「おっそーい!」

 

 その夜。勝手口から酒家に入り、半信半疑で楓軌がその扉を叩くと、のっけから文句が飛ばされてきた。

 時間帯もあり小声ではあるが、まだ指定された刻限よりは少し前。叱られるのはなかなかに理不尽だ。

 

 扉を開けた先には、歳若い娘が一人、言葉通りに彼を待ち構えている。

 暗色の短衣。編み上げ靴をしっかりと締め、弓矢こそ除けているものの、傍らに小ぶりの杖を準備している。

 甘い期待というより彼女が何をしでかすか気が気でなく訪れた楓軌だったが、彼女のいでたちには流石に唖然とさせられた。一体今からどこを襲撃するつもりでいるのか、腰に吊るした皮袋からは水晶の呪符までが顔を覗かせる。

 

「じゃ、出掛けましょっ」

 

 朱宝は楓軌の腕を掴み室内へと誘うと、素早く扉を閉めて燭台の火を吹き消す。言葉とは裏腹な行動に楓軌は顔を顰めるが、構いもせずに彼女は室内を横切ってその先にあるものへと手をかけた。

 

 がたっ

 

 小さく音を立てたそこから外気が流れ込んでくる。

 朱宝はそこがあたかも正規の出入り口であるかのように窓の桟に足をかけ、宵闇の中へと己が身を滑りこませた。

 

「ほら哥哥も、はやくっ」

 

 唖然とする楓軌を朱宝は急かす。食堂での振舞いとは一転、朱宝は辺りを気にするように密やかに身動きしては耳を欹てる。いかに深夜とはいえ、疾しいことがないのならばそこまでする必要などないというほどに。

 大体が、窓から出入りする時点で怪しさは募っている。

「てめぇっ」

「いいから早く! 哥哥が来ないなら一人で行くよ!」

 詰問しようとすることさえ彼女は許さずに、言葉を遮って宣言する。

「くっ」

 ほんのりと彼女への殺意が芽生えた。

 しかし彼女が一体何をしでかすのか──村に危険を呼び込むつもりであるなら力ずくでも止めなければと気を入れ直し、楓軌は朱宝に従ってそこから外へと躍り出た。

 だむっと彼女のときよりも大きな音が立つのは仕方がない。

 朱宝の眼差しが痛いくらいにつき刺さるが、文句を言うことも惜しんだのか、彼女はさっさと身を翻し村の奥へと歩を進める。家屋の陰に極力身を隠しつつ、素早く進む足運びは、隠密行動にある程度慣れたもののそれだった。

 

 進む方角にあるもの──村の全景を思い浮かべた楓軌ははたと思い至る。

 

「てめえまさか……!」

「静かにっ」

 ぺちっと鳩尾のあたりを叩かれた。

 朱宝は予想した場所──楊小母さんの店の手前で立ち止まり、裏手を伺い見る。身振りで促され、楓軌も渋々それに従った。

 狙いを澄ましたような新月に、数間先を見回すのは容易ではない。

 

 けれど。

 

 やがて目についたもそもそと動く影は錯覚だろうか。

 影は丁度人にして三、四人分。その何れもが、楓軌とまでは行かずとも大柄で、一つところに固まっていたかと思えば、すぐ横の家屋に張り付いて、何やら怪しげな雲行きを見せている。

 楓軌は息を殺し、耳を欹てた。

 

「おい、本当にここで間違いないんだろうな」

「確かだって。おめえらも聞いただろうが、あの婆さんの話をよ」

「何れにしたって行って見りゃあわかることだろうよ」

「ああ、こんなちんけな村にゃどーせ大したもんなんかねえだろうしな、めっかりゃ恩の字よ」

「ちげえねえ!」

 

「っ!」

 

 飛び出して行きそうになる楓軌を押さえたのはまたしても朱宝だった。

 彼女は賊を睨み据えながらもその場を動こうとはせずに、楓軌の腕をきつく握りしめる。

「てめっ」

 悪事を企む賊どもに憚って声を抑える楓軌に、朱宝は首を振る。「まだ」その唇が、音もなくそう言葉を形づくる。

 

 がたっ

 

 闇の向こうでは、ついに賊徒が小間物屋の扉をこじ開けた!

 

「てめえっどういうつもりだ!」

 

 みすみす賊が侵入するのを見逃すこととなった楓軌は、腕を掴んだきりの朱宝へと詰め寄った。

 もうこの位置からでは、見張りが立っているのかどうかすら定かではない。もしかしたら今こうしている間にも、押し入った賊は小間物屋一家を恐怖に陥れているのかもしれないというのに。

 

「下手に大騒ぎするとみんな危ない。私が先に行くから、哥哥は合図したら首領を取り押さえて」

 朱宝は杖で楓軌を押しかえすと早口でまくしたてた。そして応えを待つことなく小間物屋へと駆け出した。

 その動きはやはり、先ほどの賊どもよりもよほど密やかだ。

 

「おいっ」

 

 呼び止めようとも、ここで騒いでは賊に勘付かれてしまう。朱宝の脅しではないが、それこそ危険極まりない行為だ。

 楓軌は舌打ちして彼女の後を追った。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 目の前には昏倒した男が一人。

 

 

 その男に猿轡をかませ、後ろでに縛り上げようとしている女が一人。

 

 

「何なんだこいつは」

「見張りじゃない?」

 目で会話した後、朱宝は肩を竦める。

 彼女の言うように、確かにそれは見覚えのない男で、少なくとも村の者ではないとわかる。

 朱宝は男が目覚めても易々と逃げ出せぬよう、家畜を留める杭に男を括りつけると、改めて屋内に侵入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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むしろ楓軌がいなくとも何とかなるんじゃ……?

 

素材提供元:LittleEden