臭いだけで苦みとえぐみを予想させる薬湯を運んできたのは、マイクと呼ばれていた彼だった。

 彼は顔をしかめて、自分から極力椀を遠ざけるようにしながらそれを運んできた。

 

「うぇー、いつ嗅いでも慣れねぇ」

 ゲンナリとした声。

 彼は書き物机に椀を下ろし、少しばかり同情したようにガーラントを振り返る。

 

「起こすぞー」

 だるそうに言う割には、手つきには配慮がある。ガーラントは彼に支えられて、何日ぶりかに身を起こした。

 身の詰まったクッションを背に当て、寄りかかれるように調整してくれたのも彼だ。

 

「覚悟して飲めよ」

 

 不安を助長させる一言。ガーラントは神妙な面持ちで彼から椀を受け取る。

 深緑と薄茶と白のどろりとした混合物。

 渦巻く中に浮いた泡がいつまでも消えないのが、恐ろしい。

 

 ずっ

 

 ままよ、とガーラントは器に口を付けた。

 そのまま、一口、二口。

 

「……?」

 

 見た目通りのひどい代物。決して味わいたいわけではないのに、ガーラントはそれを含んだまま暫し思案してしまう。

 

「おい、頼むから吐くなよな」

 警戒した彼の言葉は、生憎とただの杞憂だ。

 ガーラントはそれを飲み下し、やけどに注意しながら椀を空にする。

 恐る恐る、彼はガーラントを覗き見る。

 

「平気……なのか?」

 

「この味には、耐性がある」

「は?」

 

「俺の母親は酷い家事音痴でな。父親が断固料理をさせなかったんだが、怪我をしたときだけは薬湯を作らせた。死にそうに不味いが、回復 は早いからと言ってな。俺も、よく飲まされたよ」

 述懐しながら、ガーラントの目は遠くなる。子供の頃は、怪我の痛みより薬湯の味で気を失った。それでも目を覚ませばすぐに動き回れた のだから、父親の判断もあながち非難できない。

 まさかそのおかげで、ここに来て重ねての失態を免れることになろうとは、ガーラントの両親でも思いつけなかっただろうが。

 

 マイクは同情したように言った。

「あんた、苦労してんだな」

「おかげで助かったようなもんだけどな」

「こんな殺人級の激マズ人に出すなんて、あいつ以外にいるとはねえ」

「はは」

 しみじみ言う彼に、ガーラントは空笑い。

 空になったカップを、マイクは書き物机の一番遠い場所に押し遣った。

 

「なあ」

 ガーラントは笑みを引っ込めて彼に呼びかける。

「あんた達は、こんな所にどんな用があったんだ?」

「別に大した用じゃない。なんでそんなこと知りたがるんだ?」

 

「二十年以上人が寄りつかないと言ったのはそちらだろう。そんなところに、何であんた達は来る気になったのか、気にならない方がおかし いんじゃないか」

 マイクは口をひん曲げて黙り込んだ。

 そっぽを向いて、書き物机のカップに目を留めると反対側を向く。顔の下半分を頬杖をついた手のひらで隠しているので、ベッドに半身を 起こしたガーラントには表情が知れなくなる。

 

 彼はややあってから、不機嫌そうな、臍を曲げたような声で言った。

「墓参りだよ」

 

「え?」

 

「ここにはあいつの一番大切な奴が眠ってるんだよ。俺は、単なる付き添い」

「……そうか」

 ガーラントは神妙な顔になった。

 

 父母または兄弟。彼の仲間がその身近な相手に参ろうとし、彼らはウルフの巣窟に仲間一人を送り出せずについてきたのだろう。

 そんな場面に自分はのこのこ現れたということか、とガーラントは呆れてしまう。

 彼らがガーラントを歓迎しないのも道理だ。

 

「でもなきゃ誰がこんな辛気臭いトコわざわざ来──アダッ」

 重苦しくなった空気を払拭するように、憎まれ口を叩くマイク。しかし、部屋の入り口から飛んできた白い何かが彼の横っ面に激突したた め、彼がその台詞を言い切ることはできなかった。

 

「なーんか遅いと思ったら、何やってるのかな、マイク?」

 と、開け放たれたドアの前で仁王立ちするのは、先程の水晶使いの女性だ。足元には、湯気の立った桶が置かれている。

 

「いきなり何すんだよ!」

「タオル投げたのよ、見れば判るでしょ!」

「てめっ! そーいうこと言ってんじゃねえだろっ!」

「あーうるさいうるさい、怪我人の前で騒ぐんじゃないっての」

 彼女はわざとらしく両耳を塞いだ。

「おまっ誰の所為だと思ってんだよ?!」

「マイク」

 ぶち中てられたタオルを握って抗議するマイクを、彼女は一言の下に切って捨てる。

 

「私言ったよね、「薬湯飲んだらずっと寝っぱで気分悪いだろうから、体拭くお湯とタオル持ってって」っ て」

「う……」

 半眼で指摘されて、マイクは言葉を詰まらせた。

 彼女は溜息を吐いて、足元の桶に手を掛ける。マイクはばつが悪そうに手の中のタオルを見る。

 

「考えてみればマイクが当てにならないのは今に始まった事じゃないし」

「うぅ悪かったな!」

「まあ、それがあんたの個性だと思えばね」

「だから悪かったって! 何だよお前……性格変わってねぇか?」

「マイクほどじゃないと思うけど」

「だからそーいうところが……! あー、もういいっ! 後はやるからとっとと出ろ!」

 

「ぷっ……くくくくっ」

 ガーラントはついに我慢できなくなって噴出した。

 

 マイクに思い切り睨まれるが、桶を片手に凄まれても迫力は出ない。

 彼らがどのような組織に属しているのか、それは未だ明らかではないが、少なくとも彼らは伸び伸びと自由に振舞っている。それが許され る以上、そう悪辣な上司でもないのだろう。

 

「あ! ちくしょ、笑いやがったな!」

 顔を赤くして、湯に浸して絞ったばかりのタオルを振り上げるマイク。

「相手が怪我人だって忘れないでよ」

 すかさず彼女は釘を刺す。

 

 この雰囲気であれば、聞き出せるかもしれない──

 

「あんたらのボスってどんな人なんだ?」

 

 

 

 

 ばっく ほーむ ねくすと

 

使用素材配布元:LittleEden