SCENE1:DTS〜次元航行船〜

 

 「俺には、この世界の行く末を見届ける義務がある」

ロム・ウェード・ラ・クラウ
 
 その船の航海は、おおむね順調だった。

 漆黒に塗りつぶされた船体の中央に、どこかくすんだような銀色で「LADY CROW」と記された、小型の次元航行船。特別に行く先 を定めずに次元の狭間を漂う船は、その実最少運行人員数一名という、なかなかに優れた機能を持つ。

「……ポイントA455−K318異常なし。他にいかなる船影も認められず。以上、LACRAからCKSHOMEへ」

────了解。CKSHOMEからLACRAへ。これにて通信を終了する。今後の貴船の無事を祈る

「LACRAからCKSHOMEへ。感謝します。以上」

 通信が切れると同時に、かなぐり捨てるようにヘッドマイクを引き剥がした上島弘之は、コンソールの上に勢いよく突っ伏した。全身の緊 張が、一瞬に緩んだ証拠。

「だぁぁ〜!」

 意味不明の呻きをあげたきり、ぴくりとも動かない彼を、背後から忍び笑う声がある。この船の真の通信士である、高内瑞穂。彼女は、弘 之に定時連絡の役目を押しつけた、張本人でもある。

「何必要以上に固くなってんのよ、あんた」

 笑いが収まらないまま、瑞穂は手にしていたプラスチックのトレイで、弘之の頭を軽く数回叩いてやる。

 途端。

「あのねぇっ!」

 弘之はがばっと起きあがって、トレイを押し退ける。更に「人の頭を気安く叩くな!」と喰ってかかろうとしたところで、すぐ側のシート にいた、亜麻色の髪の青年までもが、笑うのを必死でこらえていることに気付いてしまう。

「み、三田さんまで笑うなんて……」

 結局、そこで怒る気力も萎えてしまい、弘之は振り向いたまま、シートの背もたれに上体を預けた。

 事ある毎にヒトをからかってばかりいる瑞穂はともかくとして、普段はおとなしくて、何かと世話を焼いてくれる、三田礼紀までもが笑っ てしまうほど、自分の様子は滑稽だったんだろうか? 考えると、ついいじけてしまいたくもなる。

「ごめん、ごめん。でも、上島は大分上達してると思うよ?」

 フォローするように礼紀。

「そりゃ、上達しなきゃ詐欺じゃない? 一体何回練習させたと思うのよ」

 しかし瑞穂は、礼紀が持ち上げた側から弘之を扱き下ろしにかかる。

 かといって、瑞穂が弘之を嫌っているわけではないことは、礼紀は勿論、弘之自身にもよくわかっている。あまり嬉しいことでもないが、 瑞穂とはそういう人間なのだ。

「そんなの数える気にもなんないよ。高内さん、毎回自分が飽きるまでやらせんだもん」

「いいじゃないのよ、弘之どうせ暇人だし」

「う、だ、だからって……!」

 痛いところをつかれ、弘之は言葉に詰まった。

 確かに。

 この船の中で、明確な役目も技能も持たないのは、上島弘之ただ一人なのだ。いわば、彼は役立たずの居候。彼が人並み以上にこなせるこ とといったら、材料にこだわらないサバイバル料理だけで、それすらも、ボタン一つで食事の出てくるこの船では、何も意味を持たない。

「要するに、瑞穂は弘之がお気に入りなだけだろ?」

 苦笑と共に仲裁に入ったのは、仮眠室から出てきたばかりの青年。

 彼こそがこの船の船長、ロム・ウェードだ。

「そーよ、悪い?」

 瑞穂はいきなり弘之の頭を抱きかかえ、訊ね返す。

「い、いきなりなにするんですか!」

 頬にもろにあたる胸の感触に赤くなりながら、束縛を逃れようともがいては、瑞穂に押さえ込まれる弘之。

「あらあら、若者同士仲のよろしいことで。おじさんの出る幕じゃなかったかな」

 搭乗員の中では唯一、30代に片足をつっこんでいるロムは、頬を掻きながら居心地悪そうに視線を逸らす。

 冗談めかして言っているが、じゃれあう二人を見ていると古い傷がうずくのだ。

 救い出せなかった、今はもう、どこにも存在しない、親友達……

「そんないちいち溜息つくヒトの事なんて知ぃりぃまぁせぇん〜」

 弘之を抱える力が、きゅっと強くなる。流石に今度は文句も言えず、弘之は助けを求めるように礼紀へと目をやった。

 「運がなかったな」口先の動きだけでそう返し、礼紀は苦笑するばかり。

 瑞穂がロムに好意を抱いていることは、ロム自身を除く全ての船員にとって、公然の秘密なのだった。

 事故で失った恋人を、未だに思い続けているロム。そして振り向いてもらえないと知りながら、そんなロムを思わずにはいられない瑞穂。 意地の悪い言葉が飛び出すのは、寂しさの裏返しで。

「高内さ〜ん……」

 わかっていても、それとこれとは話が違う。その結果、毎回被害を被ることになる弘之は、助けてもらえないことを知ると、恨みがましい 声で瑞穂に呼びかけた。

「何よ、弘之」

「いい加減、放してもらえません?」

「いいじゃないのよ、減るもんじゃあるまいし」

「そういう問題じゃないでしょう!?」

「まあまあ、二人とも」

 また、いつもの後刻喧嘩を始めそうになった二人を、苦笑混じりのロムが止めにかかる。

 香ばしいコーヒーの香り。瑞穂に除け者にされている間に、黙々と支度していたのだ。

「これでも飲んで、少し落ち着け」

 収納式のデスクを広げて、三人分のカップを並べてやる。 

「ロムってば、こういうところやたらマメなのよねぇ」

 香りにつられてあっさりと弘之を解放した瑞穂は、ぶつぶつ言いながらも、ちゃっかり一番量の多いものを手に取る。このコーヒーだけ は、ロムの趣味で人の手によって入れられる。豆も勿論、特定の次元の特定の産地で採れたものを、手動のミルで引く。

 当然、この船の乗員で、一番コーヒーを入れるのが得意なのはロムだ。

「これだけ単調な仕事なんだ。ちょっとした趣味ぐらい持ってもいいだろ? あ、そうだ。三田?」

 美味そうにコーヒーを啜りながら言葉を返したロムは、思い出したように礼紀に声をかける。彼は先程から、航法コンピューターに何処か の座標を入力していた。

「もうすぐ、終わりますよ」

 軽く振り返って答えると、礼紀は再びモニターに向き直る。

「そ、か。ならいい」

 基本的に、行き先の設定は礼紀に一任されている。

 次元間のイレギュラー処理と言う名目で、実際のところはほぼ無目的で漂っているこの船は、補給以外、寄港する場所を選ばないからだ。

───次は、どこ行くんだろう?

  マグカップを包み込むように持ち上げながら、弘之は礼紀の背中を見つめる。今までに巡ってきた世界は、どこも文明の発達した都会的な街並みを持っていた。

 郷愁をかきたてられる、喧噪と雑踏。

 弘之が、変わり果ててしまった故郷の姿を思い描いているとき、だしぬけに背後から声があがった。

「そろそろ約束の400年だよ。アナジェリアはどうなってるかな?」

 ガシャンッ

 誰もいなかった空間から突如涌いた言葉に、弘之はカップを盛大に倒してしまう。

「うわちっ……シリアン、あんま弘之をおどかさないで下さいよ。弘之も。いい加減、なれてくんない?」

 まだ十分に熱いコーヒーを足でいただく羽目になって、ロムは深い溜息を吐く。

───あ〜あ、久々に美味くいれたのにもったいない。

「だって……」

 弘之はふてくされたように言い訳を始める。

 彼が立っていたのは、出入り口を横目に見た壁際だった。勿論、この部屋にいたのは彼と瑞穂と礼紀、ロムの四人きりで、他に船内に乗り 組んでいると言えるのは、電源を落として待機中の、よくできたヒューマノイドだけ。

 現在次元の狭間を航行中のこの船に、こっそり侵入する方法などありはしないのだ、本来であれば。

「シリアンさんは別にSHIPに乗る必要ないじゃん。行きたいなら一人でまっすぐ行ってればいいのに」

 個体としての次元移動能力───種として約束された力を持つ彼女には、装置に頼ることなく次元間を渡る力がある。彼女の力をもってす れば、次元間を行き来することなど、造作もないことだ。

 なにしろ、たった今湧くようにして現れたのも、その特殊な力を使ったからに他ならない。

「それはできないわ。私は今回の件の調停者だもの」

 全く気にすることなく、きっぱりと答えたシリアンは、期待に満ちた目でサーバーの脇に立つ瑞穂を見つめた。

 瑞穂は無言で、コーヒーの残りを空いていたカップに注ぎ入れる。

 微調整を終えた礼紀が、そこでようやくふり返る。

「シリアン、それ、僕のです」

 振り返り様の宣言。

 そして彼は有無を言わさず、サーバーを空にした最後のコーヒーを手中に収める。

「いじわる……」

 シリアンは、常日頃はすました顔を、瑞穂以上に子供っぽく歪めていじけた。

 礼紀は未だ熱々のコーヒーをブラックのまま一口啜って、

「欲しいものはきちんと主張して、結局は行動したものがちですからね」

「ぶうぅ……じゃ、ロム、これもらうね」

 礼紀の言葉に呻ったあと、シリアンは何を思ったか、デスクに置かれていたロムのマグカップを電光石火の勢いで奪い去った。

 丁度それを取ろうと延ばしかけていたロムの手が、デスクの上を虚しく泳ぐ。まったくもって、踏んだり蹴ったりだ。ロムは恨みがましい 眼差しを、彼女の虹色の髪へと注ぐ。

 シリアンは「ふふん」と鼻で笑った。

「……」 

「そ、それより、アナジェリアのことだけどっ」

 食べ物ならぬ飲み物の恨みで、おどろおどろしい空気に包まれたのを払うように、一つ手を叩いてから瑞穂が声を張り上げた。

 因みに、抜け目のない彼女のカップは、とうに空になっている。

「コースは既に設定済みです。通常ルートで近郊に寄った後、一対一で空間に沿う設定ですけど」

 満足げにコーヒーを口に含みつつ、礼紀が待ち構えたように答える。

「OK、それでいい。念のため、礼紀と瑞穂はここで待機。なんなら、ユリアンも起こしていい」

 ロムは溜息を吐いて頷き返す。ユリアンというのが、別室で眠るヒューマノイドの名前。

「APは? 二人で行くならあまるでしょ? 私も行ってみたい───」

 瑞穂が手を挙げて主張する。

 弘之の故郷であるその世界を、彼女はまだ見たことがなかったので。

 けれど。

「ダメだ」

 ロムは無情にも首を横に振った。

「今回は上島と俺とで一台ずつ使わせてもらうからな。大体、お前のAP点検中だろうが。……ってことで、礼紀のAP、借りるな?」

「えぇ〜っ! そんなぁ……じゃあ、どっちか乗っけてよぉ。ほら、礼紀もなにか言ってやってぇ」

「う〜ん、遊びに行くんじゃないんだし、今回は諦めた方が良さそうですよ。あ、できれば俺のは上島に貸して下さいね? ロムの癖、 ちょっときついから」

 不安定な次元の状態を、弘之のものとは違う故郷で充分に見知っている礼紀は、瑞穂の言葉に賛同せず、ただそう念を押した。

 どんなに優れた機械であっても、いざというときは人手が頼り。礼紀の発言は、弘之を案じるのと同時に、自機におかしな癖をつけるなと いう牽制でもある。

 ロムは礼紀を向いて、今度ははっきりと首肯した。

「始めからそのつもりだ。悪いな、瑞穂。今回はどうしても一人ずつで、じっくり見届けたいんだ」

 極々真面目な表情で瑞穂を諭す、その声色に、急に表情を曇らせたのは、弘之の方。

「え、でも俺、まだAP自信ないし……」

「そうでしょ、そうでしょ?」

 本当に不安げな弘之の言葉に、瑞穂は嬉々として便乗する。

 そこに礼紀はさらりと一言。

「上島、高内さんと一緒じゃ殆ど自由効かないよ?」

 瑞穂のパワーに押されて「じゃあ、僕と一緒に」と言いかけた弘之は、すんでの所でその言葉を飲み込んだ。 

 弘之が賢明な選択をしたことを確かめてから、ロムは全員に聞こえるよう、声を強めて言った。

「アナジェリアは、上島の世界だ。自由に自分の世界の変化に、触れる権利がある。そして俺は……アナジェリアがああなってしまった原因 は、俺達に──俺と、俺の所属していた研究所に、ある。だから……俺は、見届けなければならない。すまないが、留守の間、宜しく頼む」

「ロム……」

 それ以上口出しのできる者は、そこには一人もいなかった。

 


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