッ!
しかし流石に、叩きつけんばかりの勢いで開いたドアには目を上げた。
「ちょっと大丈夫?!」
飛び込んできたのは女性が一人。これもまた少女と成人女性の境界のような、微妙な年頃のようだ。ガーラントの妹よりは、何歳か年下だ ろう。
彼女は結い上げた髪を乱してベッドサイド、ガーラントの側へ駆け寄ると、
「じっとして!」
悶絶中のガーラントにはある意味酷な注文を突きつける。
薬草も何も持たない手を、彼女はガーラントへと向ける。
「柔らかな風、痛みを包み癒す尊き恵み、かの者に安らぎを与えよ! ヒールエア」
凛とした力のある言葉。
彼女の手のひらから溢れ出た光がガーラントを包み込み、頬や髪を撫でたのは数秒。
たったそれだけで、ガーラントの呼吸は嘘のように楽になる。
散々に苦しめられた肩の痛みは、すっかりなりを潜める。
「クリスタル……テイカー」
ガーラントの目は、彼女の手へと向けられる。
薄手の指ぬき手袋を両手に填めているので、直接確認することはできないが、左右のどちらか、或いはその両方に水晶の力が宿されている のだ。
理術使いそのものは珍しくもない。けれど、どれだけの力が発揮できるかは、天と地ほどの開きがある。
ヒールエアそのものは辺縁の初等の術でガーラントも良く知っていたが、これほど覿面な効果を与えられる者と言えば、各国の正規部隊か 宝飾師の下で学ぶ見習いか、或いは──
「いくら理術で傷を塞いだって、身体に負担がかかってるんだから、じっとしてなきゃだめですよ!」
彼女は自然に手を引っ込め、腰に手を当てて仁王立ちする。
身に纏っているのは、ごくありふれた服装だ。多少の刺繍が入ったチュニックに、膝丈のスカート。ふくらはぎまでの長さのブーツ。どこ にも所属をあらわす特徴はない。
「済まない。しかし……」
「反論は却下。暫くは安静にしてないと、剣も握れなくなりますから。傭兵には致命的でしょう?」
彼女はぴしゃりと言った。それから、
「だいたい、あなたに合う服はまだ調達できてないんですよ。服も防具も武器も使い物にならない残骸だったって、覚えてます?」
「な……」
二の句が継げないとはまさに今のガーラントのことだ。
ガーラントは改めて自分の身体に目を落とした。
毛布を持ち上げ確かめれば、いたるところが包帯で覆われて、肌は殆ど見えない。辛うじて下着は身につけていたが、要するに衣服はそれ だけだ。これでは動けたとしても毛布を手放せない。
彼女はため息をついてそんなガーラントを見返した。
顔を赤らめもしない彼女の素振りが、男としては少し複雑。
「マイクのが着られれば良かったんだけど」
彼女は眉を寄せ、呟く。
誰だそれはと思ったガーラントだったが、幸いにも訊ねる前に思い出した。
あの、青年とも少年ともつかない彼のことだ。直接聞いたわけではないが、呼ばれたその名に反応していたのを覚えている。
「布地を集めて早いとこどうにかするから、もう少し大人しくしててください」
「申し訳ない」
「放っておけなかったのはこっちだから」
顎を引くと、彼女は肩をすくめた。
少し照れた笑み。
「何か、飲みます? まだ食べ物は受け付けないだろうけどちょっとずつ胃を慣らさないと」
彼女の申し出は願ったりだった。もとより、ガーラントを苦しめたそもそもの要因は喉の渇き。
不思議に思ったいくつかの物事を飲み込んで、ガーラントはもういちど微かに頷いた。
使用素材配布元:LittleEden